信仰は量より質とは行いの伴う信仰のこと。ではその三つの行いとは?

神の意志に従う

「信仰は量ではなく質である」という言葉の意味がわからないという方はおられませんか?
この記事ではこの言葉の意味がわからないとどうなるかを明らかにし、信仰の質とは何を指しているのかを具体的に解説しています。

        

1.「信仰は量より質」が分かっていないとどうなるか?

量で稼ぐ信仰

信仰は量ではなく質ということの意味が分かっていないと量で稼ごうとします。
理由は考えて答えが見つかりそうなら、そうするのですが、とても答えが見つかりそうにないので、とりあえず今までのやり方を続けるしかないと考えたからです。

しかし本質を考えることなしに闇雲(やみくも)に量を稼ぐやり方を続けた結果、私たちの人生は思い通りに生きていけなくなりました。

たとえば「人が怖い」ので人々から孤立するという嗜癖を使うと、当然のことながらトラブルが発生します。(ACの問題の1番目)
また「人が怖い」ので自分の意見を述べようとすると罪悪感を感じ、黙ってしまうことを嗜癖として使う場合もあります。(ACの問題の7番目)

これらの嗜癖を使っていると人間関係のトラブルが起きるのは当然とも言えます。
私たちは事もあろうにそのトラブルが発生した人に対して恨みの感情をいだきました。
それは(周りとうまくやっていきたいと願う)共存本能や(自分の生きる環境を安全・安心の状態に保ちたいと願う)安全本能が傷ついたからです。

ここまでの部分をお読みになられた読者のみなさんは「何という奴だ。全部自作自演の一人芝居ではないか?こんな人が本当に存在するのか?」とお思いになるかもしれません。

しかしこれは多かれ少なかれ私たちの姿ではないでしょうか?

人生が行き詰まった結果、自助グループにたどり着き、12ステップに取り組み始めるのですが、悲しいかなここでも同じ手を使おうとします。

すなわち「量でかせぐやり方」です。
このやり方は長年使ってきており、使いなれた手でもありますし、これ以外には知らないということもあります。

しかし人生が思い通りにならなくなった真の原因である「闇雲に、脊髄反射的に、反応してしまう」(ACの問題の13番目)ことを嗜癖として使ってはなりません。

質より量にフォーカスを当てることを宗教的熱心と言いますが、「宗教的熱心は何の役にも立たない」と言われて途方に暮れたのはありのパパです。
「信仰に熱心になる。そのどこがいけないのか?」という疑問に答えは長い間与えられませんでした。

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アダルトチルドレンが使う病的な人間関係嗜癖の一覧表 1.私たちは人が怖いので人々から孤立することを嗜癖として使…
        

2.信仰の質とは行いが伴った信仰を指す

行いの伴う信仰

「行いの伴わない信仰は死んでいます」[新約聖書ヤコブの手紙2:17]

驚くことに信仰には生きている信仰と死んでいる信仰があるというのです。
12ステップが言うところの生きている信仰とはステップ4から9までの「行動のプログラム」と10から12の「続けるステップ」に取り組むことです。

行動のプログラムも続けるステップも12ステップの中核部分を占めています。
「それでは初めからステップ4をやればいいではないか?」と言った方がおられました。

しかしステップ4以降に取り組むためにはステップ1で無力を認め、ステップ2で自分を超えた大きな力が私を健康な心に戻してくれると信じ、ステップ3で自分なりに理解した神に自分の意志と生き方を委ねる決心をしておく必要があります。

それらなしには行動のプログラムに取り組むことは決してできません。
「えっ?私は我力(がりき)でやりましたけど?」という方もおられるかもしれません。
ここで言いたいことは「我力でやっても効果が薄いですよ」ということです。

だから逆に言うと恐れが強い人のほうが有利です。
なぜなら恐れが強い人は「とてもではないが私にはできない。神様、どうぞ取り組む勇気と力を与えてください」と神に頼るからです。

信仰の質とは行いを指しており、その行いとは神に頼りつつ行動のプログラムに取り組むことを意味しています。

        

3.「行い」とは棚卸し・新しい行動パターン・埋め合わせ

棚卸し作業
行動のプログラムには三つあります。
棚卸し作業・新しい行動パターンを生きること・埋め合わせ作業の三つです。

①棚卸し作業(ステップ4・5)

ステップ4・5の棚卸し作業は人生が変わる転機的営(いとな)みです。
そしてステップ10の日々の棚卸しは人生が変わるための継続的営(いとな)みです。

これをやり続けると人生が変わらざるを得なくなります。
人生が変わるとは自分が見えてくるということです。

棚卸し作業を我力でやっても分かったつもりになるだけの危険がありますが、それでも構わないとありのパパは考えています。
なぜならいつかは本物(ほんもの)になるからです。

②新しい行動パターンを生きること(ステップ6・7)

ステップ6で古い行動パターンを使わない決心をし、ステップ7で新しい行動パターンだけを使って生きていく決心と神に助力を求める祈りをします。

多くの方は「新しい行動パターンだけを使って生きていくのは難しい」と思われるかもしれません。
しかしながら「難しい」と感じるのは新しい行動パターンを我力で実践しようとするからです。

古い行動パターンを使っていれば楽かもしれませんが、人生は確実に棒に振ります。
人生を棒に振るのがイヤなら、神に頼りつつ新しい行動パターンに全力投球です。

③埋め合わせ作業(ステップ8・9)

埋め合わせの本質は謝罪ではなく遺憾の意を表すことです。
もちろんある場合には謝罪であり、賠償金を支払うのが埋め合わせとなるときもあります。

ただ、埋め合わせの本質的部分はそこにはなく、遺憾の意を表し続けることにあります。

ありのパパの埋め合わせ作業の対象は母と姉に対してでした。
介護施設に入所していた母に毎月、精神病院に入院している姉のところには二ヶ月に一度、面会に行くことがありのパパにとっての埋め合わせ作業でした。

先日、母が亡くなりました。
16年間埋め合わせ作業をしたことになります。
多くの人が親が亡くなったあとに感じる「これをしてあげれば良かった。あれをしてあげればよかった」という罪悪感と後悔を16年間の埋め合わせ作業のために感じなくてすみました。

母に謝(あやま)ったわけではなく、ただただ面会に行っただけのことですが、それがありのパパにとっての埋め合わせ作業でした。

これが埋め合わせは謝罪ではなく、遺憾の意を表し続けることであるということの意味です。

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