ステップ9の約束とは「人生は変わり得る」という約束にほかなりません。
この記事では、この約束をどうしたら自分のものにすることが出来るのかを解説します。
ステップ9の約束
・今までにない自由と幸福を実感するようになります。
・過ぎ去ったことを後悔しないし、過去の出来事への抑圧が取れます。
・心の平安ということを理解し、心の静けさを体験的に知ります。
・自分の酷い体験が他の人の回復に役立つことを知ります。
・無能力感や、自己憐憫が小さくなっていきます。
・自分のことを心配するのを止め、他の人たちを配慮するようになります。
・利己的・自己中心主義が消え去ります。
・自分の人生に対する態度と見方が全く変わるようになります。
・人間関係が劇的に良くなります。
・コントロール不能だったことに直感的に対処できるようになります。
・自分自身のうちに安心感を覚えるようになります。
・自分に出来なかったことを神がしてくれていることに気づきます。
1.ステップの9の約束と霊的目覚めは同じもの
ステップ9の約束と言われているものは全部で12個あります。
そのことごとくは霊的に目覚めることによって与えられるものと同一です。
この約束はステップの8・9を解説してあるビッグブックの中に書かれてあります。
この後のステップ10から12は『続けるステップ』と呼ばれます。
続けるとは生涯を通して続けるという意味です。
ということは一回限り取り組むべきステップは8・9で終わりということになります。
その一回限り取り組むべきステップの最後に、この約束が出てくるということは、徹底して取り組むなら必ず与えられると約束されている霊的目覚めと同じものであるということです。
2.心の静けさは不快感情がなくなった状態
多くの人たちが「心の平安って何?」と聞かれます。
多くの人々は心の平安とは心配事が何もない状態を指していると考えます。
しかしそうではありません。
心の平安とは心が静かということであり、心が静かというのは心配事が何もない状態ではなく、不快感情がない状態を指しています。
不快感情は四つあり、恨み・罪悪感・恐れ・後悔です。
もちろんもっと多くありますが、約(つづ)めると四つにまとめることが出来るということです。
ちなみにこの記事を書いているありのパパは恨みの感情が暴走すると怒りの爆発に繋がりました。
そして気が付くと怒り依存症と言われなければならない領域に達していました。
また恐れの感情が暴走することによって病的な不安感情を生み出し、それから逃れるために文字通りありとあらゆる刺激に嗜癖するようになりました。(ACの問題の8番目)

というわけで心の中から不快感情がなくなると嗜癖行動は止まります。
もちろん依存症回路が脳の報酬系に出来ると死ぬまでなくなることはありませんから、強迫観念と渇望現象が襲ってくることがなくなることはありません。
ただそれは昼間に出てくるお化けのようであり、恐ろしくともなんともありません。
この状態では強迫観念が教えるウソ(嗜癖を使うんだ!というウソ)を容易に見破ることができます。
そして同時に心は静けさに満たされるようになります。
3.感情を否認しても感情の暴走が止まったわけではない
アダルトチルドレンは感状が暴走することへの対処策として感情を否認するという手段を選びました。(ACの問題の10番目)
これは子ども時代を生き延びるサバイバル術としては仕方のないものでしたが、大人になっても無自覚に使い続けたために私たちの人生は思い通りに生きていけなくなりました。
その理由は感情を否認しても、感情の暴走そのものが無くなるわけではないからです。
これはストレス解消の手段としてアルコールを使うと、ストレスを感じなくする効果はあっても、ストレスそのものが無くなったわけではないのと同じです。
(ストレスそのものを解消するには適度な運動・充分な休養と睡眠が必要です)
アダルトチルドレンはそれをせずにただ感情を否認しました。
その結果、感情は暴走し、ACの13の問題行動と呼ばれるものを嗜癖として使うようになりました。
その行き着いた先が「自分の人生がどうにもならなくなった」という行き詰まり感です。
4.行動パターンが変われば不快感情はなくなる
どうしたら不快感情は無くせるのでしょうか?
それは本能が傷つかないようにすることです。
人間は本能が傷つくと感情が暴走することによって本能が傷ついたことを教えてくれるようにできています。
時々「私は本能なんか傷ついてません!」という方がおられます。
しかし私たちは本能が傷ついたことを直接的に知ることはできません。
ただ感情が暴走することによって本能が傷ついたのを知ることができます。
本能が傷つかないようにするためには自分自身の性格上の欠点からくる行動パターンを使わないようにすることが唯一の方法です。
自分自身の行動パターン(ある特定の状況で決まりきった特定の行動の型を使うこと)を知っている人はあまりいません。
多くの人は自分は自由自在に状況に対処していると思い込んでいます。
もちろんそれで問題が何もないならば、それで構いません。
しかしそれが自分の人生が思い通りに生きていけなくなっている原因であるならば変える必要があります。
5.霊的目覚めとは行動パターンが変わること
霊的目覚めの本質は宗教体験ではありません。
霊的目覚めの本質は行動パターンが変わることです。
ですからたとえ何十年ミーティングに通っていても、12ステップに取り組んでいたとしても行動パターンが変わっていないなら霊的に目覚めたとは言えません。
6.12ステップはスピリチュアルなプログラム
アルコホーリクス・アノニマス(アルコール依存症者の相互支援グループ)が出しているビッグブックには以下のように書かれてあります。
「通常なら何年も掛かって到達するようなことが僅か2・3ヶ月で実現してしまう」
これは2・3ヶ月で霊的に目覚めることが可能であると言っているのです。
なんと驚くべきことを言っているのでしょうか?
私たちは悪気なく「じっくり腰を押し付けて取り組もう」とか、果ては「一年に1ステップづつ」などと言っている人もいる始末です。
しかし12ステッププログラムを作った人たち自身が「僅か2・3ヶ月で実現可能」と言っているのです。
この理由の一つが12ステッププログラムがスピリチュアルなプログラムであるということです。
スピリチュアルとは霊的ということであり、霊的とは神の恵みによって到達可能であるということです。
神の恵みによるならば、それは一瞬のうちに到達可能であると考えることができます。
ただし、神の配慮に委ねる決心をした場合に限りますが。
中には「『認めて、信じて、おまかせして』だけで、そこに到達できないでしょうか?」と問う人がいます。
しかしそれだけではダメです。
なぜなら「神の配慮」とはステップの4から12までの行動のプログラムに徹底して取り組むなら霊的に目覚めることが出来ることだからです。
だから実際に取り組まない限り霊的に目覚めることは決してありません。
このようにして行動パターンが古いものから新しいものへと変わるとき、私たちはスピリチュアルな世界に住むようになります。
これは地上天国に住んでいるようなものです。
この表現は決して誇張したものではありません。
実はこの表現にはじめて接したとき、ありのパパ自身も「なんと大げさな!」と内心感じました。
しかし霊的目覚めを得て、人生を新しく生き始めたとき、まさしく今の人生は地上天国の歩みであると実感するのです。


◎回復と平安を祈っています。