アダルトチルドレンは罪悪感と後悔を持たなければシラフでいられる!

アダルトチルドレンがシラフを保つのはある意味では簡単です。
なぜなら不快感情さえなければ嗜癖を使う必要がなくなるからです。
この記事は埋め合わせは罪悪感と後悔をなくすのが目的であることを明らかにし、埋め合わせのやり方のコツを解説しています。

1.アダルトチルドレンは罪悪感と後悔を持たなければシラフでいることができる

罪悪感と後悔

恨みと恐れはステップ4・5の棚卸しで、罪悪感と後悔はステップ8・9の埋め合わせで消えてしまいます。

しかし私たちは不快感情と長く付き合っているので、これらの不快感情が消えて無くなることを想像できません。
まるで毒親との関係が当たり前であり、大人になっても周囲の人々の関係を毒親との関係に似せようとするのと同じです。

アダルトチルドレンにとっては自分の中に罪悪感と後悔の不快感情がない状態を想像するのは難しいことですが、これは論より証拠であり、やってみるしかありません。

あるアダルトチルドレンは「私は被害者であるのになぜ私が謝らないといけないのか?謝ってほしいのはむしろ私である」と言います。

このようなことを言うのは視点の転換が起きていないからです。
アダルトチルドレンは二つの領域で視点の転換が起きる必要があります。

一つはアダルトチルドレンとは機能不全家庭で育った人を指しているのではなく、『ACの問題行動』を嗜癖として使っている依存症者だという気づきです。

この気づきを持たない限り、ACは被害者意識を持ったままであり、回復はのぞみ薄です。

もう一つは棚卸し作業を適切に行うことにより、「自分は今まで被害者だと思い込んでいたが、そもそも自分自身が傷ついた原因は自分の側の振る舞いにあった」という気づきをもつことです。

この気づきをもつと「恐れからくる身勝手な行動、利己的振る舞いからくる配慮の欠如」によって人々を傷つけたことに対してお詫びしなければならないと自然に考えるようになります。

この自然さが大切です。無理やりはダメです。

2.埋め合わせして罪悪感がなくなると代わりに喜びがやってくる

喜び
ありのパパは中学時代にうどん屋で無銭飲食をしたことがありました。
それを大学の時に実家に帰省した折にお詫びに行きました。
うどん屋の店主さんは快く赦してくれました。

家に帰ってきてから爆発的な喜びが押し寄せてきて本当に踊りだしてしまいました。

これは18歳の時の経験なのですが、58歳の時に中間施設で「罪悪感と後悔をもったままではシラフを保つのは難しい」と教えられたとき、40年前の出来事が脳裏に鮮やかに浮かび、「あれが埋め合わせの経験だったのか!」とすぐに納得できました。

多くの仲間が埋め合わせを難行苦行のように受け止めています。
でも、そうではないのです。
悪かったことをチャラにするために埋め合わせをするのではなく、自分の心の中にある罪悪感を喜びに置き換えるために埋め合わせをするのです。

このように考えると意欲満々で埋め合わせ作業に望むことが出来るのではないでしょうか?

間違った埋め合わせ行動

新しい行動パターンを使い始めると罪悪感と後悔が発生しにくくなります。
それにもかかわらず、しょっちゅう罪悪感と後悔が生まれるとしたら、そもそも新しい行動パターンをちゃんと使っているかどうかを確かめる必要があります。

回復の軌道に乗ったあとでトラブルが起きるたびに謝りに行く人がいます。
しかしその人は自分がやっている本当の目的が謝ることにあるのか、それとも相手に許させることを目的にしているのかを確認しなければなりません。
ここで言いたいことは相手に許させることを嗜癖として使っていないかということです。

もちろんこれは埋め合わせでも何でもなく、単なる嗜癖行為に過ぎません。
きつい言い方ですが、回復ごっこをしているのです。

この項目で書いたことはステップ8・9の転機的埋め合わせについてです。
転機的とは言葉を替えて言うと人生で一度限りということです。

次の項目では埋め合わせの継続的・漸進(ぜんしん)的な面を見ていきます。

3.埋め合わせすればするほどアダルトチルドレンの人生は回復する

孤立からの回復

埋め合わせは「私たちを自分自身と社会と神からの孤立が終わる地点に運んでくれ」ます。(ACのための12のステップ106頁1行目)

自分のことばかりで恐縮ですが、棚卸し作業の最後にありのパパのシェアリング・パートナーは「ありのパパさんの埋め合わせ作業は介護施設にいるお母さんのところに一ヶ月に一度、精神病院に入院しているお姉さんのところに二ヶ月に一度面会に行くことですね」と言われました。

これで生涯にわたる埋め合わせ作業が決定しました。
なぜかその言葉がお腹にストンと落ちたのを覚えています。

そう言われる前にすでに11年間面会に行っていたのですが、それまでは面会の帰りにいつも怒りをためていました。
それが「この面会は埋め合わせ作業である」と考えるようになってからは怒りがたまらなくなりました。
実に不思議なことです。

埋め合わせだと考えるようになって5年後に母は亡くなりました。
「こんなことをしてあげればよかった。あんなこともしてあげればよかった」と悔やむ人が多い中、ありのパパは達成感しかありませんでした。

なぜこの話をするかと言うと、埋め合わせには一度限りの転機的出来事としての埋め合わせ作業と、生涯を通して為すべき継続的埋め合わせの両面が存在するからです。

そしてこの埋め合わせ作業は重荷とはなりません。
かえって私たちの人生を、自分自身との孤立・まわりの人々からの孤立・神との断絶が終わるところに運んでくれるものです。

【まとめ】
埋め合わせの目的は罪悪感と後悔という不快感情をなくすためです。
なぜなら不快感情が残っていてはシラフを保つことが出来ないからです。

多くの仲間が「埋め合わせをすることは私には出来ない」と言います。
その通りです。確かに「私にはできない。しかし神には何でも出来る」のです。
なぜ我力(がりき)でやろうとするのでしょうか?
神の力に頼ってやりましょう!

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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