癇癪の原因に誤った神イメージがある。健全な神イメージをもつ方法!

癇癪持ちを始めとして人々が怒りを爆発させる原因に人と神に対する恨みがあるのをご存ですか?
この記事は誤った神イメージが怒りの爆発の原因の一つであるのを明らかにし、健全な神イメージをもつために必要なことを解説しています。

1.誤った神イメージを持っていることが大人の癇癪の原因の一つ

プレゼントの受け渡し

「私たちにはケアしてくれるハイヤーパワーがいて、それは自分を健康な心に戻し、変化する力を与えることの出来る存在というイメージがもつことが必要だ」(EA・How It Works24頁6行目)

上記の言葉が何を言っているかというと「いくら『自分なりに理解した神』でいいと言っても、不健全な神イメージを持っていては回復はおぼつかない」と言っているのです。

神に対してどんなイメージを持っているかは重要です。
たとえば「神は私の行いを厳密に判定して裁く」というイメージを神に対して持っていれば、神からゆるしや変化する力を受け取ることはできません。

贈り物を受け取るには手を差し伸ばして受け取り、贈り物をしっかり握りながら、差し出した手を引っ込めるという動作が必要です。

「何を当たり前のことを言うのか」と皆さんはお思いでしょうが、実はこれが出来る人はあまりいません。
嘘だと思うなら、誰かに試してみてください。

ありのパパも何人もの人に試しました。
「これをあげる!」と言うと相手は受け取るのですが、その手を引っ込めません。
それでプレゼントを握っている手を私が引っ込めると、そのプレゼントは相手の方から離れていきます。

これには裏があります。
それは多くの方は「プレゼントを握った手を引っ込めて良いのは、プレゼントをくれた人が贈り物から手を離したときだけである」という思い込みを持っているからです。

このような思い込みを持っている人を「チャンスの女神に見放された人」と呼びます。
このような人に対して「本当は欲しいと思っていないのだ」と言ってはなりません。

なぜならプレゼントを欲しいと思っていない人など一人もいないからです。
ではなぜプレゼントやチャンスをつかみそこねるかと言うと、間違った思い込みを持っているからです。

その間違った思い込みの最たるものが不健全な神イメージです。

私たちはステップ1で無力を認め、ステップ2で自分を超えた大きな力が私たちを健康な心に戻してくれると信じました。
けれどもその自分なりに信じた神に対して不健全なイメージを持っていると、回復という贈り物を受け取ることができません。

ではどうしたら不健全な神イメージを健全なものに変えていくことが出来るのでしょうか?

2.神の配慮に委ねると神イメージが健全になる

人々と神に責められる

癇癪持ちが怒りを爆発させる理由の一つに被害者意識があります。
この被害者意識は人々と神に対して向けられています。
「今まで多くの人々によって自分は傷つけられてきた」という被害者意識があると、「あっ、また傷つけられそうだ!」と感じるだけで怒りを爆発させるようになります。

もう一つは神への怒りです。
「神でさえも私を助けてくれなかった」という神に対する恨みです。

この神への怒りには合理的な根拠がありません。
もちろん人間は合理的な根拠で動く存在ではなく、感情に動かされる存在です。

しかしながら「自分を裁く神」というイメージを持ったままでは神の力を自分のものにすることはできません。
なぜなら、その人が手にするのは「自分を裁く」ことだからです。

ですからどうしても神イメージを変える必要があります。
神イメージを変える秘訣は神の配慮に自分の意志と生き方を委ねることです。
神の配慮に委ねる歩みを続けると徐々に神イメージが健全なものになっていきます。

ある人々は瞑想やアファメーションによって神イメージを健全なものにしようとしますが、多くの場合において変化するのは建前でしかありません。
普段は変わったように自分でも思っていても、いざ一大事みたいなことがあると途端に以前の神イメージが戻ってきてガッカリということの繰り返しになります。

本当に神イメージが変わるのは自分の人生を神の配慮に委ねたときだけです。
では神の配慮とは何でしょうか?

3.行動のプログラムに取り組みさえするなら回復するという神の配慮

行動のプログラムに取り組むなら回復する

ステップ4から9までの行動のプログラムに取り組むなら必ず回復するというのが神の配慮です。

ですから「委ねると決心する」とは行動のプログラムに取り組む決心にほかなりません。

行動のプログラムとはステップ4から9までを指しています。
すなわち棚卸し作業(4・5)、古い行動パターンを使わず新しい行動パターンだけを使う決心と実践(6・7)、埋め合わせ作業(8・9)の三つです。

この三つをやることが、まず第一の神の配慮に委ねることになります。
もちろんこれが終わると第二・第三の神の配慮に委ねることが起きてきます。

しかしまず第一の神の配慮に身を委ねない限り、私たちの人生に平安が訪れることは決してありません。

祈りつつ取り組んでいくと次第に自分を超えた大きな力であり、自分なりに理解した神の力が心に流れ込んでくるのを体験し、人生がまるっきり変わってしまうことをも体験するようになります。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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