依存症者は嗜癖を否定し、アダルトチルドレンは不快感情を否定する!

依存症者は嗜癖していることを否認し、ACは不快感情をもっていることを否認します。
この記事では不快感情を否認していると棚卸し作業ができないことを明らかにし、どのようにして棚卸し作業に取り組めばうまく行くのかを解説しています。

        

1.不快感情を否定するアダルトチルドレン

 

アルコール依存症者は「俺は単なる大酒飲みに過ぎない」と詭弁を弄(ろう)し、薬物依存症者は「薬なんか止めようと思えばいつでも止められる」と強がりを言います。

特定の物質や行為を嗜癖として使っているのを認めることに否認・抵抗があるのはある意味では当然のことです。

これに対して病んだ人間関係を嗜癖として使うACが嗜癖を認めるのはそんなに抵抗がありません。
放っておくといつまで経っても嗜癖自慢が終わらないほどです。

しかしそのようなACがいざ棚卸しに直面すると事態は一変します。

本人:「私には恨みはありません(きっぱり)」
ありのパパ:「それでは棚卸し作業を申し込んだのはなぜですか?トホホ(心の声)」
このようなACが多いというのが、ありのパパの個人的な印象です。

そのため以前は「とにかく棚卸しすればいい。そうすれば回復する」と考えていたのですが、現在では「闇雲に棚卸し作業に取り組んでも仕方がない。取り組む前に否認を解除することが絶対条件だ」と考えるようになりました。

        

2.自分の弱さと力の両方に焦点を合わせる

棚卸しのやり方

「ACのための12のステップ」という書籍には「自分の弱さ(限界)と力(強さ)の数々に平等に焦点を合わせた」(80頁3行目)とあります。

自分の弱さとは古い行動パターンを指しています。
私たちACは古い行動パターンを洗練させて現実の世界に対処しようとしました。
しかしそのような対処方法ではうまくいきませんでした。

それにもかかわらず「今度こそうまくいくかもしれない」と考えて以前と変わらない行動パターンを使い続けます。
この同じ手を使っているにもかかわらず、根拠なく『今度こそうまくいくかもしれない』と考えるのは依存症者特有の考え方だと言われます。

皆さんには思い当たるフシはありませんか?
ありのパパは思い当たるフシが大ありでしたが、指摘した相手に逆ギレして怒りを感じる体(てい)たらくでした。

力・強さとは新しい行動パターンのことです。
その人個人の人格的強さが表れるのが新しい行動パターンを考えているときです。
ある方は「相手に与える立場に立つ」と言われました。
これはとても強い人格の力を表しています。
もちろん神の力なしにはできないことですが、私たちはステップ6・7で神と協働しながら古い行動パターンを使わない決心をし、新しい行動パターンだけを使う決心と実践をします。

よく「私にいいところなんか一つもありません」という方がおられます。
これが真実なら、その人はステップ6・7を践むことができないということになります。
しかし神はすべての人に新しい行動パターンを実践できる人格的力を与えておられます。

ところで話は変わりますが、「自分にいいところなんか一つもない」と仰る方に「そうですね。あなたにはいいところが一つもありませんね」と答えようものなら、首を絞められること必定(ひつじょう)です(笑)。
私たちは偽りの自己卑下に陥らずに自分を変える勇気に直面しようではありませんか!

        

3.あやまちを単に認めるのではなく、あやまちの本質を認める

ステップ5はあやまちを単に認めるのではなく、あやまちの本質を認めるステップです。
あやまちを認めるとは「こんなことした。あんなことした」と白状することです。
これに対してあやまちの本質とは自分の人生を支配しているカラクリ、すなわち古い行動パターンに気づくことです。

単にあやまちを認めるだけの棚卸し作業をする人はあたかも裁判所の被告人席に座っている人のようです。
これでは棚卸し作業が楽しいはずがありません。

古い行動パターンを見つけ出し、新しい行動パターンを考える棚卸し作業はあたかも宝探し探検隊に参加している人のようです。
心がうきうきして目がキラキラします。
それはそうです。毎日が新しい発見の連続です。
「そうか。これが私の人生を支配していた行動パターンか!こんなものを使っていたら人生が行き詰まるのは当然だ。新しい行動パターンを使ったらこれからの人生は変わらざるを得ない」との思いに満たされます。
そしてうれしいことにその驚き・期待感は一生を通じて持続・拡大するのです。

ありのパパは個人的には依存症やACでない人でも12ステップに取り組むなら人生を変革することができると信じています。
しかし実際には自分の人生が思い通りにならなくなった人でなければ12ステップに取り組むのは非常に難しいだろうと思っています。
なぜなら自分を変える勇気に直面することは非常に困難だからです。

そういう意味ではAC・依存症になってよかったと心底思っています。
同様に自助グループの仲間に対してもお腹の中で「依存症になってよかったね」と思っています。
それは依存症にでもならなければ12ステップに取り組んで人生が変わる経験はできなかっただろうからです。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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