回復の過程で正確に理解しておかなければならない言葉があります。
それは「治る」と「回復」という言葉です。
この記事では「治らないが回復可能」という意味を明らかにし、回復を続けるための二つの条件を解説しています。
1.「依存症は治らない病気」とはどういうことか?
依存症は治らない病気であると言われる理由は医学的根拠から来ています。
依存症治療の初期にはそうではありませんでした。
それはもっぱら依存症者本人があまりに再発を繰り返すので、家族や治療者が「依存症治療は困難」と嘆息したのです。
しかし最近になって依存症者はなぜ再発を繰り返すのかということについて医学的な原因があることが明らかになりました。
それは脳の報酬系に依存症回路ができると、それは死ぬまでなくなることがないからなのです。
この依存症回路から強迫観念と渇望現象が発せられます。
ですから本人や家族・治療者が「治った!」と思っても、それは根拠のない妄想でしかありません。
この事実に直面し、腑に落ちるということがシラフの人生を続けていく上でとても大切なことになります。
2.「依存症は回復可能な病気」とはどういう意味か?
回復可能とはすべらないで生きていくことができるという意味です。
これ以上でも、これ以外でもありません。
ありのパパがそうであったように回復という言葉に多くのものを期待している仲間が多いように感じます。
あたかも回復の境地が桃源郷(とうげんきょう)であるかのように錯覚することです。
しかしこの錯覚をもっている限り、地に足がついた回復の歩みは困難です。
なぜなら桃源郷を意味するような『回復』は単に『治る』以上のものを意味していますが、現実は治ることがないばかりか、桃源郷のような境地に達することも決してありません。
あるのはただ『今日一日だけ』すべらないで生きるシラフの毎日を繰り返す営(いとな)みがあるだけです。
実感は「面倒くせー!」っていう感じですね。
しかし心が健康な人はこれを毎日やっているのです。
依存症になる人は多くの場合に、この骨の折れる作業をオミット(怠ける)していることが多いようにも思います。
3.条件を果たすことによって執行猶予が与えられる
アダルトチルドレンや共依存症を含めた依存症という病気は条件を果たすことによって今日一日の執行猶予が与えられる病気です。(ビッグブック)
その条件とはなんとなんでしょうか?それは二つあります。
①新しい行動パターンだけを使って生きていく決心と実践
私たちが嗜癖(しへき)を使うのは不快感情から逃れるためでした。
不快感情から逃れたいと思うほどに感情が暴走したのは本能が傷ついたからです。
その本能が傷ついた真の原因は私たちの性格上の欠点からくる行動パターンにありました。
ですから不快感情を溜め込まないようにするためにはどうしても新しい行動パターンを実践する必要があります。
その前になすべき決心があります。
それは決して古い行動パターンを使わないという決心です。
これこそがステップの6と7に分かれている理由でもあります。
多くの方が「新しい行動パターンがうまくいきません」と言われます。
その理由の一つには古い行動パターンを使わない決心が弱いというのが挙げられます。
古い行動パターンを使わない決心は退路を断つということでもあります。
心のどこかで「いつでもどこでも自分の都合が悪くなったら古い行動パターンを使ってやるからな!」と虎視眈々(こしたんたん)とその機会を狙っているということはないでしょうか。
もしそうなら新しい行動パターンを使えるはずはありません。
なぜなら古い行動パターンは使い慣れている手口であるのに対して、新しい行動パターンは借りてきたネコみたいに小さく縮(ちぢ)こまっているからです。
新しい行動パターンだけを使うという決心が生命的に重要です。
②必ず日々の棚卸しを行う
新しい行動パターンだけを使っていたら不快感情は発生しないでしょうか?
もしそうならこんな嬉しいことはありません。
しかし世の中で起きることで自分だけが悪いとか、相手だけが悪いということはほとんどありません。
大抵の場合に自分にも非があるし、相手にも非があります。
そうすると新しい行動パターンだけを使っていても本能が傷つき、その結果として感情が暴走する可能性があります。
その時には日々の棚卸しを行います。
日々の棚卸しこそは私たちがシラフの毎日を続けるための保険のようなものです。
ものの10分か15分そこらで不快感情から解放されることができます。
ありのパパは恨みの感情から生まれる怒りの爆発という依存症をもっていますが、日々の棚卸しをやる前は「あいつが悪いに決まっている。プンプン!」という感じですが、日々の棚卸しを初めてしばらくすると「また今回も俺に問題があるのかよ!(笑)」と正気に戻ることができます。
自分を笑えるということはとても大切なことだと実感します。
相手を怒っているときは狂気に支配されているときであり、そのような時には間を置かないで自分を笑えるようにすることです。
これは特に感情と情緒に問題を感じる人々にとって大切なことです。
◎回復と平安を祈っています。
