この記事では、人への恐れが動機となって不正直な行動をすると怒りの爆発につながるメカニズムを明らかにし、次にそうならないための解決策を解説しています。
1.不正直な行動が意味するもの
服従的に振る舞い、自分の意見を言わないのが良いことであると考える方が多いのではないでしょうか?
一般的な話をすれば、それはやむを得ない生き方であるとも言えます。
しかし物事は天秤にかけて考える必要があります。
どういうことかと言うと、そのような生き方をした結果として何が自分の身に起きるかを考える必要があるということです。
私たちの心の中には「もう一人の自分、すなわち自分自身」という存在がいます。
この自分自身は私たちの行いを正確にジャッジします。
例えば恐れが動機となって不正直な行動をすると、すぐさま心の奥から「お前は本当に臆病なやつだな。卑怯なやつだな。生きている価値のない人間のクズだ!」という囁きが聞こえてきます。
カウンセリングの流派の中には、この正確なジャッジそのものを変えようとするものもあります。
しかし、この記事を書いているありのパパは28年の間、このジャッジを緩めようとしましたが、少しは効果がありましたが人生が変わるほどの効果はとうとう見出すことができませんでした。
自分自身に裁かれるのが嫌ならば、自分自身に裁かれないためには不正直な行動を止めるほかはないのです。
それを不正直行動をそのままにしておいて、一方で「ありのままの私で良い」と自己受容に励もうとする営みは徒労に終わります。
2.古い生き方は卑屈、新しい生き方は謙虚
自分の本心を押し隠して、周りの人々の意に沿う対応を条件反射的に行ってしまうのには理由があります。
それは自分が見捨てられたくないからです。
これを『見捨てられ不安』と言い、アダルトチルドレンの問題の12番目に出てきます。

古い生き方が恐れからくる卑屈な生き方であったのに対して、新しい生き方は周りの人々に対して謙虚な姿勢をもって接する生き方です。
今までは「人に傷つけられるのではないか?」という恐れのゆえに卑屈な行動をしていたのですが、これからは人々に対して謙虚に接します。
これは自分のためです。
なぜかと言うと、人々に対して謙虚に振る舞うことに全力を尽くしている時だけ「人が怖い」という人への恐れが自分の中から締め出されるからです。
人間の「意志」には特徴があり、それは一つのことに集中すると他のものを忘れてしまうという性質です。
皆さんも「集中しすぎて、ご飯食べるのを忘れていた!」とか「気づいたら、こんな時間になっていた!」という体験が一度や二度はあるのではないでしょうか?
この意志の特徴を自覚的に活用します。
それが人々に対して謙虚に振る舞うことに全力を尽くすということです。
ありのパパの場合には「敬意をもって接する」という行動パターンになりますが、ある方にとっては「自分のために相手に対して配慮を充実させる」だったり、「勇気をもって相手に接する」になったりします。
すべての人が棚卸し作業を行い、自分オリジナルの新しい行動パターンを作り出すことが大切です。
なぜなら新しい行動パターンは古い行動パターンの対極にあるものでなければ効果を発揮することができないからです。
そして一人として同じ古い行動パターンをもっている人はおらず、それゆえに自分独自の新しい行動パターンを作り出す必要があるのです。
3.癇癪・怒りの爆発を防ぎたいなら新しい生き方を選び取る
この記事を読んでおられる方の中には「そうは言っても周りがうまくおさまるためなら不本意な行動も仕方ない」と考える方もおられるのではないでしょうか?
しかしその結論をお出しになる前にもうちょっとこの記事を読み進めてください。
不正直行動をとると私たちの本能は傷つきます。
ただし、私たちは本能が傷ついたことに気づくことはありません。
本能が傷つくと感情が暴走することによって、私たちは「傷ついたんだな」ということに気づくことになります。
感情が暴走すると不快感情が生まれます。
不快感情とは恨み・罪悪感・恐れ・後悔の四つです。
他にも色々ありますが、つづめるとこの四つに集約されます。
この不快感情が嗜癖に走る原因となります。
良いストレス(一般的なストレス)の場合はスポーツをしたり、睡眠をとることで解消可能です。
しかし悪いストレス(不快感情)の場合には嗜癖に陥ることでしか逃れることができません。
しかも逃れただけで解消はされていませんから、継続的に嗜癖を用いなければならなくなります。
そして嗜癖を用い続けていると脳の報酬系に依存症回路ができます。
そうすると立派な依存症者ということになります。
怒りを爆発させる人々は皆この何処かにいます。
ちなみに、ありのパパは立派な怒り依存症者です。
さて、あなたはどこにおられるでしょうか?
「この不正直行動は周りを丸くおさめるためには仕方がない」と思い定める前に、そのような不正直行動がどのような結果をあなたの人生にもたらすかを知って、人生を転換なされるように心からおすすめします。
4.治りたいのに治らないとはどういうことか?
『治らない。しかし回復は可能。だから回復に専心しよう!』とは依存症治療におけるスローガンです。
治らないとは依存症回路が脳の報酬系にいったん出来ると、それは死ぬまでなくならないということです。
では回復は可能とはどういうことかと言うと、嗜癖に陥る原因である不快感情をなくすことは可能であるということです。
古い行動パターンを止めて新しい行動パターンを生きることによって本能が傷つかなくなると不快感情は消えてなくなります。
不快感情がない状態での強迫観念はまるで昼間に出てくるお化けのようです。
怖くとも何ともありません。
これを「強迫観念が教えるウソを容易に見破ることが出来るようになる」と言います。
5.回復すると自分の物語を自由に語るようになる
自分の話をして嫌がられるときは、自分の話が泣き言・毒吐きになっているときです。
しかし、自分自身の回復の物語を語るとき、人々は惹きつけられるようになります。
これが伝統11の「私たちの広報活動は宣伝ではなく、惹きつける魅力にもとづく」と書かれていることの根拠になっています。
以前は自分の事情をひた隠しにしていたのに、今は語る気はないにもかかわらず気が付くと自分の回復の物語をしています。
「相手に迷惑かな?」と思うのですが、相手を見ると興味津々の顔をされています。
これは「問題のない人はいない」ということを表しているのではないでしょうか。
ここでいう問題とは嗜癖行為を意味しています。
そうです。嗜癖を持っていない人など、この地上に一人もいないのです。
ですから、あなたご自身の回復の物語は多くの人にとって価値のあるものになります。
どうぞご自分が回復したときの姿を想像してみてください。
そしてあなたはもう既に回復の軌道に乗っておられるのです!


◎回復と平安を祈っています。