やりたいことをやらない、やりたくないことをやるのがステップ6・7!

「ステップ6・7にどう取り組めばよいのか分からない」という声を多く聞きます。
そこでこの記事ではステップ6・7が12ステップに占める位置を明らかにし、次にどのように取り組めばよいのかを解説します。

1.嗜癖の克服にインスタントなやり方は通用しない

嗜癖に悩む多くの人々は、嗜癖行動を止めることにのみフォーカスします。
問題は嗜癖であり、嗜癖から解放されることが問題解決だと考えるからです。
もちろんこれで解決すれば万々歳ですが、多くの場合に失望に終わり、途方に暮れます。
「なぜ、うまく行かないのだろうか?」と訝(いぶか)ります。

上記の取り組み方で正しいのは無力を特定できたところまでです。
実は嗜癖そのものが問題なのではありません。
嗜癖は無力の中身に過ぎません。

真の問題は二つあります。
それは強迫観念と渇望現象です。
強迫観念とはスイッチが入ってしまうことであり、渇望現象とはブラックアウトするまで止めることができないことです。
問題はこの二つしかありません。
そして問題の本質はたった一つです。
それは私たちが強迫観念と渇望現象に対して無力であるということです。

「問題は何か?」「問題の本質は何か?」この二つの質問に正しく答えられるようになることがステップ1に取り組む目的です。

2.嗜癖と行動パターンの関係をまず理解する

私たちはなぜ嗜癖に走る必要があったのでしょうか?
それは不快感情から逃れるためです。

ではなぜ不快感情から逃れたいと思うほどに感情は暴走したのでしょうか?
それは本能が傷ついたからです。

ではなぜ本能は傷ついたのでしょうか?
それは自分自身の性格上の欠点からくる行動パターンが原因です。
一番わかり易いのが不正直です。
例えば、ある人から「〜してくれる?」と頼まれて、実は本当はしたくないにもかかわらず「はい、分かりました」と答えてしまいます。
本当はしたくないにもかかわらず、それを自分にさせる相手を恨みます。
恨みの感情は苦しいですから、どうしたって嗜癖に走りたくなります。

しかしよくよく考えてみると、恨んだ真の原因は何でしょうか?
もしその場面で「いいえ、然々各々の理由でできません」と答えていれば相手を恨むことはなかったはずです。
そういうことから言えば、恨んだ真の原因は私達の側の不正直な対応にあったということができます。

これを逆から見ると、不正直な行動さえしなければ私たちは相手を恨まなかったはずであり、恨まなければ不快感情から逃れるために嗜癖に走る必要もなかったのです。
とすれば問題の解決はこの「古い行動パターン」を使わないで生きていくことになります。
そして解決策は「新しい行動パターン」を使って生きることによって古い行動パターンの出番をなくすこと以外にありません。

ここまでを理解することがステップ2に取り組む目的です。

3.行動のプログラムに取り組まなければ決して人生は変わらない

回復するための見取り図を正確に理解できたら私たちは自身の回復に対して強い意欲を持つようになります。
もはや途方に暮れることはありません。

それでステップ3で行動のプログラムに取り組む決心をし、即座にステップ4から12までに徹底して取り組みます。
ステップ4・5で自分の古い行動パターンを特定し、新しい行動パターンを考えます。

そしていよいよステップ6で古い行動パターンを使わない決心、ステップ7で新しい行動パターンを使って生きていく決心と実践を行います。

4.古い行動パターンを使わず、新しい行動パターンを使う

使い馴れた手口(古い行動パターン)は考えなくても使うことができます。
なぜなら生まれてからこの方ずっと使い続けていますから。

しかし新しい手口(新しい行動パターン)は身に付いていませんから、身に付くまでは自分自身に言い聞かせながらベビーステップ(小さく一歩一歩を歩むこと)で実践を重ねていくほかはありません。
そうしないとスッテンコロリと転んでしまう危険があるからです。
これが本当のスリップですね。

5.新しい人生には神の力が必要

ところで多くの方が「新しい行動パターンを使おうとするのですが、うまくいきません」と言われます。
それで解決法を考えてみました。

三つあります。

①トライ&エラーを通して神の意志に到達する

ありのパパを含めて私たちは「いとも簡単に思い込んでしまう人たち」のようです。
自分で勝手に決めて「これは神の意志に違いないから、神の助けが与えられる」と思い込みます。

しかし多くの場合に神の力は与えられません。
しかし依存症者&AC&共依存症者特有の考えで全く同じ試みをしているにもかかわらず「今度こそ、うまく行くかもしれない」と考えます。
うまく行く根拠は全く無いにもかかわらずです。

このような愚かなことをしてはなりません。
ありのパパは40年間愚かな行動に終始しました。
ありのパパのように人生を棒に振りたくないなら、トライ&エラーを繰り返すことによって神の意志に到達することです。

同じことを何度も繰り返したり、または簡単に諦めたりしないことです。
Aが駄目ならBを試してみることです。
Zに行くまで26回の方法を試すことができます。

この記事を読んでおられるあなたはZまで行き着いたことがお有りでしょうか?
もしないなら「面倒くさいな。でもやってみるか。よっこらしょ!」を重い腰を上げることをおすすめします。
そうしたら必ず神の意志に到達します。

②祈りと黙想を通じて神の意志を実践する力だけを求める

ありのパパが周りの仲間たちを見回してみて実感するのは「祈りと黙想」はあまり人気がないということです。
みんな忙しそうです。でもね、忙しいのは祈ってないからではないでしょうか?

「どうやって祈ったらよいか分からないんです」という方もおられます。
でもね、分からないのは祈らないからです。
分からないなりに祈ってみることしか自分なりの祈りを身に付ける方法はありません。

③失敗したら日々の棚卸しの材料が与えられたと感謝する

「何回やってもうまく行きません」と自己憐憫もどきの嘆きに陥る方もいます。
「でもね、無力なんだからうまく行かないのが当たり前ではないでしょうか?」と言うと不服そうにホッペをふくらませます。

私たちはどこまで行っても無力なのであり、生きている限り無力から解放されることはありません。
これが腑に落ちることが、治ることを諦め、回復を目指すと言うことであり、完全を求めることを止め、成長を目指すことであり、完璧であることを諦め、完遂を目指すことです。

そもそも12ステッププログラムの中に日々の棚卸しが含まれている事自体が私たちが失敗することを前提にしているということが言えます。
失敗しなければ感情が暴走することはありませんから、日々の棚卸しをする必要もないはずです。

しかし一生続けるステップとして日々の棚卸しは私たちに提示されています。
これは取りも直さず私たちが失敗することを前提にしているということです。
「なぁ〜んだ」ということで失敗したら懲りずに日々の棚卸しに取り組もうではありませんか!

◎回復と平安を祈っています。

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