自助グループに参加しながらも心のどこかで「自分はいつか治るのではないか?」と期待している人はおられませんか?
この記事では治ることを諦めない限り回復の歩みが安定しないのを明らかにしつつ、回復するための二つの解決策を解説しています。
目次
1.「治らない。しかし回復は可能。だから回復に専心しよう!」が分からないとシラフを保てない
心のどこかで「治るんじゃね?」と期待している限り、回復の歩みは遅々として進みません。
なぜならそれは事実と異なるからです。
「私は一生治らない」と肝(きも)に銘じ、対策を立てて厳格に実行する人だけがシラフを保つことができます。
「治るかも?」と心のどこかで期待している人はどうしても脇が甘くなりますし、対策の実践もアマアマ・なあなあになりがちです。
ミーティングでありのパパが「一生治らない」と分かち合いをすると、不本意であるというような表情を見せる仲間がいます。
ありのパパはそのようなときに心の中でその人のために祈ります。
しかし治らないのを認めない人はいつかはミーティングにやってこなくなる場合がほとんどです。
聖書に「針の穴」という記述があります。
これはラクダに人が乗ったままでは通ることができない背が低い門を指しています。
これが表している意味は「私は無力であり、神にすがるほかはない者です」と告白する者だけが神の門を通ることができるということです。
12ステッププログラムにおいて「治らない」と「無力を認める」は同義語です。
片方では「ひょっとして治るかも?」と思っていながら、もう片方では「私は無力でございます」としおらしく告白しても、それは茶番劇でしかありません。
2.無力が本当に分かったら自然に神を信じるようになる
12ステップグループは宗教やカウンセリングを否定しません。
宗教をもっている人はそのままでいいし、カウンセリングを受けている人は続けて受ければよいとします。
しかしこれは12ステップと宗教とカウンセリングの三本柱で回復を目指せば良いと言っているわけではありません。
どの自助グループのテキストにも「依存症には宗教もカウンセリングも効果がなかった」と明記されています。
中にはカウンセリングの流派の名前を特定しているものや、宗教的解決は否認の中の最も大きな罠であると書いてあるものさえあります。
これの意味するところは宗教やカウンセリングに対する攻撃ではありません。
そうではなく12ステップによって回復した多くの人々の共通する体験に過ぎません。
ですから今現在カウンセリングを受けている人は受け続ければよいし、宗教をもっている人はそれを続ければよいのです。
ただシビアな現実があります。
「カウンセリングで回復可能かも?」と期待している人はステップの1の無力を認めることが難しいということです。
これは全員がそうだというわけではなく一般的にはそう言えるということです。
そして無力を認めていなければステップ5に取り組んでも効果を発揮することができません。
これは多くの方の棚卸しを聞かせてもらってきたありのパパの個人的な感想でもあります。
全ての希望が打ち砕かれて「12ステップに取り組んで霊的に目覚めるしか生き延びるすべがない!」という人だけが無力を認めることができます。
そして無力を真に認めることができれば、ごく自然に「自分を超えた大きな力が私たちを健康な心に戻してくれる」と信じるようになります。
3.解決策は感情をブラックボックスからガラス張りにすること
解決策は二つあります。
それは共同体から受ける助けと支えであり、もう一つは霊的に目覚めることです。
①共同体から受ける助けと支え
アダルトチルドレン・共依存症やその他の依存症に罹患している人は往々にして否認という名前の鉄カブトをかぶっています。
そして悪いことに鉄カブトをかぶっていることに気づいていません。
この否認を打ち破らないと回復はありえません。
これを打ち破る唯一の方法はミーティングに参加して仲間の話を聴き、自分の話をすることです。
初めのうちは人の話を聞いても「おかわいそうに。私はあんなにひどくない」と真顔で思うものですし、自分の話をしても建前ばかりで何を言いたのかさっぱり分かりません。
これは全部ありパパのことを言っています。
しかし続けて参加していると「あの仲間の話は私にも当てはまるのではないか?」と徐々に否認が解除されてきます。
そして自分の話をし続けていると建前というのはいつかはネタ切れになるものですから、徐々に本音が口をついて出てくるようになります。
このようにして「かつては自分の心の中が全く見えなかったのが、今は『自分はこんなことを考えていたのか!』とよく見えるようになった」という状況が必ず訪れます。
②霊的に目覚める
霊的目覚めは宗教的体験とは違います。
中には霊的体験をする人もいますが、12ステップがお勧めするのは霊的に目覚めることのほうです。
霊的に目覚めるとはかつては自分がなぜ怒ったり恐れたりするのか分からなかったのが、今ではその理由を明確に知っており、しかも感情が暴走しないための確実な方法を身につけていることを指しています。
ちなみにありのパパもかつては「なぜこの場面で怒りを爆発させるのだろうか?」と自分のことでありながら、自分の内面で起きていることを理解することができませんでした。
文字通り自分の内面はブラックボックスでした。
しかしそれが今ではブラックボックスからガラス張りの心へと変化することができました。
ガラス張りの心とは感情が暴走すると、四つの不快感情のうちのどれが暴走したのかが分かり、どの本能が傷ついたのかも分かることです。
さらにどの古い行動パターンを使ったので本能が傷ついたのかも日々の棚卸しをすれば分かるようになりました。
回復のための確かな道は「私は治らない。一生このまま」と治ることを諦め、自分を超えた大きな力によって二つの解決策を実践することです。
◎回復と平安と祝福を祈っています。