ステップ3では自己意志を神の配慮に委ねます。
神の配慮が何を指しているかについては前回の記事に書きました。
この記事では「委ねたつもり」になっていても実際には委ねていない場合があることについて解説しています。
1.「委ねたつもり」と「委ねた」というのは全く違うこと
12ステップの3には「自分の意志と生き方を自分なりに理解した神の配慮に委ねる決心をした」とあります。
この「委ねる」とは果たして何を意味しているのでしょうか?
委ねるとは「任せる」とか、自分勝手に生きることを「断念する」という意味があります。
しかし「私は自分の人生を神に委ねます」という人に「あなたは実際には何をゆだねましたか?」とお尋ねすると答えに詰まり、しばらくして「全部?」とかシラッと答えたりなさいます。
そのような方に何十年もしてから再び質問します。
「あなたの人生は神に委ねた人生となりましたか?」
そうすると「いいえ、そのようになることを切に願いましたが、現実には決してそのようには言うことができない人生を送ってきました」と答えます。
その人とは誰あろうこの記事を書いているありのパパ自身です。
ですから皆さんにはどこに気をつければ本当に神に委ねたことになるのかを明確にお伝えしたいと思っています。
そうすることによって「委ねたつもり」にはなっても、実際には委ねていない人生を送ってしまうことがないようにと願っています。
2.本当に委ねたいと願うなら行動パターンを変えるしかない
多くの方が行動パターンを変えようとして変えられないでいます。
その理由は自分は何もしないで神の恵みによって一方的に自分の行動パターンが変わることを期待しているからです。
このように申し上げると「いいえ、私は自分を変えようとしています!プンプン!」という反応が返ってくることもあります。
しかし申し上げたいことはそういうことではありません。
変えたいと願っているかどうかではなく、行動パターンを変えようとしているかどうかです。
感情は決して変わりません。
変えることができるのは行動パターンだけです。
行動パターンとは性格上の欠点から出来上がっている古い行動パターンのことです。
この古い行動パターンと対極にある新しい行動パターンを全力で実践することだけが回復の道です。
委ねた人生を送りたいと本当に願っているなら、自分の新しい行動パターンを具体的に知っている必要があります。
「あなたの行動パターンは何ですか?」と聞かれて、答えに詰まるようではいけません。
明確に即答できようにしておきたいものです。
自分の行動パターンを知っているとは、今の目の前の状況で自分がどのように振る舞えばよいかを明確に知っているということです。
もちろんそれが分からずに途方に暮れることもあるでしょう。
そのようなときこそ、(ステップ11の)祈りと黙想を通して自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めることが必要です。
本当に委ねたいなら、自分の行動パターンを明確に知って、それを実践することです。
そうしたら委ねた人生は実現します。
3.感情と行動パターンの関係に焦点を当てる
傷つけられたから恐れたのではありません。
これを「見捨てられ不安」を例にして説明します。
見捨てられ不安とは要するに性格上の欠点である恐れです。
恐れの言いなりになると二つの行動が出てきます。
一つは「見捨てられたくない」と思った場合は自分の本心と異なる言動をして相手に見捨てられないようにします。
これを不正直行動と言います。
もう一つは「どうせ見捨てられるのなら、こっちから見捨ててやる!」と思った場合です。
この場合は身勝手な行動が出てきます。
これが棚卸し表の性格上の欠点の欄の恐れの項目に身勝手が含まれている理由でもあります。
自分が変わることを待っている限り、人生は1mmも変わりません。
人生を変えようと思うなら、行動パターンを変えていくことです。
新しい行動パターンを実践し続けることだけが委ねた人生を生きることのできる唯一つの道です。

◎回復と平安を祈っています。