癇癪持ちの方々は怒りを爆発させた後で後悔します。
もしその場に自分をなだめてくれる「もう一人の人」がいたら怒りを爆発させなくてすみます。
この記事では「もう一人の人」を自分の中につくる方法について書きました。
1.怒りを爆発させるのと怒りを否認するのは同じではない
怒りを爆発させる人々はそのことに罪悪感を感じている場合がほとんどです。
それで何とか怒りを爆発させないようにと、念仏のように「怒りを爆発させてはならない」と自分自身に言い聞かせます。
しかしこれは逆効果になります。
なぜかというと怒りを否認しているからです。
これはまるでロックを掛けない圧力鍋の蓋を手で抑えているようなものです。
火が点火されて圧力鍋の温度が上がってくると、ついに手で抑えられなくなる瞬間がやってきます。
これが怒りを爆発させる瞬間です。
このように失敗するのが確定しているような方法を選んではなりません。
確実な方法は闇雲に怒りを抑え込もうとするのではなく、なぜ怒りが爆発するのかの原因を突き止めることです。
2.棚卸し作業に徹底して取り組むことによって実現する
12ステップの棚卸し作業はニュートラルです。
決して誰もさばきません。
怒りを誘発させた人をさばきませんし、怒りを爆発させた人をもさばきません。
だから安心して棚卸し作業に取り組んでください。
怒りは恨みの感情から出てきます。
そして大抵の場合において恨みの感情が暴走するのは共存本能が傷ついた時です。
なぜなら共存本能とは他者とうまくやっていこうとする本能であり、うまくやっていけない時はうまくやっていけない相手を恨むからです。
ではなぜ共存本能が傷ついたのでしょうか?
私たちは今の今まで相手が悪いのだと思い込んでいました。
しかしもし相手に原因があるのだとしたら、相手が変わるまであなたの問題は解決しないことになリます。
ということは自分の人生を相手に支配させてしまうことになりますが、あなたはそんなことを望んでおられますか?
いいえ、そんなことを望む人は一人もいないでしょう。
12ステッププログラムの前提は「他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」というものです。
それでまず自分自身の側の問題だけを取り上げます。
共存本能が傷つくときは性格上の欠点の[利己的・不正直・恐れ・配慮の欠如]の四つが様々に組み合わされて、あなたなりの行動パターンが形作られます。
だからこそ棚卸し作業をやる必要があるのです。
お一人お一人みな行動パターンが異なるので、棚卸し作業をやることによってオリジナルの行動パターンを見つけ出さない限り、解決もないということになリます。
3.癇癪持ちの唯一の解決は自分の中に「もう一人の人」をつくること
自分の行動パターンがわかっただけでは問題は当然のことながら解決しません。
問題行動が解決するためには「もう一人の人」を自分の中に生み出す必要があります。
これは生み出そうとして生み出せるものではなく、棚卸し作業を始めとする12ステッププログラムに徹底して取り組む中で自然に生み出されるものです。
もう一人の人が自分の中にできると、怒りを爆発させようとするともう一人の人が「いいか、お前は普通の人は違うんだ。怒り依存症という病気を持っているのだ。だから気をつけるんだ。くれぐれも自分を他の人と同じだなどと勘違いしないことだ」と言ってくれます。
それで「あぁ、そうか。私は病気だった。この場所から静かに退こう」と考え、そのとおりに行動します。
このようにして怒りが爆発する心理構造はなくなりませんが、怒りが爆発しないで済むための安全装置が働くようになります。
4.日々の棚卸しを続けることによってカラクリを見破る
なぜ人は怒ったり、不機嫌になったり、不愉快な気分になったりするのでしょうか?
それは相手が自分の期待に沿わなかったからです。
しかし真実は私が私自身のために生きていて他人のためには生きていないように、他の人たちだって皆その人自身のために生きているのであり私のために生きているわけではないのです。
けれども多くの人々は「でもちょっとぐらいコチラの希望を叶えてくれてもいいじゃない?」と思っています。
この考えは間違っていません。
多くの場合にそのために対価を払っているからです。
しかしその願いはいつでもどんなときでも正当化できるものでしょうか?
たとえばファーストフードで一流レストランのような対応を当然のこととして期待するのは合理的でしょうか?
いいえ、決して合理的ではありません。
韓国での出来事ですが、ファーストフードで商品が出てくるのが遅かったことに激怒した中年男性がおりました。
この人は即座に商品が出てくるのが当然であり、それが実現しなかったのは私をバカにしているからであると受け取りました。
結果として自尊心が傷つき、恨みの感情が暴走しました。
この男性のコメントで「この人は何もわかっていないのだな」と思わせられるものがありました。
それは「どんな社会的制裁も受けるが、家族がこのことによって受けなくてもよい傷を受けているのが耐え難い」というものでした。
この人は商品が即座に出てこなかったことについては自分が怒りを爆発させるのは正当なことだが、自分が怒りを爆発させた結果として家族が傷つくのは許せない、理不尽であると考えています。
どのような考え方をしたらこのような一方的な物の理解ができるのでしょうか?
家族が傷つくのは予想できることであり、家族を傷つけたくなかったら怒りを爆発させるべきではなかったのです。
しかしこの中年男性にありのパパは仲間意識を感じました。
なぜならかつてはありのパパも心の中で同じことをしていたからです。
実際に怒りを爆発させなかったのは、そんなことをしたら自分自身が格好悪い・世間体が悪いと思っているからに過ぎませんでした。
この思い込みを打破するのは極めて困難です。
しかし、ただひとつだけ思い込みから脱する方法があります。
それは日々の棚卸しを文字通り毎日行うことです。
ありのパパも千回ほど行ったときに自分が利己的であることに気づきました。
毎日やっていましたので約3年間掛かったということになリます。
しかも今も利己的考えは健在であり、少しでも脇を甘くするといつでもスリップ可能という状態です。
しかし神の恵みによってスリップすることから守られ、毎日を心平安に過ごすことができています。
神に感謝します。

◎回復と平安を祈っています。