神の配慮に委ねるとは自分自身の愛ある親の役割を放棄しない決心!

神の意志に従う

ステップ1も2も理解できるが、ステップの3の決心の意味が分からないという方はおられないでしょうか?
この記事ではステップ3の決心が意味するものを解説し、同時に宗教的プログラムと霊的プログラムの違いを明らかにします。

        

1.ステップ3の決心は神の意志と協働で本能をコントロールする決心

私たちがステップ3でなすべき決心はどのようなものでしょうか?
それは神の意志と協働で自分自身の愛ある親の役割を果たしていこうとの決心です。

アダルトチルドレンは自分の親が養育者の役割を果たさなかったことを恨みに思っています。
しかし自分だって自分自身の愛ある親の役割をうまく果たすことは出来ませんでした。
それで気がついてみれば「私たちの人生は思い通りに生きていけなく」なりました。

生物学上の親が養育者の役割を果たす義務があるのは子供が18歳になるまでです。
それ以降は自分が自分自身の愛ある親の役割を果たす義務があります。

生物学上の親は18年間失敗し続けましたが、自分だって何年間もの間失敗し続けました。
ありのパパの場合だと40年間、自分自身の愛ある親の役割をうまく果たすことが出来ませんでした。
親の責任は18年間、私の責任は40年間、さてどちらの責任がより重いでしょうか?

答えは明らかです。
ありのパパはこのことに思いが至ったとき、親への恨みに頓着(とんちゃく)しなくなりました。

        

2.本能をコントロールするとは自分自身の愛ある親の役割を放棄しないこと

本能をコントロールするとは自分自身を見捨てないことです。
かつては本能が傷つこうがお構いなしでした。
というか、それを問題にすることさえ考えつかないで生きてきました。
その結果、本能は傷つき放題となり、感情は暴走しました。

本能が傷つくことに無頓着な人は感情が暴走することにも無頓着です。
これには理由があります。
それは生きていく上で必要なテクニックをもっていないということです。
そのような人ができることといえば自分自身を犠牲にして何もなかったように振る舞うという生き方です。
この生き方しか出来ないのですから、非難することは出来ないとも言えます。

しかしこのような生き方は本能(自分自身)を傷つけ、感情が暴走します。
その不快感情から逃れるために嗜癖行動に走らざるを得ません。
本人は「自分はやりたくないと正真正銘思っているにもかかわらず、なぜ嗜癖に走ってしまうのだろうか?」と悩んでいます。

この嗜癖に至らせる構造を真に理解することが問題解決への唯一の道です。

        

3.強迫観念への対処の仕方

強迫観念とは脳の報酬系に出来た依存症回路が発するものです。
強迫観念に負けてスイッチが入ると、続いて渇望現象に支配されます。
強迫観念と渇望現象はいつでもセットになっています。

あるアルコール依存症者が「ひょっとして治っているのではないか?」と考えて、ある日アルコールを再飲酒しました。
その結果なんと渇望現象は襲ってこなかったそうです。
それでその人は「何だ。自分は治っていたのだ!」と考えました。
それでどうなったかというと、その人は一年以内にアルコール依存症のために再び依存症専門病院に入院する羽目に陥りました。

その方はまじまじとありのパパを見つめて「依存症は治らない病気です。私がその証人です」と言われました。

時々、次のようなことを言う人がいます。
「スリップしたけれど、今回は続いて渇望現象が襲ってこなかった」
それを回復している証と捉えている風があるのです。
もちろん事実はそうではありません。
たまたま続けて渇望現象が襲ってこなかっただけです。
そもそも渇望現象のことを考えるときは、短期的視点で考えるだけでなく数ヶ月・半年・一年の単位で考える必要があります。
そうしないと巧妙な敵である依存症にやられてしまいます。

強迫観念への対処には二つあります。
一つはステップ1と2を踏むことです。
「私には出来ない(ステップ1)。しかし神には何でもできるからである(ステップ2)」
強迫観念が襲ってくるたびに、この祈りを繰り返します。
またミーティングで仲間の話を聞くことによって自分が無力であることを再確認し、また神への信頼を新たにします。

もう一つの対処策は自分の中に不快感情があるかないかの確認です。
もし不快感情があった場合には日々の棚卸しと埋め合わせ作業を行い、不快感情を解消します。

自分の中に不快感情がなかった場合には感謝を神にささげます。

        

4.霊的プログラムと宗教的プログラムの違い

宗教的プログラムの特徴は「私の人生に関わるすべてをささげるから、神様あとはよろしくね!」というところにあります。
これで何とかなれば良いのですが、そうは問屋が卸しません。
大抵の場合、奇跡は何一つ起きません。
それで失望するのですが、それを隠し、自分でも気づかないふりをします。
そのような人は他人にその点を指摘されると怒り狂います。
なぜなら図星だからです。

これに対して霊的プログラムは解決を神に頼るのは宗教的プログラムと同じですが、異なる点は神の力を自分の心と生活と人生に呼び込むためには私たちが行動のプログラムに徹底して取り組む必要があるとするところです。

行動のプログラムとは12ステップの4から12までの部分です。
取り組むとは何を意味しているのでしょうか?
ミーティングで12ステップについて分かち合ってもプログラムに取り組んだことにはなりません。
そのようなことをしても人生を改変する奇跡は決して起きません。
取り組むとは具体的に3つのことを行うことです。
それは棚卸し作業と新しい行動パターンの実践と埋め合わせ作業です。

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◎回復と平安を祈っています。

        

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