スリップしない・罪を犯さない秘訣は「はじめの誘惑を退ける」ことです。
最初の誘惑に勝ち続けるなら私たちがスリップしたり、罪に負けたりすることは決してないからです。
その秘訣を明らかにします。
1.「初めの一杯の狂気」とは精神面での強迫観念のこと
アル中が一杯ぐらいかまわないだろうと思って飲み始めると、とまらなくなり、酒に自分自身が飲まれるまで飲んでしまいます。
アル中が「一杯ぐらい」と思って飲み始めるとき、心の中では「2杯目、3杯目で止める力が自分にはある」と考えています。
しかし実際にはアル中にはそんな力は残っていませんから、一杯目を飲み始めると自分が分からなくなるまで飲みます。
それで結局、酒に飲まれないためには、最初の一杯を飲まないことしかないのを悟ります。
2杯・3杯飲んだ後で次の酒を飲まないで済ませる力はないとしても、最初の一杯を飲まないでやり過ごす力は、神から与えられているからです。
AAに集う元アル中の方々は、毎朝起きるとベッドにひざまずいて「神様、はじめの誘惑を退けることが出来るよう力を与えください」と祈ります。
このようにして最初の一杯を飲まないことによって、アルコール抜きの新しい人生を神と共に歩み始めるのです。
2.この教えはどのように適用できるか?
私たちが罪を犯すとき、どのような過程を通って罪を犯すに至るかを考えてみると、アル中が酒を飲むに至る過程と酷似していることに気づきます。
「ネットポルノ」「夫婦以外の者との性交渉」「怒りの爆発」などの誘惑を強く受ける方が多いと思います。
一つ一つ見ていきます。
①ネットポルノ
昔は本屋に行かないと、その類の雑誌を手に入れることは出来ませんでした。
しかし今の時代はネットにアクセスすれば、いとも簡単にポルノを見ることが出来ます。
これの依存症になっている人が多いようです。
若者は勿論、中年から老年に至るまで、ネットポルノ依存症になっています。
アメリカのテレビドラマ「Xファイル」の主演俳優は、ネットポルノを入り口にセックス依存症になってしまい、リハビリテーション施設に入所したことが、大きく報道されました。
②夫婦以外の者との性交渉
以前、妻子ある牧師が教会員の姉妹と性的関係を持ってしまい、大きな悲しみを教会に与えたことがありました。
もっともこの類のスキャンダルはあげ始めるときりがないほどに、ありふれたものです。
それだけこの誘惑が強い力をもって人々を引っ張る危険なものであることを示しています。
③怒りの爆発
「ありのままブログ」の個別ページでもっともアクセス数が多いのは「癇癪持ちからの解放」です。
それだけ世の中には、怒りが制御できないことを悩んでおられる方が多いのだと思います。
3.どうしたら罪を犯さないでいることができるか?
これらの三つのものに限りませんが、これらから守られるための方法は基本的には皆同じです。
①これは「死に至る罪」であるとの認識をもつ
アル中は再び酒を飲むと命がないと知っています。
だから再飲酒しないことに対して大きな力が働きます。
心の中で大したことないと思っているなら、その行動が止むことはあり得ません。
DV(パートナーへの様々な形での暴力)にしても、自分が怒ったら手が出て当然と考えているうちは止むことがありません。
これはれっきとした犯罪なのだという認識ができたとき、はじめて暴力は止まります。
私たちはどうでしょうか?
ネットポルノや婚外交渉を、男だから仕方ないとか、今の時代は当たり前であるとか、見え透いた偽りをもって自分を欺(あざむ)いていないでしょうか?
もし罪であるとの認識をもっているなら、この誘惑から守られるために大きな力が働きます。
②生活の行動パターンを変える
元アル中の方の体験談です。
仕事帰りに立ち寄るコンビニに酒が置いてありました。
その酒をいつか買ってしまうのではないかと危惧しつつ、そのコンビニに立ち寄る生活を続けていたそうです。
そうしたところ、ついにそのコンビニで酒を買ってしまい、再飲酒が始まりました。
そしてその時の再飲酒は、精神病院に入院するまで続いたのです。
その時、その方は精神病院の部屋で、今度退院できたら、酒を置いていないコンビニに行くようにしようと決心しました。
自分の弱点が何であれ、その引き金になるようなものが置いてあるところに近づかないということは非常に大切なことです。
もしあなたのブックマークやお気に入りの中に、ポルノ関係のアドレスが登録されているなら、即刻削除しなければなりません。
「どうせ誘惑に負けるし、どうせ罪を犯すのだから、時間が短くて済む方が良いではないか」などと詭弁を弄してはなりません。
あなたの目につくところから、すべての誘惑を取り除くことです。
③「絶えず祈りなさい」
これは有名な聖書の御言葉ですが、「絶えず」とは文字通り「絶えることなく祈っていなさい」ということです。
自分には罪に勝つ力がないことを認め、すきまなく神の助けを求めて祈るのです。
主の祈りの中にある「私たちを誘惑にあわせず、悪よりお守りください」という祈りが実現するために必要なのが、はじめの誘惑を退けるということです。
なぜなら常にはじめの誘惑を退けていれば、ついに罪を犯す機会は訪れないからです。
◎回復と平安を祈っています。