依存症は否認の病であると言われますが、どうしたら無力を認めることが出来るでしょうか?
この記事では自分の無力を認め続けるための方法を解説しています。
1.問題の本質は何か?
問題の本質は強迫観念と渇望現象に対して『私』が無力であるということです。
原因は脳の報酬系に依存症回路ができると理性を司る前頭葉が無力化されてしまうからです。
報酬系は欲求などをコントロールする器官であり、生存に直結しています。
そのため優先順位として、まず欲求を充足させてから、理性的判断をするという順番になっています。
ところが報酬系に依存症回路が出来ると欲求に対してアクセル踏みっぱなしの状態になってしまいます。
そうするとずっと欲求を充足させるモードになってしまい、理性の出番がやって来ません。
これが私たちが強迫観念と渇望現象に対して無力である客観的根拠です。
この説明を聞くと何か分かったような気になります。
しかし自分の無力が本当に分かるということと分かったつもりになるのは全然別のことです。
ではどうしたら客観的事実を自分の主観的事実へと落とし込むことが出来るでしょうか?
それは祈りと黙想によります。
ありのパパは日々の祈りの中で、この客観的事実を確認します。
そうすると心の中で「あっ、そうか。私はそもそも無力だった。それなのに戦おうとしていた。アホか!」という頷(うなず)きが毎回あります。
自分が無力であるという認識を規則正しく再確認する営みをしないでいると、いつのまにか「分かったつもり」になってしまい、気がつくと無力だと分かっていたら決してしないようなことをしています。
客観的根拠を「分かった」状態が続くのは今日一日だけです。
何もしないでいるといとも簡単に「分かった」は「分かったつもり」に変質してしまいます。
それで日々の『祈りと黙想』(ステップ11)の中で『最も大切な事実』(ステップ1)を確認する必要があるのです。
私たちは賞味期限が切れる前にリフレッシュする必要があります。
このようなわけで私たちのプログラムは24時間のプログラムであると言われます。
2.無力が分かったら戦いは止まる
自分が無力であると分かったら戦うはずはありません。
たとえば圧倒的に戦力にまさる他国に侵略されそうになったとき、どうにかして戦うことを避けようとするでしょう。
もちろん戦前の我が国のように一億玉砕(いちおくぎょくさい)を叫び、狂ったように国の滅亡へと突っ走る選択もあるにはあります。
しかし理性的な判断を保っている限り、戦わずに何とかしようとします。
ちなみにありのパパは何十年間にもわたって戦っては負け、戦っては負けを延々と繰り返していました。
その理由は戦っても負けると分かっていたのですが、ひょっとして今回はうまく行くかもしれないと考えたのでした。
ありのパパに12ステップを教えてくれた方は「その考え方自体が依存症者特有の考えなのです」と教えてくれました。
もう一つの理由は「戦って勝つ方法を知らないので、役に立たないと分かっていてもやるっきゃない!」ということでした。
まさに一億玉砕の精神です。
このような無益な戦いを続けた原因はたった一つです。
それは自分の無力が分かっていなかったからです。
3.共同体の助けと支えなしにソブラエティは守れない
(この記事ではソブラエティを嗜癖に頼らない生き方という意味で使っています)
どうしたら自分の無力を認めることができるでしょうか?
それはミーティングに参加して仲間の話を聴き、自分の話をすることです。
仲間の中には遅れてやってきて自分の話だけをして帰ってしまう人もいます。
そのような人にも事情があるのでしょうが、それにしてもその方は損をしています。
なぜなら共同体から受ける助けと支えとはミーティングに参加して仲間の話を聴き、自分の話をすることによって受け取るものだからです。
①仲間の話を聴く
どんな人でも初めのうちは仲間の話を聴くと「私はあの人ほど重症ではない」とか、自分のことは棚に上げて「おかわいそうに」とか思うものです。
実はありのパパがそうでした。
仲間の話を聴くことによって何が起きるかというと否認が解除されます。
それは自分では否認していることを仲間が堂々と語っているからです。
その話を聴き続けていればどうしたって自分の否認の解除に繋がるというものです。
②自分の話をする
はじめのうちは建前ばかり、表面を撫でるだけの話しか出来ません。
でもそれでいいのです。
なぜなら毎週話しをしていると、建前だけの話はいつかはネタ切れになります。
そうすると本音が少しずつ顕(あらわ)になります。
これは泣き言・毒吐きをぶっ放すというのとは全然違います。
本音が顕になるとは今まで自分でも気づいていなかった本音に気づき続けていくということです。
③田代まさしさんのこと
この記事を書いている時点で5回目の逮捕をされた田代さんですが、世間ではだいぶ風当たりが厳しいようです。
また仲間の中にもショックを受け、失望している人もおられます。
しかし5回目の逮捕だけに焦点を当ててはなりません。
今回の逮捕と前回の逮捕の期間は9年間でした。
最初の逮捕から数えるとしらふの期間は1年間⇒3年間⇒6年間⇒9年間となっています。
これを見ると明らかなように田代さんは逮捕されるたびにしらふの期間を延ばしています。
依存症専門の医師はこの事実に着目して「彼の回復は順調に進んでいる」と言われます。
彼が再びしらふの生活を始めるなら、63歳という彼の年齢を考えると天に召されるときまでソブラエティが続く可能性があります。
私たちはその事実にこそ注目すべきです。
それはそうと田代さんは約一年前に薬物依存症の中間施設であるダルクから離れていたという情報があります。
これの真意を確かめることはできませんが、もしこれが事実だとすると「共同体から離れて一年もしらふを維持することが出来たのか」ということになります。
依存症者は共同体から離れては決して嗜癖に依存しない人生を更新することは出来ません。
今回の田代さんの事件はそれを私たちに教えているようです。
◎回復と平安と祝福を祈っています。
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