癇癪持ち(怒り依存症)は人生を勝手に複雑怪奇にしています。
この記事はその原因が短所の否認にあることを明らかにし、どうしたら単純明快・心の静けさ・喜び一杯の人生が実現できるかを解説しています。
1.癇癪持ちがわけわからん人生から単純・平安・幸せ人生へ転換する秘訣
「幸せで平和で管理しやすい人生を送る」(EAのHow It Works44頁12行目)
「人生は思うように行かない」と思っている人はいませんか?
ありのパパもかつては「人生はなんて複雑怪奇なんだ」と感じていました。
しかし2014年に中間施設で12ステッププログラムに取り組んで以来、「人生は自分が思っていたよりもシンプルかも知れない」と感じるようになりました。
学びの結果として分かったことは自分の性格上の欠点(恐れ・不正直・利己的・配慮の欠如)を否認していたのが人生を複雑怪奇にしていた真の原因だということでした。
一回ウソをつくと、そのウソのために新たなウソをつき続けなければならなくなるのと同じように、「短所なんてない」とか「短所はあるけど仕方ないよね」のような態度(これを否認と言います)を取ると、その否認のために新たな否認をし続ける羽目に陥ります。
たとえば性格上の欠点として「人が怖い」という人への恐れがあるにもかかわらず、「私は人を恐れてなどいないし、たとえ恐れていたとしても克服可能である」みたいな考え方をしていたとします。
そうするとその人は次から次へと自分でも気づかないうちに外部の世界から否認する材料をもってくるようになります。
この材料が「他の人と自分を比較する」ということです。
次の項目では自分の問題を見ないために他と比較するのであることを説明します。
2.癇癪持ち(怒り依存症)が他と自分を比較するのは自分の問題を見ないため
「比較は……自分自身の性格上の欠点から目を反らせる原因になりかねない」(同45頁21行目)
私たちは自分の欠点を見ないために他の人と自分を比較します。
なぜならそうしている間だけは自分の欠点を見ないですむからです。
ありのパパは「他者と自分を比較してはならない」と思っていましたが、打ち消しても打ち消しても次から次へと他者との比較が頭の中にもたげてきました。
そのたびに「こんな自分ではダメだ。こんな自分ではダメだ」と自分自身を打ち叩いてきましたが、効果は全くありませんでした。
しかし12ステップに取り組んで、他者と比較するのは自分の問題を見ないためであるのを知ったことにより、他と比較することがなくなってしまいました。
まさに現れを何とかしようとするのではなく、問題の根源を知ることが解決への唯一の道なのです。
次の項目ではどうしたら単純・平安・幸せな人生を実現できるかを解説します。
3.癇癪持ち(怒り依存症)が人生を単純・平安・幸福にする唯一つの方法
「プログラムの中で成長すると謙虚・謙遜が何であるかを学ぶ」(45頁11行目)
EAの12ステップ本には明確に「人生を変えるために必要なのは謙虚・謙遜になることである」と書かれています。
これを真に理解するためには謙虚・謙遜という言葉の意味がアメリカ文化のもとにおけるものと日本の文化におけるものとは異なることを知る必要があります。
日本文化において謙虚・謙遜とはただ単に相手に対して腰が低いことを意味しています。
そのため日本人に謙遜が大事と言っても「依存症から回復したり、人生を変えるために何で謙遜が必要なのか?」ということになるのはある面では当然のことです。
12ステップにおける謙遜とはただ単に「腰が低い」ということではありません。
12ステップが教える謙遜とは人生全体が他者に対して謙遜になっている状態を指しています。
では人生全体が他者に対して謙遜になっている状態とは具体的には何を指しているのでしょうか?
それは他者への対応の仕方、すなわち行動パターンが変わってしまうことを指しています。
行動パターンとは人格の一部を形成しているものであり、他には考え方・感じ方があります。
この中で即座に変えることができるのは行動パターンだけです。
そして行動パターンを変え続けていると考え方と感じ方が徐々に変わっていきます。
これがステップ6・7の目的です。
行動パターンを100%例外なしに変え続けた状態が、人生全体が他者に対して謙遜になっている状態です。
もちろんやってみれば「こんなん出来っこない!」とすぐに分かります。
だからステップ11で祈りと黙想を通して「神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求め」ます。
ありのパパの例
ありのパパにとっての謙虚・謙遜はすべての人に対して敬意をもって接することに全力を尽くすことです。
そうしている時だけ心の中から恐れや不正直が締め出されます。
偽りの謙遜は他人のためにやるものであり、真の謙遜は自分のためにやるものです。
これを以前は反対に捉えていました。
今では「それじゃ、うまく行くはずないよね」と分かります。
ありのパパにとって人生は単純です。
なぜなら他者に対して敬意をもって接することに全力を尽くせばいいだけだからです。
全力を尽くすわけですから、他ごとを考えている暇はありません。
他ごとを考える余裕があるのは全力を尽くしていない証拠です。
心配事もなくなりました。
なぜなら考えても考えても答えは「すべての人に敬意をもって接することに全力を尽くす」に行き着くからです。
それで「自分はなすべきことを全力でやっているから他に心配することはない」と分かりました。
他者との間に敬意をもって接すると自然に人間関係が人格的関係へと変化します。
幸せとは人格的関係に囲まれた状態であるのをこの齢になって初めて知りました。
【まとめ】
癇癪持ちを始めとした感情と情緒に問題をもつ人々の人生がわけわからん状態になるのは自分の短所を見てみぬふりをするからです。
他者と自分を比較するのは問題を見ないために自分自身に仕掛けた巧妙な罠に過ぎません。
人生を単純明快・心の静けさ・喜び充満にする方法は唯一つです。
それは他者に対して新しい行動パターンを100%例外なしに使うことです。
それが他者に対して謙虚・謙遜になるということの真の意味でもあります。

◎回復と平安と祝福を祈っています。