「この状況でどのように振る舞えば新しい行動パターンを生きることになるのだろうか?」と途方に暮れることはありませんか?
この記事では特定の状況で新しい行動パターンを適用する方法について解説します。
1.新しい行動パターンを実践するには神の意志を知ることと神の力が必要
①神の意志と新しい行動パターンの関係
私たちには困ったことが一つあります。
それは私たちにはどう振る舞えばこの特別な状況で新しい行動パターンを実践していることになるのか分からないということです。
思案にくれていたり、途方に暮れている間に場面は展開し、あとで「こう振る舞っておけばよかった!」と思い付いても後の祭りです。
その場面場面で適切な対応をしていかなければならないのですが、私たちにはその知恵も力もありません。
ではどうしたら良いのでしょうか?
そうです。神の意志を知ることと、それを実践する力を求めるのです。
「神の意志を知る」とは「高尚な何か」ではもちろんありません。
そうではなく、あなたが今直面している問題にどのように対処することが新しい行動パターンで生きることになるのかということです。
②神の力と新しい行動パターン
多くの人が「新しい行動パターンを実践できません」と言うのを聞きました。
でもね、できる訳はないのです。
できないことなど初めから分かっていたことではないでしょうか?
私たちには新しい行動パターンを実践する力はありません。
私たちはステップ1で無力を認め、ステップ2で自分を超えた大きな力が私たちを回復させてくれると信じました。
これは嗜癖に対して無力であるのを認めたということであり、回復するために自分を超えた大きな力に頼るようになったということです。
ステップ11の祈りと黙想を通して神の意志を知り、新しい行動パターンを実践する力が与えられることによって、ステップ7の新しい行動パターンを実践する決心と実践は可能となります。
2.12ステップは一つ。どれかをスキップすることは出来ない
12ステップは一つのダイヤルに12の印がついているダイヤルのようなものです。
通常の音量調節ダイヤルなら音量を最大にしようとすると12に合わせます。
音量を小さくする場合は1のほうに逆回しします。
12ステップもステップの12を目指して取り組みますが、その後は必要に応じて各メモリに合わせます。
そもそもミーティングに参加することはステップ1と2を実践することです。
仲間の話を聞いて自分が無力であることと自分を超えた大きな力が健康な心に戻してくれるという信頼を新たにします。
また自分が話すことはステップ12のメッセージ活動に当たります。
「かつては自分はどうだったのか?12ステップに取り組んだときのこと。回復の道を歩むようになって何が変わったのか?」
これらの話に耳を傾けない人がいるでしょうか?
多分、一人もいないと思います。
ステップ1が基礎であり、ステップ2が土台であり、3〜12が基礎と土台の上に建てられる家だというのが現代の12ステップ理解です。
この理解の仕方は間違っていません。
しかし、もう少し融通をきかせる必要があります。
たとえば「私はステップ4・5をまだやってないから、ステップ10の日々の棚卸しができない」という人がいるとします。
一体誰が「ステップ4・5をやってない人はステップ10の日々の棚卸しをしてはならない」と言ったのでしょうか?
誰もそんなことを言っていません。
中にはステップ5をやっている最中に新しい恨みがどんどん出てきていつまでもステップ5が終わらないという人もいます。
ですからステップ5をやっている最中からステップ10をはじめて良いのです。
同様にステップ6・7をやっている最中にステップ11をはじめて良いのです。
そしてステップ8・9の埋め合わせをやっている最中にステップ12のメッセージ活動を行うべきなのです。
(もちろん新しい行動パターンが身に付いてから埋め合わせを行ったほうが良いなどの時系列を配慮しなければならない点もあります)
3.癇癪持ちは怒りの爆発を嗜癖として使っている依存症者
癇癪持ち・怒り依存症者は怒りの爆発を嗜癖として使っている依存症者です。
単なる癇癪持ちと怒り依存症者の違いは脳の報酬系に依存症回路ができているかどうかにあります。
しかし頭を開けて確認するわけにもいきません。
一番良い方法は身近な人に聞いてみることです。
中には「なんだと!俺が依存症者だというのか!」と怒りを爆発させる人がいるかもしれません。
しかし、それぐらい身近な人の評価というものは正確だということです。
(気をつけないといけないのは養育放棄や虐待をした人に聞いてはならないということです。そんな人にいくら聞いたところで正しい答えは得られないからです)
社交不安障害などの病気を持つ人は注意が必要です。
自分の怒りの爆発が不安障害から出ているのか、それとも嗜癖として使っているのかの見分けは大変困難です。
12ステップには二面性があります。
一つは12ステップ・プログラムは依存症の構造を持つ病気にだけ効果があるということです。
アダルトチルドレンや共依存症はまさしく依存症の構造をもっていますから12ステップが効果を発揮します。
もう一つの面は行動パターンを変えるのは依存症以外の人にとっても有益であるということです。
しかし多くの人にとっての真実は「生き方を変えたいのはやまやまだが、そこまで犠牲を払いたくない」というものです。
特に日本的文化のもとで生きていれば本心を押し隠して建前で生きるという圧力が凄まじく大きいです。
しかし依存症者やアダルトチルドレンがこの圧力に負けると今度は嗜癖圧力が増大します。
正直に生きるという不器用な生き方を選ぶのか、それとも嗜癖圧力に負けて(身体的・社会的・人生の)『死』を選ぶのかという選択には実際には選択の余地がありません。
命が掛かっているのですから、「そんな生き方ができたらいいなぁ〜」などと、のんびりしたことを言っている暇はないのです。
私たち依存症者は、この新しい生き方を半分強制的に生きなければならない星の下にある人々です。
そのような自分を呪うか、それともかえって感謝をささげるか、さて私たちはどちらを選ぶでしょうか?

◎回復と平安を祈っています。