「なぜ自分は人に対して面と向かってNo!と言えないのだろうか?」と困っている方はおられないでしょうか?
この記事では依存的態度をとってしまう原因を明らかにし、そこからの回復方法を解説しています。
目次
1.アダルトチルドレンは人々への依存的態度を嗜癖として使っている
ACが人々に対して依存的態度を取るのは見捨てられ不安が原因です。
この見捨てられる恐れは養育者から受け取ったものです。
そして大人になってからも見捨てられることへの恐れから人々に対して依存的態度を取るようになりました。
そしてそれは単なる大酒飲みが知らず知らずのうちにアルコール依存症へと移っていくように、単に依存的態度を取る人から依存的態度を嗜癖として使う依存症者へとなっていきました。
もはやこの段階に達すると依存的態度をやめようと思っても止めることが出来ません。(無力)
カウンセリンを受けることによって見捨てられ不安から解放されようとしても効果は限定的です。
なぜなら脳の報酬系にできた依存症回路から「依存しろ!依存しろ!」という指令(強迫観念)が襲ってくるからです。
私たちはこの強迫観念に対して無力なのです。
ですからそもそも無力化されてしまっている理性を活用して問題を解決しようとするアプローチのカウンセリングの効果は限定的なものにならざるを得ないというわけです。
2.見捨てられ不安を何とかしようとして神を信じても効果はない
神を信じれば見捨てられ不安がなくなるのではないかと多くの人が考えます。
なぜなら聖書には「わたし(神)はあなたを決して見捨てない」とあるからです。
そして多くの牧師やカウンセラーもそう言いました。
しかし現実はそうなりません。
ありのパパも神を信じるなら見捨てられ不安はなくなると信じた者の一人でしたが、見捨てられ不安はなくならず、あってはならないものがそこにまだあったので「ない振り」をするようになりました。(否認・抑圧)
見捨てられ不安を感じたくなかったので神にしがみつきました。
しがみつくと言うと、なにか信仰深い感じもしますが決してそうではありません。
なぜなら、しがみついていては現実の生活を生きることができません。
現実の生活を生きようとするなら、しがみつくのを止めて自立した人になる必要があります。
神にしがみつくということは結局のところ信仰を嗜癖として使うということです。
依存的態度と見捨てられ不安を使う構造を理解することなしには何をやっても結局嗜癖へと変質してしまうことになります。
奉仕も社会活動も12ステップグループのミーティングもみな嗜癖に変質する危険があります。
3.見捨てられ不安は恋愛・友人・親子関係など人間関係のあらゆる部分に投影される
人々への依存的態度への対処方法が困難な点は、それが目に見えないというところにあります。
アルコール依存症なら酒を飲まないという一点に可視化されます。
薬物依存症も同様です。
これに対して「人々への依存的態度」を嗜癖として使う依存症は可視化できません。
ことによったら人々から称賛される場合もあるほどです。
自分でもこれが善いことなのか悪いことなのか判断がつかないこともあります。
ありのパパもその時点では「これは依存的態度ではない」と思っていたことが、あとから「あれは明らかに見捨てられ不安からくる依存的態度だった」と気づくときがあります。
それでこの特殊な依存症には統合作業というものが必要になります。
毎日の祈りと黙想の時間にACの13の問題の一つ一つを吟味(ぎんみ)します。
そうすると神が「ここはどうか。あそこはどうか」と尋ねてくださり、気づきを与えてくださいます。
一日に一回、総合作業をするたびに気づきを与えてくださいます。
これを続けるなら、どれぐらい遠くまで行けるだろうかと楽しみでなりません。
◎回復と平安を祈っています。