癇癪持ちは憂鬱な日々を過ごさなければならないのでしょうか?
この記事では人生を笑って過ごすためのただ一つの秘訣が日々の棚卸しであることを明らかにし、日々の棚卸しの具体的な方法について解説しています。
1.癇癪持ちでも笑って過ごせる人生がある
怒り依存症などの行為依存をはじめとしたすべての依存症者が笑って過ごせる人生を送ることが可能です。
さらに依存症でない人々も12ステップに取り組むことによって人生を笑って過ごすことが可能です。
しかし嗜癖を持たない人々はわざわざ犠牲を払ってまで12ステップに取り組もうとはしません。
そういう意味ではアダルトチルドレンや共依存症者は幸運な人々であるということができます。
なぜなら12ステップに取り組まないと人生を棒に振ることが明白なので嫌々でも取り組まざるを得ません。
そしてその結果として笑って過ごせる人生を手に入れることが可能となります。
2.その秘訣は日々の棚卸し
その秘訣は日々の棚卸しを感情が動くたびに行うことです。
これだけで人生を笑って過ごすことができます。
多くの人々はいきなり短所の特定から入ります。
これはいけません。
なぜなら短所の特定から入ると、どうして防御的心理が働くからです。
「どうせ俺が悪いんだろ!」とか「私が死ねばいいんでょ!」などの言葉が自然に出てきます。
そうならないためには暴走した感情の特定から入ることです。
不快感情は四つしかありません。
それは恨み・罪悪感・恐れ・後悔です。
たとえば恐れの感情が暴走したときは自分自身に向かって「そうか、恐れたんだ。大変だったね」とまず感情を受容します。
そして次のどの本能が傷ついたのかを特定します。
本能も四つしかありません。
それは共存・安全・性・将来野心です。
恐れの感情が暴走するときは安全本能が傷ついたときが多いです。
これはある面では当然のことです。
なぜなら安全が脅かされたので恐れの感情が暴走したのです。
安全が脅かされて、後悔や罪悪感が暴走することはあまりありません。
ここまで来るとプチパニック状態だった自分自身も正気に戻りつつあります。
それはブラックボックス状態だった自分自身のカラクリが明らかになることによって人は心に落ち着きを取り戻すものだからです。
そのような状態になってからおもむろに自分の側の過ちの正確な本質を特定します。
物事に自分だけが悪いとか、相手だけに問題があるということはまずありません。
しかし他者を変えることは決してできません。
変えられるのは自分だけです。
だから私たちは変えられない他者を手放して、変えられる自分だけを問題にします。
性格上の欠点も四つしかありません。
それは利己的・不正直・恐れ・配慮の欠如です。
一つ一つ順番に見ていきます。
そうするとだんだんと自分の心の真相が見えてきます。
分かってみれば「なぁ~んだ!」ということばかりです。
それで「俺ってバーカー(笑)」と自分を笑うことができるようになります。
そして最後に自分に問いかけます。「もしこの状況で新しい行動パターンを使っていたら、それでもなお私はあの人を恐れたり恨んだりしただろうか?」
答えは「いいえ」です。
これが本当に腑に落ちると心は軽くなり、自分のことが笑えてきます。
これが人生を笑って過ごすためのただひとつの秘訣です。
3.うまく行かなくてもそれがどうした!うまく行ったらボロ儲け!
時々「何回やっても失敗します。本当にダメな私です」と仰る方がいます。
大変失礼な言い方で申し訳ないのですが、このようにいう人々はステップ1の無力を認めるということがどういうことか分かっていないのです。
失敗するのなんて当たり前のことです。なぜなら無力なのですから。
私たちが無力を認めたのは形だけ、表面だけのことだったのでしょうか?
そうではないはずです。私たちは失敗しても「それがどうした!」と背筋にピッと伸ばしている必要があります。
くずおれるのは傲慢だからです。
心のどこかで「私も大したもんだ。ここまで回復したぞ!」と自慢したい気持ちがあるのです。
このような心をそのままにしていると私たちはスリップに一直線ということになってしまいます。
ある人は「そんなこと言っても、時間が経つにつれてステップに習熟することによって感情が暴走することもなくなるはずではないか?」と聞かれます。
しかしそのような方にお伺いしたいのは「ではなぜステップ10で日々の棚卸しがあり、『間違ったときは直ちにそれを認めた』と書かれてあるのか?」ということです。
12ステップは私たちが生きている限りは「この野郎~、ゆるすまじ!」「あの人はもう~。なんていう人なの!」と思い続ける存在であることを前提にしているプログラムなのです。
しかしそれをそのままにしておかないで日々の棚卸しに行うことによって暴走した不快感情取り除くことができれば、それで御の字(おんのじ)なのです。
私たちは水準をあまりにも高く設定しないようにしたいものです。
◎回復と平安を祈っています。
