自分自身を変えようと躍起になる人が多いようです。
しかしその前にそもそも自分自身とは何かを正確に知る必要があります。
この記事では自分自身とは何かを明らかにし、自分自身の良きマネージャーになることが真の解決であることを解説しています。
目次
1.意志の力だけでは自分自身を変えられない
①自分自身とは何か?
自分自身とは自分の中にいるもう一人の自分です。
この説明は間違ってはいませんが、分かったようでよく分からない説明ではあります。
もう一つの説明は自分自身とは12ステップが教える本能を指しているという説明です。
この説明のほうがしっくりとくるかもしれません。
しかしある方々は「本能が自分自身だなんて、私はそんなお下品ではございません!」と思われるかもしれません。
これは12ステップがいう本能の定義と、現在の私たちが一般的に使う本能の定義が異なっていることを考えると納得できます。
現在の私たちが使う本能の一般的な定義は欲求ということです。
欲求とは(少し下品になりますが)「飯、食いてえ!」「酒、飲みてえ!」とか「気持ちよくなりたい」とかの生理的欲求です。
これに対して12ステップが教える本能は精神的欲求です。
精神的欲求とは「人々とうまくやっていきたい」と願う共存本能、「自分の環境を安全・安心な環境に保持したい」と願う安全本能、将来にわたってこれらの本能が充足することを願う将来野心などです。
この説明だとしっくり来ます。
またビッグブックに飲酒欲求についての記載がない理由もこの説明だと納得できるのではないでしょうか。
②自分自身を変えようとする本当の理由
世間では「こうしたら自分自身は30日で変えることができる!」みたいな本がベストセラーになっています。
しかし自分自身が自分の本能だとしたら、そもそも本能を変えることなど出来ないとすぐにおわかりになるでしょう。
なぜ自分自身(本能)を変えようとするかと言うと、それは本能が傷ついた時の対処法を知らないからです。
対処法を知らないから闇雲に本能が傷つかないようにするために的はずれな方法を考えるのです。
本能が傷ついた結果として感情が暴走しますが、同じような理由で感情の暴走もなかったことにしようとします。
マインドフルネスやメディテーション・アファメーションを間違った目的のために使う危険が私たちにはあります。
それはこれらのものを感情や本能が傷ついたり暴走したりしているのを無かったことにするために用いるという誤りです。
これらの瞑想法を用いる前に私たちが理解しておくことがあります。
それは嗜癖と不快感情・本能・自分の性格上の欠点からくる行動パターンの関係を理解することです。
そのようなわけで自分自身が本能そのものだと分かったら、自分自身を変えようとする人など一人もいなくなるのではないかと思います。
2.無気力になるのは自分自身に対しての無関心が常態化したとき!
多くの方々が無気力感に悩んでおられます。
「なんかこう活力が湧き上がってこないんだよな〜」という感じです。
これには理由があります。
それは本能が傷ついている状態をほったらかしにしていると、自分自身という存在は「あぁ、私の親(養育者)は私を愛していないんだな。私のことを気にかけていないんだな」と思い、良くなることを諦めてしまいます。
これが外側に現れると無気力となります。
ですからこの根本原因を無視してやる気のなさだけを何とかしようとしても徒労に終わります。
根本的な解決策は自分自身に向かって「今まで無視しててごめんな。これからはあなたの良きマネージャーとして目配り・気配りをちゃんとするから、よろしくな」と言ってあげることであり、言うだけでなく全力で実践することです。
ACのミーティングなどで「自分自身への無関心は生物学上の親から受け取ったもの」という分かち合いを聞くことがあります。
本当にそうでしょうか?
自分自身への関わり方を生物学上の親から教えてもらえなかったというのは真実です。
しかし自分の人生が思い通りに生きていけなくなった本当の理由は、自分が自分自身の愛ある親・良きマネージャーとして振る舞わなかったからではないでしょうか?
もし私たちがこれからもずっと親のせいにするなら、ある面では気が楽です。(これを疾病利得と言います)
しかしそうしている限り、私たちの回復は夢物語となります。
人生のどこかで「私の回復に親は関係ない。私の回復の責任は私にある」と宣言し、自分が自分自身の愛ある親になるのです。
面倒くさいし馴れてないし、生物学上の親にそんなことしてもらったことないしということで、泣き言・毒吐きが口から何度も出てきそうになりますが、そのたびに「回復の責任は私にある。幸せは自分持ち」と言い聞かせます。
そのように努力する結果は十分な回復となって私たちを潤します。
3.嗜癖だけを何とかしようとするのは虫のいい話
アルコール依存症の方で「私は酒だけ止まればいいです」と仰る方がいます。
また怒り依存症の方で「私は怒りの爆発が止まるだけでよいのであって、それ以外のことは求めていない」と仰る方もいます。
アダルトチルドレンの方で「苦しかった子供時代を分かち合うことができれば十分であり、プログラムに取り組むことは考えていない」と仰る方もいます。
もちろんそれが実現可能なら、それに越したことはないと、ありのパパも思います。
しかし依存症を甘く見ていると痛い目にあいます。(ACも依存症の一種です)
脳の報酬系に依存症回路がいったんできると死ぬまでなくなることはありません。
要するに依存症は治らない病気であり、いったん依存症になったら死ぬまで依存症者だということです。
依存症回路が頭にできているなら、嗜癖だけを何とかすることは決して出来ない相談です。
あるいは「ひょっとして私はひどい癇癪持ちだけど、依存症回路が出来ている怒り依存症にはなっていないかもしれない」と言う方もおられるかもしれません。
そのようなケースもありえますが、同時にそれは否認ではないかということを考える必要があります。
どうぞ、ご家族や友人・職場の同僚に「私は(オレは)自分では怒りやすいだけで怒り依存症ではないと思うんだけど、あなたはどう思う?」と聞いてみてください。
そうして「寝言は寝ている時に言ってくれる?」とか「冗談は休み休み言ってくれ!」という答えが返ってくるなら、やはり否認していると言わなければならないでしょう。
そのような方々もミーティングに続けて参加すると、自分が嗜癖に対して無力であること(ステップ1)、自分が回復するには自分を超えた大きな力に頼るしかないこと(ステップ2)、そしてその大きな力が自分の心と生活と人生に流れ込んでくるためにプログラムに取り組む決心(ステップ3)をすることになります。
これが共同体から受ける助けと支えです。
もう一つの解決策である霊的に目覚めるためにはステップ4から9の行動のプログラムに徹底して取り組みます。
◎回復と平安を祈っています。