性依存症の回復は渇望に無力を認め続け、新しい生き方を続けること!

性依存症の特徴は次から次へと渇望の波が襲ってくることです。
回復して「もう大丈夫」と油断していると思わぬ時に襲ってきます。
この記事は性依存症に対して無力を認め続け、新しい生き方を実践し続けることが回復の方法であることを解説しています。

1.性依存症の渇望は回復した後も襲ってくる

渇望の波

「大方の仲間は一時的に性の行動化を止めると、自分は永遠に自由になったと感じてきた。そんな時こそ再び波に襲われることがある」(ホワイトブック68頁29行目)

脳の報酬系に依存症回路ができれば一生渇望の波が襲い続けます。
依存症に例外はありません。
例外はありませんが、三つの依存症をもっているありのパパの個人的経験では性依存症が一番しつこいように感じます。

アダルトチルドレンは病的な人間関係を嗜癖として使う依存症ですが、これは目に見えにくいという特徴があります。
しかし長期的なスパンで見ると病的な人間関係嗜癖を使っていると必ず人生を棒に振ります。

癇癪持ち(怒り依存症)はそのままにしておくと社会にも家庭にも甚大な被害をもたらしますが、ある特定の条件が揃わないと怒りの爆発は起きません。
だから怒り依存症者は生き方を変えるという本質的な解決策を実行するとともに、【ある特定の条件】が決して揃わないように注意しています。

では性依存症はどうかというとアダルトチルドレンほど長期的なスパンで見る必要はなく、怒り依存症ほど【ある特定の条件】に関わっていません。

たとえば「私は一人ぼっちだ」「私の人生はなぜうまく行かないのか?」「周りの人たちが私を理解してくれない」などの考え方が【思考の引き金】となって渇望の波は襲ってきます。

これらの思考パターンはその人にとってはあまりに当たり前過ぎる考え方であり、自分ではおかしいなどとはこれっぽっちも思っていません。

それで変えるのが難しいし、原因がわからないまま何年も性依存症に苦しみ続けるということが起きます。

2.性依存症の本質的な解決策は新しい生き方を実践し続けること

新しい人間関係


スリップした時に「もう少し何とかなると思ったんだがなぁ〜」と思うのは傲慢だからです。
そんな人には罪悪感と自己イメージの傷つきが与えられます。
そしてこの罪悪感と後悔の不快感情が私たちをして性的嗜癖に陥らせる新たな材料となってしまいます。

これは悪循環の典型的なパターンです。

だから私たちは「負けてしまった時はチャンス!」と捉えます。

「スリップしたことが何でチャンスやねん?!」という質問に対しては「依存症に対して無力を認めた人がスリップしたからって何で自己憐憫に陥るのか?!」と答えます。

負けた時を、神とのつながりを点検し、自分の生き方の態度を再点検する時とします。
そうしたら回復・癒やし・自由が与えられます。

私たちは時間を掛けて性依存症になりました。
だから神との結びつき、人々との結びつき、自分自身との結びつきを作り出すためにもそれ相応の時間が必要です。

風邪を治すみたいなわけにはいかないのです。
性依存症は一生モノです。
生涯を通して対処していく必要があります。

①神との結びつき

アダルトチルドレンは「なぜ私が親に虐待されているとき守ってくれなかったのか?」と思っていますし、依存症者は神に対して「なぜ私が依存症になるまで放っておいたのか?」と思っています。

ありのパパも二つの疑問を持っていました。
一つ目の疑問である子供時代の虐待・養育放棄については祈っている時に答えが与えられました。
それは「その時」にも神は私とともにおられ、虐待されている私を見て涙を流しておられたということです。

「なぜ止めてくれなかったのか?」の答えは「わたし(神)はお前の親も救いたかったのだ」ということでした。
ありのパパの両親は神の助けにすがることなく人生を終えてしまいましたが、それは人間の側で自由意志を行使した結果です。

二つ目の疑問への答えは「それは依存症の人々・アダルトチルドレンに対して回復のお手伝いをするため」でした。

この二つの疑問が解消したとき、ありのパパの中に神との新しい関係が生まれました。
そしてそれは今もなお成長中です。

②人々との結びつき

依存症になる人は人々との深い人間関係をもたずに生きてきた人が多いと言われます。
アダルトチルドレンならなおさらです。
「人が怖い」のになぜ人々との深い人間関係が持てるでしょうか?

依存症者やアダルトチルドレンが深い人間関係を持てないのは間違った思い込みがあるからです。

たとえば「他者は私を傷つける」「どんなに親密な関係でもいつかは必ず裏切られる」「みな自分勝手であり、自分のことしか考えていない」などです。

自分がどれだけ人々を傷つけてきたかに目を向けるなら「他者は私を傷つける」は問題ではなくなります。

「どんなに親密な関係でもいつかは必ず裏切られる」と考えるのは妄想でしかありません。
そんな妄想に時間を使う暇があったら、自分がどれほど人々を裏切ってきたかを考えてみればよいのです。

「みな自分勝手であり、自分のことしか考えていない」は「一番自分勝手だった者は誰か?」と正直な心になって考えると、それは自分であると分かります。

このような間違った思い込みを生涯を掛けて一つ一つ修正していきます。

③自分自身との結びつき

アダルトチルドレンは「私は両親に大切にされなかった」とよく言います。
確かにそれは事実です。

しかし自分自身という存在を最も大切にしなかったのは他の誰でもない「この私」です。
それが分かると親への恨みを手放すことができます。
これは親を許すのではありません。
どうでも良くなるのです。
これが手放すということです。

依存症者ほど自分自身という存在の声に耳を傾けずに生きてきた人はいません。
本能が傷ついても抑圧するし、感情が暴走しても否認しました。
そのくせ嗜癖に走る自分を訝(いぶか)り、「なぜ自分はシラフを保てないのか?」と自分を厳しく裁きます。

この原因は自分と自分自身という関係がうまく行っていないところにあります。

自分自身の状態の変化にすぐに気がつくことができるほどに自分自身との関係を育てていくことが大切です。

3.アダルトチルドレンが性本能を抑圧する問題への対処の仕方

健全な自画像

(この部分は性依存症であって、アダルトチルドレンである人に向けて書かれています)

「ACのための12のステップ」という書籍には「アダルトチルドレンは性本能を抑圧して生きてきた」と書かれている箇所があります。

アダルトチルドレンは自転車のブレーキを掛けるのとペダルを踏むのを同時にやっている人のようです。
走りたいのならブレーキを掛けている手を緩めなければならないし、止まりたいのならペダルを踏む足を止めなければなりません。

アダルトチルドレンにとってブレーキを踏むとは性本能を抑圧することであり、アクセルを踏むのは性的嗜癖を使うことです。

悪夢のような子供時代を過ごした人は健全な性的自画像を持ちにくいです。
どうしても混乱した性的自画像を持ちがちです。

健全な性的自画像とは「自分は性的な存在であっていい」「自分は十全な欠けのない一人前の存在だ」というセルフイメージです。

これに対して病的な性的自画像は「私は欠損のある存在である」というセルフイメージです。

これに加えてキリスト者の人々は「私は性的な魅力を発揮してはならない」というセルフイメージをもっているかも知れません。

このような人々は自分と自分自身に向かって「私は一人前の男だ」とか「あなたは十全な欠けのない女性である」と言ってあげ続けることが必要です。

毎朝ひげを剃る時に、あるいはお化粧をする時に、どうぞ心の身支度(みじたく)をなさって下さい。
この効果は多くの場合にすぐに現れ、驚くような結果をもたらします。
どうぞ、あなたも体験なさってみて下さい。

【まとめ】
性依存症において渇望の波が襲ってこなくなることはありません。
だから油断した時がスリップする時になります。

性依存症の本質的な解決策は新しい生き方を実践し続けることです。
無力なのですからスリップしても罪悪感をもつ必要はさらさらありません。
そうではなく「スリップした時はチャンス!」と捉えます。
神・人々・自分自身との関係を再構築するときとします。

アダルトチルドレンであって性依存症者である人は性本能を抑圧しないことにも注意を払う必要があります。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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