自分の無力が分かるとハイヤーパワーを発見することができる!

自分の無力が分からない限り、自分を超えた大きな力を信じることは不可能です。
この記事では無力が分かるとはどういうことかを明らかにし、健康な心に戻してくれると信じ続けることの大切さを書いています。

1.自分の無力が分かるとはどういうことか?

12ステップは逆説的なところがあるプログラムです。
それは自分の無力が分かると、自分を超えた大きな力を発見することができるということです。
望遠鏡で月を観測しようとしますが、ちっとも見えません。
おかしいと思ったら望遠鏡のレンズにキャップをしたままだったみたいな話です。
月は何千年も昔からそこにありますが、私たちと月との間に障害物があると、そのあるものが見えません。

この障害物が自分への信頼、すなわち我力(がりき)ということです。
共同体のメンバーの中にも「自分を超えた大きな力を信じることが難しい」と仰る方がおられます。
しかしその信じられない原因が神の側にあるのか、それとも自分の側にあるのか確かめることが必要です。

旧約聖書に荷台に乗せた神の箱が転げ落ちそうになった時、神の箱に触ってはならないと禁じられていたにもかかわらず、思わず手を出してしまい死んでしまった人の物語があります。

これが私たちに何を教えているかというと、本当に自分が無力を認めていれば手を出すはずがないということです。
何かのときに思わず手を出してしまうのは心のどこかで「そうは言っても私が神をお助けするときもあるかもしれない」と思っているからにほかなりません。
本当に自分の無力を認めていれば、決して手を出すはずはないのです。

そういう訳で、自分の無力を認めているかどうかは手を出すか出さないかによって見分けることが出来ます。

あなたはいかがでしょうか?
自分から進んでトラブルに巻き込まれに行っているようなところはないでしょうか?
これが「手を出す」ということの印です。
もし真に無力を認めていればトラブルが起きても何とかしようとはせず、ただ祈りと黙想、そして日々の棚卸しに専心するでしょう。

ここで「そうは言っても現実的な対応も必要では?」と思った方は無力を認めることが不十分な方です(笑)。
無力を真に認めている人は神の意志を知り、それを実践する力だけを求めた後に、解決に向けて行動を始めます。
「じゃぁ、行動する前に祈ればいいんですね?」と仰る方は無力を認めていません(以下省略)。

2.無力が分かると自分を超えた大きな力を発見することができる!

自分の無力を認めれば必ず自分を超えた大きな力を発見することが出来ます。
なぜなら私たちが生まれる前から神は神としておられたのですから。

問題は私たちの我力が神を隠していたということです。
丁度、月がいかほど大きくても望遠鏡のレンズにキャップをしたままでは月を見ることが出来ないようにです。

問題はハイヤーパワーにあるのではありません。
真の問題は私たちが自分の無力を認めているかどうかにあります。

話が少しそれますが、祈りと黙想を行おうとしてもうまく行かないと感じるときがないでしょうか?
それは自分の中に恨み・罪悪感・恐れ・後悔の不快感情があると、それらが神と私たちとの間の障害物となって神がいますこと、その神が私を愛し、私を助けようとしておられることを感じることが出来ません。

この場合の無力を認めるとはどのようになるでしょうか?
それは自分の側に何の問題もない振りをするのを止め、日々の棚卸しを行うことです。
日々の棚卸し(ステップ10)が祈りと黙想(ステップ11)の前にあることにご留意ください。
日々の棚卸しが終わると同時に、神からの答えが与えられていることに気づきます。
これが神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めることです。

3.神を信じることは簡単。しかし健康な心に戻してくれると信じるのは難しい

神を信じることは簡単です。
聖書に「サタンでも神を信じている」と書かれてあります。
しかし神を信じることは簡単でも、神が私を健康な心に戻してくれると信じるのは簡単ではありません。
ましてや健康な心に戻してくれると信じ続けるのは大変困難なことです。

ありのパパがミーティングに通い始めた頃の話です。
一ヶ月に一度しか参加できないミーティングで「今度参加したら泣き言をたくさん言おう」と思って高速バスに乗ります。
しかしミーティングが始まると司会者が「今日の読みあわせ箇所の何頁の何行目のところから教えられたことを各々話してください」と言われ、内心では「たっぷり泣き言を言おうと思ったのに」と思いつつ、教えられていることをお話しました。

そうすると帰りの高速バスの車中であることに気づくのです。
それは行きのバスでは背中が丸まっていたのに、帰りのバスでは背中がピッと真っ直ぐに伸びているということにです。

この経験を通してありのパパは泣き言・毒吐きは何の役にも立たず、ただ自分がどのようにして12ステップに取り組んでいるかを分かち合うことだけが回復に有益であると理解しました。
それで「だめだ、本当にだめだ!お先真っ暗だ!」と言いたくて仕方ないときも自分を律して「何頁の何行目から自分が教えられていることをお分かちします」と話し始めます。
その結果、最も祝福を受けるのは自分自身なのです。
このようにして私たちはプログラムが提供する二つの解決策のうちの[共同体から受ける助けと支え]をミーティングごとに受け取るのです。

皆さんのミーティング体験はミーティングに参加するたびに「健康な心に戻してくれる」と『信じ続ける場』となっているでしょうか?
もしそうなっているなら万々歳、万が一そうなっていないなら、どうぞ「私から始まりますように」という12ステップ共同体のスローガンを実践なさいますように。

◎回復と平安を祈っています。

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3件のコメント

  1. ありのパパさん
    大切なメッセージをありがとうございます。
    私が今聞くべきメッセージでした。
    誰かに今の思いをそのまま聞いて欲しい、話したら何か良い解決が与えられるのでは、と思っていましたが、それでは何も解決にならないこと、今までも経験済みでした。笑

    聖書の契約の箱を支えてしまう場面、私がその場にいたら、絶対に支えると思います。自分でなんとかしなければ、という思いが人一倍強いんです。
    今回の記事を何度も読み返します。ステップを1からやり直します。
    無力を心の底から認める、って難しいですね。考え方を身に着けたいです。

    ちなみにアダルトチルドレンではない普通の家庭で育った方は、自分は無力であると普通に考えられているのでしょうか?

    1. おはようございます、くまさん。
      コメントをありがとうございます。

      ご質問の件なのですが、ご質問の意味がよく分かりかねます。
      ACが無力を認めるのは「ACの13の問題」に対してです。
      アルコール依存症者が無力を認めるのはアルコールに対してです。
      怒り依存症者が無力を認めるのは怒りの爆発に対してです。

      ACでない人が認める「無力」とは何でしょうか?
      そんなものはどこにも存在しないと思いますが、いかがでしょうか?
      よろしくお願いします。

  2. すみません。
    私の理解が間違っていました。
    アダルトチルドレンでない人は自分でコントロールできないこと(恐れなど)に対し、どう対処しているのか気になり、質問してしまいました。
    ありのパパさんの返信で、私の質問がおかしいことが分かりました。
    ありがとうございました。

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