自助グループに参加してシラフを得ることはできたが、依然として生きづらさをもったままの方はおられせんか?
この記事は生きづらさの原因が孤立にあることを明らかにし、この問題をどのように解決すればよいかを解説しています。
1.人々と自分の関係[人々からの孤立]
「周囲との間に……壁を作る」(ホワイトブック53頁7行目)
私たちは孤立を深める過程で嗜癖にのめり込んでいきました。
人生のいつ頃から孤立を深め始めたのかは人それぞれでしょう。
ありのパパは物心ついた時には既に孤立を深める生き方をしていたように思います。
皆さんはいかがでしょうか?
孤立の最大の問題点は孤立していては自分の希望をまわりに伝えることができないというところにあります。
たとえば「どうせ聞いてもらえないだろう」とか「こんなことを言ったらバカだと思われる」と思っていれば自分の希望を口にすることはできなくなってしまいます。
孤立は孤立のままで終わることはなく、副産物を産み出します。
たとえば不正直・身勝手・利己的・配慮の欠如です。
周囲と孤立していると本当は欲しいのに欲しくないと言ってみたり(不正直)、関係を切られるのが怖いのでこちらから切ってしまう(身勝手)、孤立しているので人の必要が見えない(配慮の欠如)などです。
そしてこれらは人々との間にトラブルを起こす原因になり、私たちの共存本能や安全本能が傷つきます。
本能が傷つくと感情が暴走しますから、私たちはどうしたって嗜癖を使わざるを得なくなります。
解決方法
解決方法はすべての人に敬意をもって接することに全力を尽くすことです。
はじめから「よっしゃ。すべての人に敬意をもって接することに全力を尽くすぞ!」と決心していれば、孤立もクソもありません。
「えっ、そんなもんありました?」ってなもんです。
この生き方をある程度続けると、敬意をもって接するのは他者のためではなく自分自身のためであるということを心から納得します。
○孤立とは目に見えないものであり、まず第一の孤立は私たちの心の中にあります。
2.神と自分の関係[神との断絶]
「神と自分自身とのつながりを断ち切る」(同12行目)
ありのパパは普段はできるだけ神と会話して神の意志を知ろうとしています。
しかし忙しくなると自分の中から神を追い出してしまい、自分が陣頭指揮を執っているのです。
このような病的な行動をする原因は何だろうかとずっと思ってきました。
今理解していることは状況に対して恐れを感じると「自分が死物狂いにならないと大変なことになる」という強迫観念の虜になり、それで神を追い出してしまい、自分が神の代りになるのでした。
解決方法
すべての人が持たなければならないのは祈りと黙想の時間です。
祈りの本質は「止めよ。わたしこそ神であることを知れ」(聖書)にあります。
「止めよ」とは一切の人間的営みを一時中止することです。
そのことを通して文字通り自分が無力であることを認め、確認し、「しかし神にならどんなことでも出来る」と神への信仰を新たにします。
祈りの本質は「止める」ことにありますから、何を祈ろうかと文言に頭を悩ます必要はありません。
私たちの営みの一切を止めるのが祈りそのものです。
「それは難しいですね」と仰る方は無力を認めていない人です。
もちろん訓練という面もあります。
訓練して訓練して、祈っている間だけは自分の内的営みを止めるのです。
これがある程度できるようになると真の意味で「ほっとする」を体験できるようになり、リラックスできるようになります。
3.自分と自分自身の関係[自分自身を見捨てる]
「自分で自分を断ち切る」(同16行目)
これは自分と自分自身との関係を断ち切ることを指しています。
自分自身とは共存本能・安全本能・性本脳・将来野心の本能のことです。
自分自身との関係を断ち切るとは本能が傷ついても知らん顔をするということです。
これは仕方のない面もあります。
なぜなら本能が傷ついた時の対処法を誰にも教えられたことがないからです。
それで私たちは本能が傷ついても抑圧しましたし、感情が暴走しても否認しました。
これが一番手っ取り早い解決法だったし、これしかやり方を知らなかったからです。
しかしこのやり方の最大の欠点は利息を福利で支払わなければならない時が必ずやってくるということです。
それが「自分の人生がどうにもならなくなる」ことです。
自分自身を見捨てている人の特徴は「愛想がいい。だけど急に不機嫌になったり怒り出したりする」です。
自分自身を犠牲にして他者を優先する生き方は必ず恨みを生みます。
それでその恨みのために急に不機嫌になったり怒りだしたりするというわけです。
解決方法
「自分自身を大切にしている分しか他者を大切にできない」ということを瞬間瞬間自分に聞き聴かせることです。
ありのパパは時々「お前はいま自分自身をほっぽりだして人々のご機嫌取りに懸命になっていないか?」と自分自身から警告を受けることがあります。
他者にご機嫌を取ってもらっても自分自身のご機嫌は治りません。
それどころ病的な共依存に陥ってしまう危険すらあります。
自分自身の機嫌を良くする務めは「この私」がするしかありません。
○これが自己一致ということです。
【まとめ】
まわりから孤立し、神と断絶し、自分自身を見捨てる。
この三重の孤立を「狂気」と言わないで何と言えばいいのでしょうか。
解決方法はすべての人に敬意をもって接することに全力を尽くす、祈りと黙想を通して神と一体になる、自己一致するの三つです。
◎回復と平安と祝福を祈っています。