人間関係嗜癖が依存症に伴うものか、アダルトチルドレンかの見分け方

病的な人間関係嗜癖

「依存症からの回復だけでなく、人間関係嗜癖からも回復したい」と考えている方はおられませんか?
この記事では人間関係嗜癖の二つの出どころを明らかにし、各々の回復方法を解説しています。

1.人間関係嗜癖はどこから来るか?

病的な人間関係

人間関係に嗜癖する原因は二つあります。
一つは依存症に罹患したことに伴う人間関係嗜癖であり、もう一つはそもそもアダルトチルドレンであり、病的な人間関係を嗜癖として使っている場合です。

①依存症に伴う人間関係の嗜癖

依存症に罹患すると多くの場合に人間関係の嗜癖に陥ります。
ギャンブル依存症を例にして考えると、持ち金がスッカラカンになると金を持っていそうな人に擦り寄ります。
「なぁ〜、金を少し貸してくれよ」という感じです。
家族やパートナーや友人や会社の同僚がお金を貸してくれるかくれないかで一喜一憂するようになり、徐々に人間関係に嗜癖していきます。

これが依存症に伴う人間関係の嗜癖です。

②アダルトチルドレンの人間関係嗜癖

アダルトチルドレン(AC)は目に見える嗜癖を持っていない場合もあるため、自分が依存症者だとはなかなか気づくことができません。
しかし皮を一枚めくると病的な人間関係を嗜癖として使う立派な依存症者であることが分かります。

ACが使っている病的な人間関係嗜癖には13個あり、「ACの問題」として知られています。
興味のある方は下記の[アダルトチルドレンの問題リスト]をご覧ください。

2.人間関係嗜癖の取り扱い方

病的な人間関係

①依存症に伴う人間関係の嗜癖

依存症に罹患した人がミーティングに参加したり、12ステップに取り組む中で自己洞察が進み、「自分の問題は依存症だけだと思っていたが、人間関係嗜癖も問題かも?」と思い始めます。

それでACや感情と情緒の自助グループに顔を出したりします。
しかしこれは多くの場合に依存症からの回復に良い影響を与えないようです。

なぜなら回復のためのエネルギーが分散されてしまうからです。
エネルギーを集中させても、やっとこさ回復できるかどうかなのに、分散させてしまってはとてもではありませんが回復はおぼつきません。

そしてここが肝心ですが、依存症に伴う人間関係嗜癖は依存症からの回復に伴って消失するかあるいは気にならなくなります。
例えばアルコール依存症の場合ですと、どんなことをしてでも酒を飲むことに強い意志を発揮するために、他のことは犠牲になります。
そうすると「私のことなんか誰も信用してくれない」と思い、その反動で病的な人間関係に嗜癖するようになります。

しかしアルコール依存症から回復すると、他のことを犠牲にしてまで飲酒することがなくなりますから、次第に人間関係が復活します。
そうするとわざわざ不健全な人間関係に嗜癖する必要もなくなります。

ありのパパのことを申し上げると、物質依存は持っていませんが行為依存を持っています。
この場合でも行為依存に伴う人間関係嗜癖なのか、それともそもそも人間関係嗜癖を持っていたのかの見極めが大切です。

怒り依存症から回復する過程ではACの回復はいったん棚に上げました。
そして一応の回復を見た時に、自分の中にはっきりと人間関係嗜癖が残っているのを発見しましたので「私はまごうことなきアダルトチルドレンである」という自己認識をもつことができました。

②アダルトチルドレンの人間関係嗜癖

依存症から回復した後でも人間関係嗜癖が残っていたら、どのように対応すればよいでしょうか?
それはやはり依存症とは別枠(べつわく)で対処する必要があると、ありのパパは考えます。
なぜなら人間関係嗜癖が残ったままでは依存症から回復したとしても、いわゆる「止まっているだけ」の状態だからです(実は止まっているだけでも素晴らしいのですが)。

ACの人間関係嗜癖とは例えば「人を恐れて、人々から孤立する」というものです。
人を恐れるのは性格上の欠点であり、人々から孤立するのは嗜癖として使っています。
これを取り間違うと延々と堂々巡りをする羽目(はめ)に陥ります。

もう一つ例を出すと「自分が何者か分からないので、病的に承認を求める」というのは自分が何者か分からないので恐れるのは性格上の欠点です。
そして嗜癖として病的に承認を求めます。

3.アダルトチルドレンの統合作業とは?

祈りと黙想

統合作業とはステップ11の祈りと黙想を通して[アダルトチルドレンの問題リスト]にあるものを一つ一つ吟味する作業です。

具体的なやり方は祈りと黙想を通して教えられたことを専用のノートに記します。
次の日はその書いたものを読んで祈りと黙想を行います。
そうすると深い気づきが与えられるようになります。

日常生活では自分自身に向かって事あるごとに「今のは嗜癖として使っていなかったか?」と問い掛けます。
そうすると初めのうちは「使ってなどいない。あれは正当防衛だ」と強い否認がありますが、問い続けていると徐々に否認が解け、「あれは嗜癖として使っていた」と認めることができるようになります。

ありのパパのことを申し上げますと、一つの項目に初めのうちは何ヶ月も掛けていましたが、現在では一週間ずつ掛けるようになっています。
現在でも統合作業を行うたびに新たな気付きが少なくとも一つは与えられています。

人間関係嗜癖は物質や行為依存とは性質が異なり、自分が使っているのかいないのかさえはっきりしないところがあります。
確実なことは人生を棒に振るということです。

そしてこれらのものは嗜癖ですから、一生治ることはありません。
回復という名前の執行猶予が与えられている状態を死ぬその時まで保つために統合作業を行い続けます。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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