不快感情と傷ついた本能ごとに嗜癖がある。これを知って回復しよう!

不快感情

多くの仲間がスリップしないためにできることは何でもしようと願っています。
そのためには傷ついた本能を正しく特定することが大切です。
そうしないと回復は足踏みします。
この記事では不快感情と本能の関係について解説しています。

1.不安感情は刺激に嗜癖させる

人は不安を感じると何かで自分の心をまぎらわせようとします。
その紛らわせる手段はスマホのゲームだったりテレビの視聴だったりネットの閲覧だったりします。

ここまでなら誰にでもあることです。
ただし使っているものが刺激の強いものだと、それはまっしぐらに依存症へと進んでいきます。

たとえば一般的なネットの閲覧では刺激が足らなくなり、次第にネットポルノの閲覧へと移行していくようなケースです。

またスマホには様々なアプリがあるにもかかわらず多くの人々がゲームアプリにハマるのはゲームが依存性が高いからです。

人は刺激の弱いものから刺激の強いものへと移っていく性質があります。

多くの人は「自分は時間つぶしのためにスマホゲームをやっている」と思っていますし、「ネットポルノを見て何が悪い!こんなこと誰でもやっている」と思っています。

しかし嗜癖が生活と人生に悪影響を与えていないならば確かに問題はありませんが、そんなことはありえないことです。
ほとんどの場合に家庭や仕事に悪影響を与え、人生が思い通りにならなくなります。

2.不安感情の原因は恐れが動機の不正直行動

私たちはなぜ不安を感じるのでしょうか?
それも一般的な不安ではなく、病的な不安感情と言わなければならないようなものをです。

その真の理由は本能が傷ついたことによります。
本能には共存・安全・性・将来野心がありますが、恐れの感情が暴走するのは安全本能が傷ついた場合です。
(これは全ての場合にそうだと言っているのではありません。一人一人みな違いますから日々の棚卸しによって自分で明らかにする必要があります。この記事では一般的なケースを取り上げて解説しています)

ありのパパの場合ですと、人が怖いという人々への恐れが動機となって不正直な対応をしました。
例えばある人との間にトラブルが起きた場合に心が健康な人であればその人のところに出掛けて行って「なぜあなたはこのようなことをしたのか?」と問題解決のために努力します。
ところがありのパパは人が怖かったので足が一歩も前に出ませんでした。
それで何をしたかというと自分の中で片を付けるということをしました。

その結果、何が起きたかというと「こんな薄っぺらな人間関係の持ち方を続けていると将来どこかで人間関係が破綻するのではないか?」と恐れました。(これを将来野心の感情面での安全が傷つくと言います)

そして病的な不安感情から逃れるために文字通りありとあらゆる刺激に嗜癖するようになりました(ACの問題の8番目)。
中でも性的領域の嗜癖を多用したので気がつくと性依存症と言わねばならない領域にまで達していました。

3.自尊心が傷つくと恨みの感情が暴走する理由

共存本能とはまわりとうまくやっていきたいと願う本能ですから、これが傷つくと「自分ってダメな存在だな」と思い、自尊心が傷つきます。
そして当然のことながら対人関係も傷つきます。

ではなぜ自尊心が傷つくと恨みの感情が暴走するのでしょうか?
それにはいくつかの理由が考えられます。

一つは見捨てられ不安によるものです。
「見捨てられる前にこっちから見捨ててやる」と思えば、身勝手な振る舞いが行動となって現れます。
逆に「見捨てられたくないから相手の言いなりになろう」と思えば、不正直な行動をします。

もう一つは「被害者の視点」で人生を生きていることが原因です。
自尊心が傷つく本当の理由は私たちの性格上の欠点からくる行動パターンが原因ですが、そのことに気づかず自尊心が傷つく人生を生き続けていると傷つきそうになる予兆を感じるだけで「再び傷つけられてたまるか!」ということで怒りを爆発させてしまうことになります。

被害者の視点は間違った思い込みをも連れてきます。
前の座席の人が自分に断りもなくシートを倒したのは私をバカにしているからであるというのは典型的な間違った思い込みです。
間違った思い込みがなければ、断りなく突然シートを倒されてもムッとする程度で終わります。
しかし間違った思い込みというフィルターを通して「シートを倒す」という行為を見てしまうと怒りの爆発に繋がります。

4.利己的動機によって配慮が欠如したのが自尊心が傷つく真の理由

ではなぜ自尊心が傷ついたのでしょうか?
ここがポイントです。
多くの方が「私の自尊心が傷ついたのは恐れが動機の不正直行動が原因です」と言われます。
果たしてそのとおりでしょうか?

自尊心が傷つく本当の理由は「自分の思ったようにならない」からです。
これはとても利己的な考えです。
このような利己的な考えに支配されていると、相手に対しての配慮は欠如して当然です。
なぜなら「私が期待したように動けよ!」と思っている人がどうして相手に対して配慮などするでしょうか?
いいえ、決してしません。

これが本当に分かると「アホくさ!」と心底感じます。
少し悔しい思いもしますね。
でもこれが子ども(っぽさ)から大人(らしさ)になるということです。

◎回復と平安を祈っています。

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