罪悪感は四つある不快感情のうちの一つですが、不快感情を持つこと自体に罪悪感を感じる場合があります。
この記事ではなぜそのような罪悪感を持つのかの理由を明らかにし、無用な罪悪感を持たないための具体的方法を解説しています。
1.不快感情を持つこと自体に罪悪感を感じてはならない
不快感情を持つと「また私はこんな感情をいだいてしまった」と感じる人が多くおられるようです。
罪悪感自体は四つある不快感情のうちの一つです。
しかし不快感情を持つこと自体に罪悪感を感じるのと、不快感情の罪悪感を感じるのは別の話です。
なぜなら不快感情の罪悪感は人間関係の中で「私はこうすべきだったのに、そうしなかった」時に暴走しがちな感情です。
(誰かを傷つけた場合には罪悪感を、誰も傷つけてない場合は後悔を感じます)
恨み・罪悪感・恐れ・後悔の四つの不快感情を感じるのは私たちが古い行動パターンを使っているからですが、その反面では私たちが人間だからという面もあります。
私たちは生きている限り、不快感情を感じます。
それでそのためにステップ10の日々の棚卸しが用意されているのです。
ですから「また不快感情をもってしまった」と考えないことです。
そのように考えている限り、スッキリ・さっぱり・これっきりの人生を歩むのは困難です。
2.自分自身を100%赦していないと棚卸しの効果が薄まる
なぜ不快感情を感じると罪悪感を感じるかというと、理由は二つ考えられます。
一つは水準を高すぎるところに置いているからです。
聖人にでもなるつもりならいざ知らず、ただ単純に回復した人生を送りたいのなら、上げるだけ上げた水準を思い切って引き下げることです。
楽になりますよ!
もう一つの本質的な問題は自分自身をゆるしていないからです。
「こうある自分自身は合格。そうでない自分自身は不合格」という基準を自分自身に当てはめているのです。
そのようなことを続けた結果、本能は悲鳴を上げ、感情は暴走し、不快感情から逃れるために嗜癖を使わざるを得ない状況に自分を追い込んだのではないでしょうか?
同じ間違いを二度も繰り返してはなりません。
この間違いをそのままにしておくと、12ステップがいくら有用なプログラムであっても、十分には回復できない恐れがあります。
ですからどうしても罪悪感を取り除く必要があります。
3.なぜ棚卸しをするのか?自分が可愛いから(笑)
なぜ棚卸しをするのでしょうか?
聖人になるため?いいえ、そうではありません。自分が可愛いからです。
自分を慈(いつく)しんでいるから、自分自身を大切にしたいと心底願っているから棚卸しをするのです。
棚卸しをするのは感情が暴走したときです。
それは本能が傷つくと感情が暴走するように人間が造られているからです。
そして本能とは自分自身ということですから、「この出来事によって自分の中にいるもう一人の自分、すなわち自分自身という存在が傷ついたのだ。教えてくれてありがとう!」と言って、なぜ傷ついたのかを探ります。
そうすると必ず納得の行く答えが見つかり、肩の荷が降り、自分のことが笑えてさえ来ます。
そうです。人生を微笑みながら生きていくことが可能になります。
自分のことが笑えてくるようになるまで日々の棚卸しを何百回も何千回も続けます。
そして笑えてきてもすぐに笑えなくなりますから、また日々の棚卸しに戻っていきます。
このようにして私たちは地上の生涯を生きていくように定められているようです。
◎回復と平安を祈っています。
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