棚卸しをする目的は自分を変えるためです。
悪行を白状するのでも懺悔(ざんげ)でもありません。
この記事では棚卸しをする目的を明らかにし、棚卸し作業の勘所と棚卸し作業の後に訪れる驚くべき変化について述べています。
1.自分の「過ち」ではなく「過ちの正確な本質」を認める
ステップ5の文言には「自分の過ちを認めた」とは書かれておらず、「自分の過ちの正確な本質を認めた」と書かれてあります。
過ちの正確な本質とは、自分のどの性格上の欠点の組み合わせによって自分の本能が傷ついたのかということです。
性格上の欠点には四つあり、利己的・不正直・恐れ・配慮の欠如です。
この四つの短所の組み合わせによって、その人なりの行動パターンができています。
どんな行動パターンを持っているかを特定するのは自分一人だけでは困難です。
それで「もう一人の人」と一緒に古い行動パターンを特定する作業を行います。
そして一回自分の古い行動パターンが分かったら、あとは自分一人で本能が傷ついて感情が暴走するたびに「今回の暴走の原因はどんな行動パターンが原因だったのか?」を日々の棚卸し作業によって探ります。
どうしてもわからない場合はスポンサーやシェアリング・パートナーに相談します。
また日々の棚卸しで分かったことをミーティングで分かち合うのも良いことです。
なぜならそれによって自分自身の理解がより一層深まるからです。
気をつけないといけないのは正解を求めるのではないということです。
自分のお腹の中にストンと落ちて、次からは新しい行動パターンを使おうと思えることが日々の棚卸しの目的です。
ですから乱暴なことを言えば、何でもいいのです。
あとから振り返ってみて「あの棚卸しでの理解は不十分だった」と思うようなことがあっても全然構いません。
2.自分の過ちの正確な本質を三者に同時に認める
三者とは第三者という意味ではなく、神と自分自身ともう一人の人の三者を指しています。
なぜ同時に認めないといけないかというと、この三者に同時に認めるのでなければ自分を変えることができないからです。
あたかも三枚重ねのレンズを通して自分を見つめるようにです。
一番目のレンズはもう一人の人、二番目のレンズは自分自身、そして三番目のレンズは神様です。
一番目のレンズ(もう一人の人)にだけ自分を映し出すのはカウンセリングです。
カウンセリングは世俗的プログラムと言い換えることもできます。
二番目のレンズ(自分自身)にだけ自分を映し出す行為は黙想・マインドフルネス・アファメーションに該当します。
三番目のレンズ(神)にだけ自分を映し出す行為は宗教的プログラムに該当します。
霊的プログラムの特徴は神と自分自身ともう一人の人に同時的に自分を開示するところにあります。
もし自分は霊的プログラムに取り組んでいると思いつつ、この三つの中のどれかが欠けているなら、霊的プログラムの効果を発揮することができません。
ありのパパは40年間、各々のレンズに個別的に自分を映し続けてきましたが人生は1mmも変わりませんでした。
なぜなら三つ揃わない限り、宗教的プログラムか世俗的プログラムに取り組んでいることにしかならず、霊的プログラムに取り組んでいることにはならないからです。
人生を変えようと願うなら、どうしても霊的プログラムに取り組む必要があります。
3.対人関係の変化が訪れる
もう一人の人に対して自分自身のありのままの姿を開示するときに起きることは対人関係の劇的な変化です。
多くの依存症者やアダルトチルドレンにとってステップ5で、もう一人の人に自分自身を開示する行為は人生で初めての行為です。
多くの人が「こんな自分を他の人に見せたらきっと拒絶されるに違いない」という思い込みをもって生きてきました。
しかしそんな心配は杞憂でした。
他の人にとっては自分の秘密など大したことではなく、隠し通さなければならないと思っているのは自分だけだったということに気づきます。
この気づきを持つと、まわりの人々に対する自分の態度が変化しはじめます。
以前なら口にするようなことがなかったことを当たり前のように話している自分に驚くようになります。
(これは何でもべらべら喋ってもいいということではありません。注意深く、思慮をもつ必要があります)
EAの12ステップ本である「How It Works」には棚卸しの結果として起きる三つのことが書かれてあります。
・ありのままでない自分を見せようと思わなくなる(37頁5行目)
・孤独感や孤立感から解放される(38頁3行目)
・癒やしの静寂がやってくる(38頁5行目)
この三つの体験はステップ5をきちんとやり終えるなら全ての人に与えられると約束されています。
これはありのパパにも与えられたものであり、そしてこの記事を書いている今も自分の中にあることを確認しているものです。
◎回復と平安を祈っています。