アダルトチルドレンの見捨てられ不安の原因とその解消方法!

ご自分の中に「見捨てられ不安」があり、そのため様々な嗜癖的行動に悩まされている方はおられませんか?
この記事では見捨てられ不安がどこから来ているかを明らかにするとともに見捨てられ不安と人に依存するという嗜癖の関係をも明らかにし、回復する方法を解説しています。

        

1.アダルトチルドレン(AC)の見捨てられ不安の原因

見捨てられ不安

ACの見捨てられ不安の原因は子供時代に養育者との関係から受け取ったものです。
ACの出身家庭は主に二つに分けることができます。
一つは虐待家庭であり、もう一つは養育放棄家庭です。

見捨てられ不安は後者の養育放棄家庭で子供時代を過ごしたACに多く見られるようです。

ありのパパの個人的経験を申し上げると、学校から帰ってくると家には誰もいませんでした。
父は外国航路の船員でほとんど家にいませんでしたし、母も頻繁に外出し、夜遅くに帰ってくるという生活をしていました。

ありのパパは家に帰って誰もいないとホッとしたのを覚えています。
なぜなら両親ともにトラブルメーカーであり、いなければトラブルの起きようがないからです。

しかしその時には感じませんでしたが、今振り返ってみるとやはり心のどこかで見捨てられる不安を感じていたのだと思います。

そういう訳で見捨てられ不安は子供時代の親との関係から受け取ったものであるのを分かっていただけたと思います。

しかし大人になってもそれを使い続けているのは本人の責任です。
大人になっても使い続けるとは、見捨てられ不安に直面しないために人に依存することを嗜癖として使うということです。

見捨てられ不安があるとたとえば親に殴られても「なぜ殴るのか?」と聞くことができません。
なぜなら「自分が愛されていない」という現実に直面することを避けるからです。

大人になっても見捨てられ不安が自分の中にあるのを気づけないでいると他者に理不尽なことをされても効果的に対処できません。
あたかもサンドバッグのようにやられっぱなしになります。
本人はなぜそのような対処しかできないのか分からず途方に暮れるのですが、本当の原因は見捨てられ不安にあります。

        

2.人に依存することを嗜癖として使うようになる

人に依存する

愛されていないという現実に直面することを避け続けると、次第に人に依存することを嗜癖として使うようになります。
なぜなら「あなたの言いなりになるから私を愛してね」という心理が強く働くからです。

過度に人に依存的であるのも、従順であり過ぎるのも、これが理由である場合が多いようです。

この問題の根っこにあるのが見捨てられ不安です。

「私たちは人に依存することを嗜癖として使う。子供時代に経験した見捨てられる痛み(見捨てられ不安)に直面しないためなら、私たちはどんなことでもやってのける」(ACの問題の12番目)
https://wp.me/PEPCG-45n

嗜癖とはアルコール依存症におけるアルコールと同じ位置づけがされるものです。
そして私たちは嗜癖に対して無力です。
無力とは「どんなに使わないと決心しても、気がつくと人に依存することを嗜癖として使っている」ということです。

無力と無気力は違います。
無気力とは初めから使わない気などさらさらないにもかかわらず「私は無力です」と言って自分を納得させることです。

        

3.アダルトチルドレンの見捨てられ不安の解消方法

全き愛

無力を認めると「自分を超えた大きな力だけが私たちを健康な心に戻してくれると信じるように」なります。
これは自分では戦うの止めてしまうということを意味しています。
このような人はまちがっても「また負けてしまった」などとは仰いません。
なぜなら「無力なんだから負けて上等。それがどうした!」ってなもんだからです。

しかし実際は自分の無力を本当に認めた人がそうやすやすとスリップすることはありません。
なぜなら無力を本当に認めた人には神の力が働くからです。
もちろん無力を認めたあとにすばやく棚卸し作業に突入せずに期間を置いてしまうとスリップする危険が飛躍的に増大してしまいますが。

無力を認めた人が棚卸し作業に取り組まないのは論理的にはありえないことです。
しかし私たちは往々にしてそのようなことをしてしまいがちです。

ありのパパなどは40歳の時に無力を認めたのですが、実際に棚卸し作業に取り組んだのは58歳のときでした。
実に18年間も先延ばしをしたのでした。
そのため働き盛りの人生を棒に振ってしまいました。

このブログをお読みいただいている皆さんには、ありのパパのようになってほしくないと切に願っています。

棚卸し作業に取り組んで明らかになるのは自分の人生を支配する行動パターンの存在です。
行動パターンには恐れが動機で不正直な行動パターンや、利己的動機が原因で配慮が欠如するパターンなどがあります。

見捨てられ不安をもっている人は「自分が愛されてなかったらどうしよう」と怯えています。
そして怯える人には当然のことながら自分のことしか考える余裕がありません。

解決方法はその心配・恐れをいったん脇に置いて、「少なくとも私はあなたを傷つけないということを分かっていただくためにどのように接すればよいだろうか?」ということを考え、全力で敬意をもって接することです。

全力を尽くしているときだけ、私たちの中から恐れが締め出されます。
これが新しい行動パターンということになります。

「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには(厳しい現実に直面して傷つくという)刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は全きものとなっていません」(聖書)

◎回復と平安と祝福を祈っています。

https://wp.me/PEPCG-4vj

        

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