棚卸しに取り組まない理由は三つ考えられます。
「棚卸ししなければならないほど酷くない」
「棚卸しするのが怖い」
「何だか分からないが棚卸しを先延ばしにしている」
この記事では[否認と抑圧]と行動パターンの関係を解説しています。
1.古い行動パターンは否認と抑圧で隠されている
なんだかわからないけど棚卸しを先延ばしにしているのには理由があります。
それは否認と抑圧で感情と本能に蓋をしているからです。
否認と抑圧という蓋は圧力鍋の蓋のようなものであり、強固にロックされています。
それは当然です。しっかりとロックされていないと蓋が吹っ飛びますから。
しかし子供時代に感情と本能に蓋をしたのは生き延びる術(すべ)でしたが、大人になっても感情に蓋をし続けたので嗜癖となってしまいました。(ACの問題の10番目)

アルコール依存症者がアルコールを使いたくないのに使ってしまうように、感情の否認を使いたくないのに使ってしまうのが癇癪持ち・怒り依存症者の特徴です。
ここで問題になるのはいかに強固にロックが掛かっていたとしても、圧力を掛け続ければいつかは爆発してしまうということです。
本物の圧力鍋には必ず圧力を逃す圧力弁が備えられています。
しかし私たちの感情の弁にはそれが備えられていません。
それで当然の帰結として怒りが爆発してしまいます。
2.行動パターンに焦点を当てる
①否認と抑圧に焦点を当てても解決はない
否認と抑圧の関係を考えると「それでは否認と抑圧を取ることが問題解決に繋がる」と考えがちです。
事実、カウンセリングの流派では「否認と抑圧こそ、問題の原因である」とするものが多くあります。
しかしこのやり方では効果があがらないのが普通です。
「否認と抑圧は取れたが人生は1mmも変わらなかった」という感想を持ちます。
人生を本当に変えるためには人生を行き詰まらせた本当の原因は何かということを考えなくてはなりません。
私たちの性格上の欠点からくる行動パターンこそが真の原因です。
ありのパパの行動パターンは「恐れが動機となって不正直行動をする」というものですが、自分自身に問い掛けることは「その時にもし私が自分の本心を正直に言っていたら、今でもその人を恨んでいただろうか?」ということです。
答えはもちろん「いいえ、その時に自分の本心を言えていたとしたら私は決してその人を恨んでいなかったと思います」です。
否認と抑圧という嗜癖を使うのは不快感情を感じたくないからです。
だから当然のこととして不快感情が出てこないようにすることが真の問題解決に繋がります。
否認と抑圧は嗜癖に過ぎず、私たちは嗜癖に対して無力です。
②行動パターンに焦点を当てる
性格上の欠点は主に四つあります。
利己的・不正直・恐れ&身勝手・配慮の欠如です。
この四つが様々に組み合わさって、その人なりの行動パターンを形成します。
たとえば恐れが動機となる不正直行動。
あるいは利己的動機が配慮の欠如として行動に現れる。
たいていは上記の二つに分類されます。
恐れが動機となって相手との人間関係を傷つけないために不正直行動をする場合が一般的です。
もう一つは人生の中で様々な見捨てられ経験をしてきたので「それだったら見捨てられる前にこっちから見捨ててやる!」という行動に出る場合には身勝手な行動となって現れます。(ACの問題の4番目)
これが『身勝手』が棚卸し表に『恐れ』と同じ項目に配置されている理由です。
恐れが動機になくて身勝手な行動をした場合には利己的ということになります。
利己的動機で動いている場合は必然的に配慮の欠如が続きます。
なぜなら利己的とは自分のことしか考えてないということですから、そのような状態では相手を配慮することなど到底できることではありません。
「いや、自分は利己的だが、最低限の配慮はしている」という方がいたら、その方に申し上げたいことは「配慮を充実させることに上限はありません。ですから最低限などという配慮を配慮ということはできません」ということです。
3.解決は古い行動パターンを使わないこと
12ステッププログラムでは「問題の原因を正確に理解することができたら、解決も自ずと明らかになる」と教えられています。
では解決は何でしょうか?
そうです。古い行動パターンを使わないで生きていくことです。
そうしたら本能は傷つかなくなり、感情の暴走も止まります。
感情の暴走が止まれば、嗜癖を使う必要もなくなります。
否認と抑圧を嗜癖として使っているのが癇癪持ちであり怒り依存症者ですから、使う必要がなくなれば否認と抑圧は自然に取れてきます。
怒りの爆発の原因をそのままにして、否認と抑圧だけを取ってしまうと、そこに現れる光景はどのようなものでしょうか?
大変おぞましい光景があらわれる危険があります。
ですからこのやり方が一番安全な方法であると、ありのパパは考えます。

◎回復と平安を祈っています。