一般的にアダルトチルドレンは自分の意見を述べると罪悪感を感じます。この記事ではその理由を明らかにし、どうしたらそこから解放されるのかを解説します。
「私たちは他者の意向を考慮せずに自分の意見を述べると罪悪感を感じる」(アダルトチルドレンの問題7番目)
目次
1.自分の意見を主張すると罪悪感を感じる理由
アダルトチルドレンが意見を主張すると罪悪感を感じる理由は何でしょうか?
それは人が怖いからです。
その証拠にその場にいる人が全員自分の味方の場合には意見を述べても罪悪感を感じません。
罪悪感を感じるのは「人が怖い」からにほかなりません。
これを最もありのパパが感じるのは、ブログなどで自分の意見を述べるときには罪悪感を感じないにもかかわらず、その場に他者がいると自分の意見を述べると罪悪感を感じるのです。
間違ってはならないのは罪悪感を感じるのと、緊張するのとは全くちがうということです。
緊張感を感じるのはアダルトチルドレンでなくても誰でも感じます。
そうではなく、ここで問題にしているのは罪悪感を感じることについてです。
2.なぜアダルトチルドレンは人が怖いのか?(原因を深堀りする)
さらに「なぜアダルトチルドレンは人が怖いのか?」を考えます。
原因は生育歴にあります。
健康な親子関係は子供が何か言ったら、それを否定したりせず絶対肯定します。
しかし養育者が精神的に問題を抱えていると、それはできない相談です。
ジャッジしてみたり、闇雲に否定したり、はてはバカにすることによって傷つけたりします。
健全に育った人は社会に出て「世の中の人は親のようにいつも私の味方になってくれるわけではない」という事実に直面します。
そして徐々にその現実を受け入れます。
結果としてどうなるかというと、その人は心の深いところでは親に絶対肯定してもらったことによって育まれた自信を持ちつつ、なかなか思い通りには行かない現実に適用しようと努力するようになります。
これに対してアダルトチルドレンは心の根っこに絶対肯定された経験がありませんから、成熟した考えに到達することができません。
なぜならうまく行かない現実に直面すると「やっぱり私はダメだ」となるからです。
何が「やっばり」なんだよ!と言いたいところですが、心の動きというものは自由意志で何とかなるものではなく、決まったように動くしかないものです。
3.解決は親替(おやが)え
親替えとは自己意志が神の意志と協働して自分自身の愛ある親になることです。
生物学上の養育者も、さらに自分も自分自身の愛ある親になることはできませんでした。
その結果、私たちの人生は自分の思い通りに生きていけなくなりました。
それでこれからは自己意志だけで何とかしようとする生き方を放棄して、神の意志と協働で自分自身の愛ある親になる生き方を選び取る決心をしました。
これがアダルトチルドレンがステップの3でなすべき決心です。
「自分の意志と生き方を自分なりに理解した神の配慮に委ねる決心をした」
親替えをせずに統合作業をしても徒労に終わります。
これがグループセラピーのようになっているミーティングにアダルトチルドレンが何回参加しても回復できない理由でもあります。
アダルトチルドレンの標準的な回復の道はステップ3で親替えをし、ステップ4から12までの行動のプログラムに徹底して取り組むことによって霊的に目覚めることです。
親替えをし、霊的に目覚めてから、統合作業に取り組みます。
そうするときにだけ統合作業は効果のあるものになリます。
4.解決策は新しい行動パターン
自分の意見を述べても罪悪感を感じないようになる解決策があります。
それは新しい行動パターンである「すべての人に敬意をもって接することに全力を尽くす」ことです。
他のことは脇にどけて、とにかく敬意をもって接することだけに全力を尽くすのです。
そうしたらあなたの中から「人が怖い」という恐れが締め出されます。
そうすると不思議なことにキツイことも平気で言えるようになります。
恐れているときは何でもない一言で相手を怒らせてしまうようなこともあったのに、自分の中に恐れがない時に発せられる言葉は人との間にトラブルを起こさないということに気付かされます。
これがアダルトチルドレンが礼儀正しいにもかかわらず人間関係のトラブルが起きがちな理由であり、一方で「あの人は言いたいことを言っているにもかかわらず周りの人に愛されている」と言われる人がいる理由でもあります。
5.どうやって新しい行動パターンを実践するか?
「解決も、解決策も分かった。でもどうやって実践すればよいのでしょうか?」
賢明な皆さんはそのようにお問いになられるでしょう。
12ステップは実に行き届いたプログラムであり、この問題に対しても解決策を提示しています。
それは神の意志を知ることと、それを実践する力だけを神に求めることです。
神の恵みによって始めたのですから、途中で我力(がりき)に切り替えないで、最後まで神の力によって人生を生きようではありませんか。
「祈りと黙想を通して自分なりに理解した神との意識的なふれあいを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求め」るなら、新しい生き方を実践する神の力が必ず与えられます。
ただし、ひとつだけ条件があります。
それは「神の意志と、それを実践する力」だけを求めることです。
それ以外のものも一緒に求めるなら、神の意志を知ることも実践するための力も与えられることはないでしょう。
「なんと厳しい仰りようでしょう!」と感じられるかもしれません。
でも大丈夫です。
もし、あなたが一大決心をして「それだけ」を求める人生を生き始めるなら、あなたに必要な一切合切を神は与えてくださるのです。
だからあなたは心配せずに「それだけ」を求める人生をはじめてください。
『神の国と神の義をまず第一に求めなさい。そうすれば他のものはそれに添えて与えられます』(聖書)
◎回復と平安を祈っています。