「私たちは自分の人生を被害者の視点で生きている」(ACの問題の5番目)とはどういうことでしょうか?
この記事では自分の人生を被害者視点で生きるということの具体的な意味を明らかにし、そこから解放される方法について解説します。

1.機能不全家族で育ったことではなく、ACの13の問題を嗜癖として使っていることが問題の核心
アダルトチルドレンの定義には二つあります。
一つは機能不全家族で育った人々というものであり、もう一つはACの13の問題に書かれてある特徴を生きている人というものです。
ACからの回復を目指す際に、どちらに焦点を当てるかによってその後の展開が大きく違ってきます。
前者に焦点を当てるやり方は当然のことながら機能不全家族で育った影響を除去ないしは軽減することが回復につながるということになります。
そのためのアプローチはカウンセリングであったり、グループセラピー(集団療法)になります。
(グループセラピーとはミーティング参加者が自分の問題を分かち合い、それを他の参加者が聴くことにより、共感の力によって回復を目指す方法です)
後者に焦点を当てるやり方はアルコール依存症者がアルコールを嗜癖として使うようにアダルトチルドレンはACの13の問題行動を嗜癖として使う依存症の一種であるという理解です。
依存症であるならば話は単純です。
なぜならば依存症からの回復には12ステップという実績のあるプログラムがすでに確立されているからです。
前者の立場に立つ限り、ACが被害者の視点で生きることは止まりません。
なぜなら機能不全家族で育った犠牲者であるという自己理解そのものが自分の人生を被害者の視点で生きることだからです。
これをやめない限り、アダルトチルドレンが回復することはありえないと言わざるを得ません。
ありのパパは前者の立場で回復した人を見たことがありません。
ですからこの記事を読んでおられる皆さんには是非とも後者の立場を選び取っていただきたいと切に願っています。
2.自分の問題について他人(養育者)を責めるのを止める
アダルトチルドレンが回復しようとするときに障害になるのは自分が使っている嗜癖は使いたくて使ったのではないというところにあります。
もちろんすべての依存症は使いたくて使っているのはなく、依存症回路から発せられる強迫観念と渇望現象のせいで、その奴隷となって使いたくないのに使っているのです。
しかし依存症回路が完成するまでは便利な友達・道具として使っていたのは他でもない依存症者自身です。
不快感情から逃れる便利な道具として使っているうちに依存症回路が完成してしまい、気がついたら嗜癖の奴隷となっていたのです。
ですから依存症回路を完成させたのは他の誰でもない依存症者自身です。
だから依存症になったのは依存症自身の責任であり、誰のせいにすることもできません。
これに対してアダルトチルドレンが嗜癖の奴隷になったのは好きで嗜癖を使ったのではありません。
毒親から身を守るために仕方なく緊急避難として使ったのです。
例えば感じることを心の奥底に閉じ込めるという否認や、行き過ぎた責任感と過剰な世話焼きを発揮する共依存的対応は、そうしなければ生きていけなかったのでやむを得ずそうしたのです。
しかしこれは子供時代のことであり、大人になってからはそうする必要が全然なかったにもかかわらず無自覚に子供時代のやりなれたやり口を使い続けた結果、嗜癖の奴隷になってしまいました。
ですからアダルトチルドレンが回復を目指すなら、私がこうなったのは親のせいだという間違った思い込み(自分の人生を被害者の視点で生きること)を手放す必要があります。
アダルトチルドレンとお話していると、初めのうちは「そうだよね。ACの13の問題に嗜癖していることが問題の核心だよね」と言っておられるのですが、気がつくと延々と「親にこんなことされた。あんなことされた」という話になる場合が多いです。
毒親を許す必要は更々(さらさら)ありませんが、現在の自分の嗜癖を親のせいにするのは止める必要があります。
そうしないと回復の作業に取り組むことができません。
3.自分自身を大切にするとはどういうことか?
12ステッププログラムの前提は「他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」というものです。
それで棚卸し作業に取り組み、自分の側の過ちだけに焦点を当て、どのように行動パターンを変えれば自分自身(本能)を傷つけなくてすむかを考えます。
この作業は自分自身を大切に扱う作業です。
感情が暴走したことを否認せず、ありのままに自分自身を受け入れます。
恨み・罪悪感・恐れ・後悔の不快感情は本能が傷ついたことを私たちに知らせてくれるシグナルです。
ですから感情が暴走したときには「自分自身(本能)が傷ついたのを教えてくれてありがとう」と感謝をしてから日々の棚卸しに取り組みます。
中には「また感情が暴走した!なんてダメな奴なんだ」と嘆く方もおられます。
でもね、それはおかしな話ではないでしょうか。
自分自身が傷つけられたにもかかわらず感情に蓋をして何もなかった振りをするのが回復でしょうか?
いいえ、決してそうではありません。
毒親はあなたを「お前はなんてだめなやつなんだ。なんでうまくできないんだ!」と心無い言葉で傷つけたかもしれません。
その毒親にされたと同じことを、あなたがあなた自身にしてはなりません。
まず第一に感情が暴走したことを認め、次に自分自身の中のどの部分が傷ついたのかを確認します。
さらになぜ傷ついたのか、自分の側の過ちの本質を見ていきます。
この営みを続けていくとき必ず「他人は私を傷つけることができない。傷つけているのはいつだって自分の性格上の欠点からくる行動パターンである」ということに目が開かれます。
これが取りも直さず自分自身を大切にするということなのです。

◎回復と平安を祈っています。