恨みをなくさない限り、怒りの爆発(癇癪)もなくなりません。
恨みをなくすたった一つの方法は棚卸しです。
この記事は恨みが怒りの爆発の原因になっていることを明らかにし、恨みをなくすための人生の棚卸しについて解説しています。
1.恨みをなくさない限り、癇癪もなくならない
癇癪とは文字どおり怒りの爆発ですが、これの原因は二つあります。
一つは怒りを爆発させると場をコントロールすることが出来る・人々を思い通りに動かすことが出来ると考え、嗜癖として怒りの爆発を使うことです。
小さな子供が地団駄踏(じだんだふ)んで「買ってくれなきゃ、嫌だ!」と泣き叫ぶのと同じです。
もう一つは不快感情から逃れるために嗜癖を使っているということです。
ストレスには良性のストレスと悪性のストレスがあります。
良性のストレスは十分な睡眠・適切な運動・完全栄養の三つが揃えば解消することができます。
しかし悪性のストレスを解消するためには嗜癖を使う必要があります。
嗜癖には物質嗜癖・行動嗜癖・人間関係嗜癖の三つがあります。
怒りの爆発は行動嗜癖と人間関係嗜癖の中間領域にあります。
悪性のストレスとは不快感情が溜まった状態であり、不快感情には恨み・罪悪感・恐れ・後悔の四つがあります。
怒りの感情に密に関係している不快感情に恐れがあります。
「いつか人に傷つけられるのではないか?」と恐れていると、ちょっとした相手の態度や目つき・会話の口調を曲解し、「傷つけられてしまう前に傷つけてしまえ!」とばかりに過剰防衛丸出しで、怒りの感情を表に出すことになります。
このような人は周りの人を傷つけ、周りから孤立するようになります。
怒りの感情と怒りの爆発は似ていますが、異なる点もあります。
それは怒りの感情がおもに恐れから来ているのに対して、怒りの爆発は恨みから来ているということです。
癇癪持ちの心理は「また私を傷つけるのか?承知しないぞ!こうなったら傷つけられる前に傷つけてやる!」とばかりに、ちょっとしたことで怒りを爆発させます。
心が健康な人がこの説明を読むと「どこが違うのか?両方とも同じではないか?」とお思いになるでしょう。
もちろん重なっている部分もありますが、怒りを嗜癖として使っている人(依存症者)が回復しようとするなら、この二つの違いをわきまえておくことが大切です。
例えば対人恐怖を嗜癖として使っている人が「私は恨みの感情から逃れるために対人恐怖を嗜癖として使っている」と考えたとしたらどうでしょうか?
実際は恐れの感情から逃れるために嗜癖として対人恐怖を使っているのではないでしょうか?
同様に癇癪持ちが恨みの感情から逃れるために怒りの爆発を嗜癖として使っているにもかかわらず「私は恐れの感情から逃れるために怒りの爆発という嗜癖を使っている」と考えるなら、いつまで経っても回復できないことになります。
このようなわけで、恨みをなくさない限り、怒りの爆発もなくなりません。
恨みをなくすたった一つの方法は人生の棚卸しです。
「恨み捨てますか?それとも嗜癖に耽りますか?」
次の項目では人生の棚卸しについて解説しています。
2.棚卸しの目的は「役に立たない行動」を明るみに出すこと
棚卸しの目的は「役に立たない行動」を明るみに出すことです。(How It Works29頁9行目)
その役に立たない行動が自分自身(本能)を傷つけた結果として恨みの感情が暴走しました。
役に立たない行動は四つの性格上の欠点からなっています。
それは利己的・不正直・恐れ・配慮の欠如です。
「この四つが自分にもあるな〜」というのでは全く不十分です。
そうではなく行動の仕方・行動パターンとして捉えることが大切です。
行動パターンとは「ある特定の状況で必ず自分は決まりきった態度を取る」その態度の寄り集まったものです。
そして私たちが使う行動パターンは子供時代に獲得したものが多いです。
「私たちが取る態度は……もはや私たちの生活には存在しない状態にもとづいたものかもしれない」(4行目)
「もはや存在しない」とは過ぎ去った子供時代のことを言っています。
要するに子供時代に獲得した行動パターンを大人になっても延々と使っていると言っているのです。
この説明を読むと「アダルトチルドレンということか?」と受け止めてしまうかもしれませんが、そうではありません。
機能不全家族で育った人がすべてアダルトチルドレンになるわけではありません。
そうではなく子供時代に獲得したサバイバル術を大人になっても使い続けたために人間関係嗜癖の依存症者になったのがアダルトチルドレンです。
では癇癪持ち(怒り依存症者)とアダルトチルドレンが全然関係ないかというと、そうとも言えません。
「役に立たない行動パターン」を取得したのは子供時代である場合が多いという点です。
もっともこれはすべての依存症に共通する点ではあります。
そういう意味で人生の棚卸しを子供時代にさかのぼってやるのは大変意味のあることです。
なぜなら子供時代から続く行動パターンを特定し、そこから脱することができるからです。
3.恨みが相手を害することはなく自分自身が害されるだけ
自分の恨みが相手を害することはありません。
私たちがどんなに恨もうとも相手はピンピンしています。
夜も眠れず相手を恨んでいるのは私たち自身であり、当の本人はイビキをかいて熟睡しています(笑)。
恨みの感情によって害されるのは私たち自身です。
人が恨みの感情を捨てようと思うのは恨みを持ち続けると嗜癖を使わざるを得ないという依存症の構造が本当に分かったときだけです。
それまでは愛玩動物のように恨みの感情を自分の都合のよい時に出してきて可愛がります。
ありのパパも気がつくと妄想していました。「ゆるさんからな。分かったな」とか「私は可愛そうな被害者である。しかしすっくと立って対抗する」とか妄想をたくましくしていました。
要するに恨むことを嗜癖として使っていたのでした。
しかしスリップしないためには心をクリーンな状態に保つことが絶対条件であることが本当に分かったとき、恨みを捨てることにしました。
多くの人は「本当に恨みを捨てることなんか出来るのですか?」と聞きます。
「どうしたって人間関係の中で人で恨んだりするのではないですか?」というわけです。
これはある面ではその通りです。
しかし恨みの感情を自分の中に溜めないでおくことは可能です。
日々の棚卸しによって恨みは消えてなくなります。
どうぞ皆さんが恨みの感情を手放して怒りの爆発から解放されますように。

◎回復と平安と祝福を祈っています。