癇癪持ち(怒り依存症)の回復のために取り除くべきものはたった三つ!

癇癪から回復するために棚卸しをやってステップ6・7に意欲満々に私たちは進みます。
しかし中には「変わった気がしない」という方もおられるのではないでしょうか?
この記事は変わった気がするために大切なことは三つあることを一つ一つ解説しています。

1.癇癪持ち(怒り依存症)の回復のために何を取り除けばよいのかを知る

取り除くべきもの

「性格上の欠点全部を神に取り除いてもらう準備がすべて整った」(ステップ6)

「すべて整った」と言えるためには、あらかじめ自分の欠点を知っておく必要があります。
自分の性格上の欠点を風呂敷に包みこんで「すべて整った」と言ってはなりません。
風呂敷包みをひろげて、自分の性格上の欠点は「これとこれ」と言えるようになる必要があります。

多くの人は(ありのパパを含めて)「あなたの欠点は何?」と聞かれると、逆上して「欠点なんかない!」と言うか、それとも「私なんか欠点だらけよ。それが何か?」と逆ギレするのが落ちではないでしょうか?

私たち癇癪持ち(怒り依存症者)が回復を願うなら、回復できるような欠点の認め方というものがあります。
それがEAのHow It Worksには明確に書かれてあります。

「考え方と行動の否定的な習慣、人生に対する無意識的な反応、無益な振る舞い」(40頁7行目)

上記の言葉によると取り除くべきものは三つあります。
次からの項目ではこれらを一つ一つ解説していきます。

2.考え方と行動の否定的な習慣とは人格を指している

行動の仕方を変える

AAのビッグブックには霊的目覚めとは「回復をもたらすに十分なほどの人格の変化」(266頁2行目)であると書かれています。

ですから依存症から回復しようとするならどうしても人格を変化させる必要があります。
人格とは考え方・感じ方・行動の仕方によって構成されるものです。(ACのための12のステップ44頁下から3行目)。

そういうわけで人格が変化することが依存症の本質的な解決策ということになります。

このうち即座に変えられるのは行動の仕方だけです。
100%変えられた行動の仕方を続けていると考え方と感じ方が徐々に変わってきます。

多くの仲間の口から漏れるのは「いつまで経っても考え方や感じ方が変わっていない」ということです。
しかし私たちに責任があるのは行動の仕方だけであり、考え方と感じ方については神にお任せするしかありません。

そして「人生が変わった!」と実感するのは行動の仕方が100%変わってしばらくたった時であって、考え方や感じ方が変わった時ではありません。

考え方や感じ方についてはしばらく経って振り返ってみると「そう言えば変わったかも?」と感じるぐらいです。

3.「人生に対する無意識的な反応」とは恐れに基づいた身勝手行動

身勝手行動

「人生に対する無意識的な反応」とは恐れに基づいた身勝手な行動を指しています。

たとえば「裏切られる前に裏切ってやれ」とか「傷つけられる前に傷つけてやれ」とかです。

ちなみにありのパパも常に人への恐れに支配されていたので他者の何気ない振る舞いが自分への攻撃の合図に思えてしまい、自爆してしまうということを人生の中で何度も繰り返してきました。

そして原因はすべて相手にあると思い込んでいましたが、今となっては原因はすべて自分にあったと理解することができます。

リカバリーダイナミクス(中間施設向けに改編された12ステッププログラム)で使う棚卸し表の第四列は利己的・不正直・身勝手&恐れ・配慮の欠如となっています。

はじめの頃、「身勝手」が「恐れ」と同じ項目にあるのが理解できませんでした。
しかし恐れが動機となった身勝手行動と、そうではない利己的行動の間には違いがあることが段々と分かってきました。

皆さんは「人生に対する無意識的な反応」というものがありませんか?

この無意識的な反応をしっかり捉えておかないと、人生の変わり方が中途半端なものにならざるを得ません。

たとえば「普段はいいのだが、何かあると以前の生き方に戻ってしまう」というのは、この項目で解説している「人生に対する無意識的な反応」が自覚されずに手付かずになっている場合が多いようです。

対処方法

対処方法は「ある特定の状況・ある特定の条件が揃うと自分はこのような行動を突発的にしてしまう」ということを予め理解しておくことです。

そして普段は新しい行動の仕方(行動パターン)を使い、 特定の状況・条件が出現しないことに最大限の注意をはらいます。

特定の状況・条件が揃ってしまうと身勝手行動を食い止めることはできないというのがありのパパの個人的な経験です。

4.「無益な振る舞い」とは様々な勘違い行動

無益な振る舞い

「無益な振る舞い」とはたとえば自分さえ我慢すれば丸く収まるなら犠牲になろうと思って取る行動です。

その行動が自分自身(本能)を傷つけ、その結果として感情が暴走し、そして不快感情から逃れるために嗜癖を使う原因になります。

これは確かに無益な振る舞いでした。

「人生に対する無意識的な反応」が文字通り無意識的な反応であるのに対して、この無益な振る舞いは熟慮の上の行動だったりするところが始末に負えない部分です。

この「自分さえ我慢すれば」というのは典型的な共依存行動であるのは皆さん既にお分かりでしょう。

この無益な振る舞いがさらに始末に負えないのは共犯者がいるということです。
共依存症者には必ず被共依存者がセットになっています。
共依存の人間関係からメリットを受ける人がいなければ共依存症者が存在する余地はありません。

対処方法

何か用事を頼まれたりするときは脊髄反射的に受け入れるのではなく自分自身に向かって「ちょっと待って!その用事は私でないと出来ないもの?」と問い掛けます。

トラブルが発生したときも以前なら「自分がやらなければ誰がやる!」みたいな感じで誰にも頼まれていないのに勝手に力んでいたのを、これからは「その問題は私の問題か?それとも他者の問題か?」と自分に問い掛け、他者の問題である時は放っておくことです。

【まとめ】
神に取り除いてもらう性格上の欠点には三つあります。
それは行動習慣であり、人生に対する無意識的な反応であり、無益な振る舞いです。

この三つをしっかりと認識できた時、私たちの準備がすべて整ったということが出来ます。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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