性依存症者の嗜癖がなかなか止まらないのは自分を悪用しているから!

自分を悪用する

性依存症者の嗜癖がなかなか止まらないのは自分という存在を悪用しているからです。
その結果、人間関係は破綻し、人生がどうにもならなくなります。
この記事は嗜癖が止まらない原因を明らかにし、回復の三段階と本質的な解決策について解説しています。

1.性依存症者の嗜癖がなかなか止まらないのは自分を悪用しているから

性の奴隷

「性依存症者は自らを悪用している」(ホワイトブック55頁29行目)

依存症の構造はみな同じです。
それにもかかわらず自助グループに参加する人々は「いや、自分の依存症は特別だ」と考えています。
ありのパパにはそのような理解ははじめからありませんでした。

なぜなら中間施設で様々な依存症者とともに様々な元依存症者の講師から12ステップを学ぶという体験をしたからです。
もし依存症ごとに依存症の構造が異なるなら、中間施設で皆で一緒に12ステップを学ぶということはそもそもありえないことです。

では全く一緒かと言うと、そうではありません。
やはり依存症ごとに回復の道のり(過程)が異なります。

ありのパパは3つの依存症を持っており、それは癇癪持ち(怒り依存症)・アダルトチルドレン・性依存症です。
この三つが三つとも回復の仕方が異なりました。

怒り依存症がとにかく怒りを爆発させないという点にフォーカスを当てるのに対して、性依存症はスリップしないというところに焦点を当てるだけでは不十分でした。

なぜなら絶え間なく性的渇望が襲ってくるのですが、その事実に対して罪悪感を感じるからです。
ご存知の通り罪悪感は四つある不快感情のうちの一つであり、私たちは不快感情から逃れるために嗜癖を使うのです。

ということは性的渇望が襲ってくるたびに罪悪感を感じていては、そのこと自体が私たちをして嗜癖に陥らせる原因になってしまいます。

ではどうしたらよいのでしょうか?
ただ一つの逃れの道は性依存症の構造を理解することです。

心が健康な人は人間関係を深めるために「性」を使うものですが、性依存症者は性的渇望を満たすために人間関係を道具として使います。

心が健康な人にとっては「性」は道具ですが、性依存症者にとっては「人間関係」が性的渇望を満たすための道具なのです。
これは性依存症の12ステップ本であるホワイトブックに書いてあるのですが、ありのパパはこれを読んで初めて性依存症の構造を理解することができました。

性依存症者はただ単に性的欲求が強いのではありません。
そうではなく本来ただの道具でしかない「性」を、主客転倒させて「生きる目的」にしてしまっていることが真の問題なのです。

またこれは自分を悪用することです。
多くの性依存症者が「自分が好きでやっていることなのに何が問題なのか?」と言います。
しかし本当は好きでやっているのではなく、真の原因に気づかずに、または気づいていても否認して気づかないふりをしているのではないでしょうか?

私たちお互いはかえりみたいものです。

次の項目ではしつこい性的渇望をどのようにして乗り越えていけばよいのかを解説します。

2.性依存症の回復の三段階

回復の三段階

「性依存症者が本当に性的なシラフの状態になるには渇望を徐々に乗り越えていく過程が含まれている」(202頁16行目)

性依存症の回復は三段階に分かれます。

①嗜癖行為を止める

この段階は他の依存症と変わりません。
とにかく止めなければ話は始まりません。

②嗜癖に至らせるトリガーを使うのを止める

次の段階では性的逸脱行為に至らせるトリガーを使うのを止めます。

怒り依存症者は怒りが爆発しそうだと思われる場所には近づきませんし、怒りを爆発させている人を相手にすることはありません。

なぜならそのこと自体が自分の怒りを爆発させるトリガーになると知っているからです。

性依存症にとってのトリガーはポルノグラフィの視聴です。
「見るだけだったらいいんじゃないか?」という方もおられるかも知れませんが、この地上でそんな人は一人もいません。
ただ否認しているのに過ぎません。

③性的妄想を弄(もてあそ)ぶのを止める

怒り依存症者が「自分が怒りを爆発させている光景」をまるで映画でも見ているかのごとく想像するように、性依存症者はまるで息をするかのように性的妄想を弄んでいます。

これはアダルトチルドレンがドラマでも見るかのように自分が被害者で他の人に傷つけられた記憶を反芻(はんすう)するのと同じです。

私たちはこれらの三段階を経て「本当に性的なシラフの状態」に達していきます。

3.敬意をもって接することに全力を尽くしていると人格的関係を体験的に知るようになる

人々に敬意をもって接する

嗜癖をとめる、トリガーを使うのを止める、性的妄想を弄ぶのを止めるなどはシラフを保つために大切なことです。

しかしそれだけでは「単に止まっているだけ」であり、苦しくてたまりません。
文字通り「何が楽しくて生きているのか?」ということになります。

だから私たち性依存症者は本当の楽しみを見出さなければなりません。

では本当の楽しみとは何でしょうか?

本当の楽しみの中心を占めなければならないのは人々との人格的関係です。
これは単に良好な人間関係を指しているのではありません。

では人格的関係とは何でしょうか?
それは相互が敬意をもって接しあう関係です。

たとえば人に優しくされても、そもそも自分の中に相手への敬意がないと、相手の優しさはこちらに伝わってきません。
それで勝手に「自分は愛されてない」と勘違いし、自暴自棄になって孤立を選び取ります。

孤立は言ってみれば心の真空状態であり、人間は本能的にこれから逃れようとします。
この逃れるために使った嗜癖が性依存症者にとっては性的嗜癖だったわけです。

この部分はアダルトチルドレンであろうと、怒り依存症者であろうと変わりません。
まさに依存症の構造は同一なのです。

これと反対にすべての人に対して敬意をもって接することに全力を尽くしていると、あるとき「人格的関係とは何か」を体験的に知るようになります。

敬意をもって接するとは以下の生き方を指します。

「私は今まで誰かに傷つけられるのではないかと恐れて生きてきた。それで傷つけられる前に傷つけてやれと身勝手な行動をしたり、傷つけられるのが怖くて相手の言いなりになるなどの不正直行動をとってきた」

「しかしよくよく考えてみると相手の人だって私に傷つけられたらどうしようと恐れているかも知れないのだ。だったら自分の恐れはいったん脇に置いて、『少なくとも私はあなたを傷つけない』ということを分かっていただくにはどうしたらよいかを考え、それを全力で実行しよう!」

これがすべての人に対して敬意をもって接する生き方の本質です。

【まとめ】
性依存症者の嗜癖が中々止まらない理由は性的渇望が襲ってくるたびに「こんな自分はダメな自分だ」と罪悪感をもつことにあります。

罪悪感から逃れるためにさらに性的嗜癖を使うという悪循環を解消するために必要なのは本当のシラフに達するために三つの段階を経ることです。

単に止まっているだけの状態から「生きてて良かった。人生は素晴らしい!」となるために不可欠なことは人々との間に人格的関係を築くことです。
そうしたら必ず人生は変わります。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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