感情のコントロールが苦手な方は現れだけを抑え込もうとします。
しかしそのやり方は効果がありませんでした。
それでどこかに回復可能な方法はないだろうかと探し求めます。
この記事ではその確かな回復の道を解説しています。
1.自分の感情をあるがままに受け入れる
癇癪持ちや感情のコントロールが苦手な方に「あなたはご自分をどんな人だと思いますか?」と質問すると、「はい、自分は物静かな人だと思います」などと真顔でお答えになる方が案外多くおられます。
これが何を表しているかというと、それはご自分の感情をありのままに受け止めることをせず、「こうあるべき」という建前の自分を演じているということです。
しかし回復したいと真に願うのであれば、自分自身の感情をありのままに認めるところから始める必要があります。
そうしないのであれば回復のための営みはすべて徒労に終わるでしょう。
そして自分でも「こんなに一生懸命やっているのに何で肝心要(かんじんかなめ)のところで失敗するのかな?」と途方に暮れることになります。
自分の感情をありのままに受け入れる作業は回復のための基礎を据えることに該当します。
基礎が出来ていないのに更地(さらち)に土台をそのまま置くようなことをしてはなりません。
人間関係のトラブルによって感情の嵐に見舞われると、いかに頑丈に組み立てられているように見えた回復の営みも木っ端微塵に嵐にさらわれてしまい、元の更地に戻ることになります。
そのような茶番劇を繰り返したくないのであれば、どうしても基礎の据え付けに当たる「自分自身の感情を認め、受け入れる」という作業をコツコツとやり続ける必要があります。
感情と情緒に問題を持つ人々は自分自身の感情に対して無関心というか無頓着です。
「なぜこんな面倒くさいものが自分の中にあるのか!」みたいな感じです。
しかし感情とは自分自身そのものであると言って良いものです。
その自分自身をずっと等閑に付していたので今こうやって苦労しなければならない羽目に陥っているのです。
ですから回復したいと願うのなら、どうしても自分自身の感情を受け入れる修練を行うことが必要です。
2.怒りに行動を支配させない
自分自身の感情を受け入れるのは回復の作業の基礎を据えることに該当しますが、では土台を据える作業は何に該当するのでしょうか?
それは怒りの感情に自分を支配させないことです。
ここで多くの方が間違いを犯します。
「自分は正直に生きようと志しています。それで怒りをぶっ放すことにします。周りの人々は忍耐をもって受け入れるように!」
このような戯言(たわごと)を聞き入れてくれる人がどこにいるでしょうか?
どこにもいません。もしいると考えているなら相当な甘ちゃんです。
これが許されるのは赤ん坊だけです。
赤ん坊なら泣き叫んでも周囲の人々は「なんでチュか?お腹が空きましたか?それともおしめを替えてほしいのでチュか?」と笑顔で聞いてくれるでしょう。
癇癪持ちや感情のコントロールが苦手だと自覚する方は人生のどこかで「この生き方が受け入れられることは決してないのだ」ということに観念する必要があります。
これを「底付き」とか「白旗を上げる」とか言います。
3.癇癪持ちは怒り依存症という名前の依存症者
ステップ1と2を踏むと不思議に怒りの爆発は止みます。
なぜならステップ1は無力を認めることであり、ステップ2は自分を超えた大きな力が自分を健康な心に戻してくれると信じることだからです。
でもこのままでは確かに嗜癖は止みますが、生きづらさはそのままであり苦しいままです。
これはある意味では「蛇の生殺し」に近い状態なので一刻も早く基礎と土台の上に回復の家を建てる必要があります。
この回復の家を建てる作業が行動のプログラムと呼ばれるステップ4から12に徹底して取り組むことです。
感情が暴走して不快感情が溜まったのは本能が傷ついたからでしたが、ではなぜ本能は傷ついたのでしょうか?
この本能が傷ついた原因を明らかにするのがステップ4と5の棚卸し作業をやる目的です。
世の中に自分だけが悪いとか相手だけが悪いということはありえないことです。(ただし、子供時代の養育放棄や虐待・レイプ経験などは例外です。あなたには何の落ち度もなく、落ち度はすべて相手にあります)
12ステップの前提は「他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」というものです。
それで自分の側の過ちの正確な本質だけを問題にします。
この作業をやり終えると視点の転換が起きます。
それまでは相手だけが悪いと思っていたのが、実は相手を恨んだ原因は自分にあったということに気づきます。
それで「幸せは自分持ち」であることを知り、これからは新しい行動パターンを100%使うことにより本能を傷つけないで生きていくことができるようになります。
その結果として感情の暴走は止まり、不快感情は消えてなくなります。
これが霊的に目覚めるということです。
もちろんこの状態になっても脳の報酬系に出来た依存症回路は一旦できると死ぬまでなくなることはありませんから、毎日のように強迫観念として襲ってきます。
しかし不快感情がない状態で強迫観念が襲ってきても、それはまるで昼間に出てくるオバケのようなものであり、強迫観念が教える嘘を容易に見破ることが可能です。
このようにして私たちはただ単にスリップしないだけの人生から、「依存症になってよかった!」と言い得る人生を歩むようになります。

◎回復と平安を祈っています。