ACや共依存の方は「埋め合わせしてもらいたいのは私のほうである」と思っているので、埋め合わせ作業に積極的になれない場合があります。
この記事では埋め合わせを徹底して行うとどのような変化が起きるのかを解説しています。
1.どうしたらACや共依存症者が埋め合わせしようとする気持ちになれるか?
「埋め合わせしろ」と言われても、「はい、そうですか」とはならないのが普通ではないでしょうか?
それがアダルトチルドレンや共依存症者ならなおさらのことです。
積極的に埋め合わせ作業に取り組むことができるようになる秘訣があります。
それは「自分が人々に迷惑を掛けたことを清算する」にではなく「過去の残骸を清算する」ことに焦点を合わせることです。
どういうことかというと私たちは役者も監督も脚本家もすべてを兼ねようとした結果、人生が行き詰まってしまいました。
それを精算するのが埋め合わせ作業であるということです。
これならば他人のために埋め合わせ作業を行うのではなく、自分自身の人生を再起動するために埋め合わせ作業を行うわけですからモチベーションがアップします。
2.それはとりもなおさず共依存関係の清算
共依存症者は自分が人々に対して共依存の関係にあることを否認しています。
ACや共依存症者が次のようにいうのをよく聞きます。
「分かってはいるのですが、家族を自分の思い通りに動かそうとしてしまいます」
これは見え透いた言い訳にすぎません。
なぜなら本当に自分が共依存症だと認めていたら、そのようなセリフは金輪際(こんりんざい)出てこないからです。
共依存は相手をコントロールすることを嗜癖として使う依存症です。
私たちは嗜癖に対して無力ですから、共依存症者は相手をコントロールすることに対して無力です。
そもそも無力である病的なコントロール欲求に対して「分かってはいるがコントロールしてしまう」という言葉が出てくるのは、実はご自分が病的なコントロール欲求に対して無力ではないと言っているようなものです。
このような自分に気づくのに最適なのが埋め合わせ作業です。
ACや共依存症者が埋め合わせをした時に、相手がすぐにゆるしてくれなかったりすると腹が立つときがあります。
「あなたは私がこんなに謝っているのだから当然ゆるすべきである。それなのになぜゆるさないのか!」というわけです。
しかしこれもよく考えてみるとおかしな話です。
ゆるすかゆるさないかは相手の手の内にあることであり、あなたにはどうすることもできないものです。
埋め合わせをしても許してくれるときもあれば許してくれないときもあるというのが現実です。
それが相手に対して病的なコントロール欲求をもっていると、その事実を受け入れることができません。
それで恨みの感情が暴走します。
不快感情をなくすために埋め合わせ作業を行っているのに、新たに不快感情を溜め込んでどうしますか!(笑)
相手に対して怒りを感じなくなるまで、あるいは病的なコントロールを感じなくなるまで何回でも埋め合わせ作業を行います。
3.毒親がただのおばちゃん&おじちゃんになる
ありのパパのシェアリング・パートナーは「ありのパパさんの埋め合わせ作業は介護施設にいるお母さんと精神病院に入院しているお姉さんのところに月一回ずつ生涯を通して面会に行くことですね」と言われました。
その結果、何が明らかになったかというと、私が母に対してイネイブリング(共依存)の関係にあるということと、姉たちに対して罪悪感と後悔の不快感情を持っているということでした。
ありのパパの母親は典型的な毒吐き女です。
面会に行くたびに施設職員を口をきわめて罵(ののし)ります。
それを聞いていると「少しは真人間になれ」とか「少しは感謝できる人間になれ」と感じてしまい、説教を始めてしまうのがいつもパターンでした。
これはありのパパが母親に対して共依存の関係にあることを意味しています。
なぜなら赤の他人ならば呆(あき)れることはあっても「こうなれ!」という気持ちを持つことはないからです。
これはあたかも親が子供に対して「お母さん、あなたが不登校のままでは死んでも死にきれないわ」と言ったり、「お前がいつまでも病気が治らないので、父さんは世間に顔向けができない」などと宣(のたま)う親御さんとそっくりのことを子供の自分がやっていたということでした。
面会を埋め合わせとして行うようになってから5年が経った時、親に対して呆れることはあっても怒りが出てこなくなりました。
これは相手をコントロールすることを嗜癖として使わなくなったということです。
もちろん依存症は治らない病気ですから、使わなくなったと言ってもそれは今日一日のことに過ぎません。
脇が甘くなればいつでもスリップする危険があります。
以上見てきたように埋め合わせ作業は他人のために行うのではなく、自分自身の人生をやり直すために行うものです。
◎回復と平安を祈っています。
