ACを含めた依存症の回復の仕方は皆同じです。
しかし依存症ごとに特徴があるので回復の道を歩む際に気をつけなければならないことがあります。
この記事ではACが気をつけなければならない三つのことを解説しています。
ACは二つの無力を認める必要がある!
「ACのための12ステップ」という書籍にはステップ1は二つの部分から成り立っていると書かれてあります。(23頁12行目)
一つは「私たちは養い手(養育者)の嗜癖的な、あるいは機能不全の行動に対して無力を認める」ことです。
もう一つは「私たちの生活は収拾がつかなくなり、私たち自身が変わらない限り、これからもそのままだと認める」ことです。
ACであろうとなかろうと依存症からの回復は12ステッププログラム一択です。
しかしそれぞれの依存症ごとに独自性があり、その故に回復の道をたどるときもその依存症特有の問題に気をつける必要があります。
それが依存症ごとに共同体が形成されている理由でもあります。
ではアダルトチルドレンが他の依存症と異なる部分はどんなところでしょうか?
それを見ていきます。
親から受け継いだ嗜癖行動に対して無力
ACと他の依存症が最も異なる点は、自分が嗜癖に陥るようになった原因が自分にあるか、それとも養育者にあるかというところです。
もちろん直接的な原因は本人にあります。
ACの場合は子供時代を生き延びるために使ったサバイバル術を大人になって使う必要がなくなったにもかかわらず使い続けた結果、そのサバイバル術が嗜癖になってしまいました。
どういうことかというと、使いたくないと思っているのに気がつくと使ってしまっているということです。
これは依存症の特徴である強迫観念と渇望現象によります。
直接的な原因は本人にあったとしても、遠因がどこにあるかというとACの場合ははっきりしています。
養育者にあります。
なぜこれを明確に認める必要があるかと言いますと、認めないということはすなわち否認になるからです。
否認していては回復はおぼつきません。
なぜなら回復に集中したとしても「やっとこさ回復できるかな?」という感じなのに、エネルギーが分散していては回復など夢物語だからです。
ですからACはどうしても機能不全家族から受け取った嗜癖の影響に対して無力であることを認める必要があります。
無力を認めるということは「機能不全家族から受け取った影響は一生なくならない」と認めることでもあります。
もし機能不全家族から受け取った影響がなくなるのであれば万々歳ですが、実際には生きている限りなくなることはありません。
そして「なくなった!」と錯覚したときは脇が甘くなったときですからスリップする危険がすぐそこまで来ているということになります。
そういうわけでアダルトチルドレンは機能不全家族から受け取った影響に対して無力であると認めるのが生命的に重要ということになります。
親ではなく自分が変わらない限り、回復はないことを認める
ACにとっての別の危険は親との関係が改善されれば自分は回復するという間違った思い込みを持つことです。
現実的に考えると養育者が変わるということはまずありません。
虐待者はどこまで行っても虐待者のままであり、虐待者のまま死んでいくのです。
そのような養育者が変わることを期待し、そこに回復のエネルギーを注ぐのは大変愚かなことです。
エネルギーの無駄遣いでしかありません。
万が一、養育者が改心して「私が悪かった」と言ってくれたとしても、依然として変わらないままの自分がそこにいることに気づき呆然とします。
回復は自分持ちであり、その部分は他の依存症と全く同じです。
そうすると「なんか変。何かおかしくない?『原因が親にあることをはっきりと認めろ』と言っておきながら、今度は『養育者のことは放っておいて自分の回復に専念しろ』っておかしくない?」と思われるかもしれません。
しかしこれには説明可能な明確な理由があります。
それは養育者が変わることを期待するのは病的なコントロール欲求の現れだということです。
病的なコントロール欲求とはすなわち共依存症のことですから、「さらに依存症になってどうする!」というわけです。
最も回復困難な依存症は共依存症?
ありのパパは最も回復困難な依存症は共依存症ではないかと考えています。
なぜなら共依存は一見悪い事のようには見えないからです。
家族の回復のために粉骨砕身努力する姿は美しくさえあります。
しかしやればやるほど家族メンバーの依存症は悪化するばかりです。
要するに依存症を悪化させるために火をくえているようなものだからです。
この事実に気づくのは大変困難です。
ある時までありのパパは共依存症者のミーティングに参加していました。
しかしある時のミーティングをきっかけにして止めてしまいました。
それは仲間が口々に「私はパートナーを変えようと努力しています」「私は親を変えようと努力しています」「私は職場の同僚を変えようと努力しています」というのです。
これを聞いてありのパパは暗澹なる思いになりました。
しかし家に帰ってから神の語り掛けがありました。
それは「あのメンバーの中にもう一人『変えてやろう』と虎視眈々(こしたんたん)と狙っている人がいるよ!」
「それは誰?」「それはお前だ!」
神に教えてもらったことは、ありのパパはその仲間たちを変えてやろうという気満々だったのです。
メンバーが四人しかいないのに四人が四人とも他者を変えてやろうとやっ気になっている。
しかもそのような病的なコントロール欲求を手放すことを目的にしているミーティングで堂々とスリップしている。
この事実に直面した時、ありのパパは共依存症が最も回復困難な依存症であるかもしれないと思ったのでした。
◎回復と平安を祈っています。