12ステップが提供する本質的な解決策は霊的目覚めです。
しかし霊的体験を得ただけではしらふを続けることは出来ません。
この記事ではしらふを続けるために大切なことは何かを解説しています。
1.治らないのを認めることと無力はセット
「自分は治らない」と認めるまでは無力を認めたとは言えません。
なぜなら「治った!」と思っている人が「自分は無力である」と認めるはずはないからです。
大切なことは焦点をどこに当てるかということです。
「スリップしているから自分は無力なのだ」という理解では全く不十分です。
これだとしばらくしらふが続くと「私はもう既に無力ではない」という考えに支配されてしまいます。
このように考えている限り、しらふとスリップを延々と繰り返してしまうことになるでしょう。
そうならないために大切なことは「私は生きている限り、治ることはない」という事実をしっかり認めることです。
これは主観的な事実ではなく、客観的な事実です。
脳の報酬系に依存症回路が出来ると、それは死ぬまで無くなることはありません。
死ぬまで無くなることはないのに「もう治った!」と考えることほど馬鹿げたことはありません。
しかし誰にとっても自分の無力を認め続けることは難しいことです。
なぜなら頭の中の依存症回路を見て、「やっぱり、あるな」というわけにはいかないからです。
そのため「分かったつもり」と「分かった」は違うということになってしまいます。
この客観的事実を主観的事実に落とし込むための方法は二つあります。
一つはミーティングでニューカマーやスリップした仲間の話を聴くことです。
これによって自分に言い聞かせるのです。「あの人は私が無力であることを教えてくれるために私の代わりにスリップしてくれたのだ」
すべった仲間の話を聞いて「いつまで経っても一向に回復しない困った奴だ!」などと思っている人はいませんか?
本当に困った奴はあなたです!(笑)
もう一つは毎日の祈りと黙想の中で「私の頭の中には依存症回路があり、それは死ぬまで無くならない」と黙想することです。
仲間の中には「私はまだステップ11まで到達していない」と仰る方が時々います。
しかしそんなことを言っていないで今日から祈りと黙想をお始めくださるように心からおすすめします。
この二つを忠実に繰り返しているなら、「分かったつもり」の事実は『私』にとっての真実となり続けます。
一回のミーティングの効力は一週間、一回の祈りと黙想の効果は今日一日だけです。
私たちは懲りずに「えっちらほっちら、なんだ坂こんな坂!」と営みを続けましょう。
2.短所と本能と感情と嗜癖の関係を理解するまではしらふを保つことが出来ない
しらふを保つことのみに焦点を当ててはなりません。
なぜならそれだと「ミーティングにだけ出ていればそれでいいや!」ということに必ずなるからです。
しかしそれだけではしらふを保つことは出来るかもしれませんが、生きづらさを解消することができません。
そのような状態を続けると、古い行動パターンによって自分の本能を傷つかせ、感情が暴走します。
不快感情が溜まりに溜まり、解消するために嗜癖を使わざるを得なくなります。
これがスリップを繰り返す真の原因であり、アルコールや薬物の依存症から回復した人々がギャンブル・感情と情緒・摂食・性・買い物などの依存症に移行する理由でもあります。
このようなことにならずに統合的しらふ(嗜癖に頼らない生き方)を達成するためにはどうしても生きづらさを解消する必要があります。
12ステップが教える生きづらさの解消とは、嗜癖を使うのは不快感情から逃れるためであり、感情が暴走したのは本能が傷ついたからであり、本能が傷ついたのは自分の性格上の欠点からくる行動パターンのせいであるという構造を理解することです。
これが頭に入ると、ブラックボックスだった自分の心が透明な存在になります。
たとえムッとするようなことがあったとしても、その理由を即座に理解することが出来ます。
そして日々の棚卸し・スポットチェックを実行します。
このようにして生涯を通して不快感情を溜めずに生きていくことが可能になります。
このような生き方を先ゆく仲間たちは『地上天国』と呼びました。
3.性の問題は依存症であることを理解する
昔は浮気を繰り返す男性を「浮気は男の甲斐性」と言ったり、恋愛を次々と繰り返す女性を「恋多き女」と呼んだりしました。
しかしこれらのものは性依存症の可能性があります。
性依存症は人類の最も隠された依存症ということが出来ます。
性的行為とアルコールや薬物との間には共通点があります。
それは使い続けるともれなく依存症になるということです。
性的行為をし続けても依存症にならないのは夫婦の間での営みだけです。
言い訳や否認をしている限り、回復はありません。
複数の依存症を持っている人は最も重篤な依存症からの回復に専心する必要があります。
「あれもこれもみんな依存症だ!」という態度は避けなければなりません。
なぜならそれは最も重篤な嗜癖行為への否認でしかないからです。
◎回復と平安と祝福を祈っています。