病的コントロール欲求を人と神に発揮する人々。回復の道は二つだけ!

「なぜ自分はこんなにもコントロール欲求が強いのだろうか?」と思っている方はおられませんか?
この記事では病的なコントロール欲求が人と神に対して現れることを明らかにし、そこから回復する方法を解説しています。

        

1.過剰な世話焼きは病的なコントロール欲求が原因

過剰な世話焼きと病的なコントロール欲求

前の記事では過剰な世話焼きは自分の問題を見ないためであることを明らかにしました。
そして過剰な世話焼きをする理由がもう一つあります。
それは病的なコントロール欲求です。

健全なコントロール欲求は誰にもあるものであり、場をコントロールすることは必要なことです。
場をコントロールする気がさらさらない養育者に育てられると子供は混乱し不安感情をいだきます。
ですから健全なコントロール欲求は大切であると言えます。

では健全なコントロール欲求と病的なコントロール欲求のちがいはどこにあるのでしょうか?
それは健全な場合は「私はやるだけやったから、あとは手放して神にお任せ」という心の動作が出来ることです。
これに対して病的なコントロール欲求は「私がこれだけやってやったのだから、お前は必ず私の思ったとおりに行動しろよ!」という強迫的な考えが伴っています。

要するに病的なコントロール欲求を持っているから過剰な世話焼きをするというわけです。
そもそも病的なコントロール欲求がなければ過剰な世話焼きも出てこないのです。

        

2.病的なコントロール欲求を神に対して発揮していませんか?

病的なコントロール欲求を神に対して発揮する

病的なコントロール欲求は人に対してだけ発揮されるものではありません。
むしろ神に対して発揮されやすいものです。

ことに宗教をもっている人にはこの傾向が強いようです。
どの宗教にもたいてい「こうすれば神は答えてくださる」というものがあります。

例えばキリスト教には恩寵(おんちょう)の手段というものがあります。
聖書通読・祈り・集会出席・伝道&奉仕・献金の五つが恩寵の手段の内容です。(これは時代によって、教派によって微妙に異なります)

ありのパパは内心では「なぜこれをやると願いが叶うのか分からない」と思いつつも、とりあえずやってみると言うか、それ以外に願いを叶える方法を知らなかったので文字通り熱心に実行し続けました。
40年間盲目的にやり続けましたが「人生は1mmも変わらなかった」という惨憺たる結果に終わりました。

小学校5年のクリスマスから教会学校に通い始めました。
正月も教会学校に行こうとする私に家族は「なんで教会に行くの?」と聞きました。
それに対して私は「良いお話を聞きに行くため」と答えると、家族は爆笑しましたが、振り返ってみるとこれが神を求め始めた最初のときとなりました。

では子供の時に神を信じて万々歳となったかというと、そうはなりませんでした。
理由はありのパパが神に対して病的なコントロール欲求を発揮したからです。
そもそも信仰は病的なコントロール欲求を捨てるためにあります。
そうであるのにありのパパは機能不全家庭で育ち、人が怖かったので人に自分の願いを言うことが出来なかったので神に願いを話しました。

これだけ聞くと美しい信仰の物語ですが、実際はそうではありませんでした。
病的なコントロール欲求むき出しの信仰でした。
当時はそれが悪いとか、間違っているとかは一切思いませんでした。

さて、この記事を読んでおられるみなさんはいかがですか?
神に対して「俺の言うこと聞けよ!」「私の願いはマストだからね!」などと思っておられないでしょうか?

神が答えてくださる祈りは三つだけ

神が答えてくださる祈りは三つだけです。

①今日一日のシラフを与えてください

②神の意志を教えてください

③神の意志を実践する力を与えてください

残念ながら上記以外の祈りがかなえられることは決してありません。
しかしこの三つの祈りが答えられれば、私たちの人生はうまく行きます。
だからこれ以外の祈りが答えられる必要はありません。
と言うか、これ以外の祈りをし続けたから私たちの人生は思い通りに生きていけなくなったのではないでしょうか。

        

3.病的なコントロール欲求を使わない方法

病的なコントロール欲求から回復する

①嗜癖認定する

病的なコントロール欲求を使わない唯一つの方法は病的なコントロール欲求を嗜癖認定することです。
アルコールや薬物と同じように「私は病的なコントロール欲求に対して無力です」と認めます。

「私たちは人間だから」とか「誰にもあるよね」などと言い訳をしている間は決して回復することはありません。
きっぱりと縁を切る決心をすることです。

嗜癖として認めることさえできれば、あとはある意味では簡単(シンプル)です。
朝ごとに「私は病的なコントロール欲求に対して無力です。どうぞ今日一日だけ使わないように助けてください。私には出来ない。しかし神には何でも出来るからである」と祈って、一日を始めます。

②不快感情がなくなれば嗜癖を使う必要はなくなる

そもそも病的なコントロール欲求を使うのは不快感情から逃れるためでした。
だから不快感情がなければ嗜癖を使う必要もなくなります。
そのためには本能が傷つかないようにする必要があります。
私たちの本能を傷つけるのは他者ではなく私たちの性格上の欠点からくる行動パターンです。
ですから行動パターンを新しいものに変えれば本能は傷つかなくなります。

日常生活の中で「この状況でどのように振る舞うことが新しい行動パターンを使うことになるのだろうか?」と途方に暮れることがしばしばあります。
そのようなときは「神様、どうぞ私に神の意志を教えてください。そしてそれを実践する力だけを与えてください」と祈ります。
そうしたら神は必ず答えてくださいます。
百発百中です(笑)。
神の意志は私たちがシラフの人生を生きることだからです。

「神の御心は私たちが聖くなることです」(聖書)

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◎回復と平安と祝福を祈っています。

        

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