モデルのローラさんがSNSを通じて辺野古基地移転反対を呼びかけたことが物議をかもしています。
もちろん物議を醸していると言っても、一部の者が騒ぎ立てているのに過ぎません。
日本社会に根強く残る村社会意識について考えます。
1.全ての人に政治的意見を表明する権利があり、その権利は神からのものであり何人も侵すことができない
芸能人には政治的意見を表明する権利がないのでしょうか?
いいえ、全ての人に政治的意見を表明する権利があります。
それは神から与えられたものであり、何人(なんぴと)も侵すことができないものです。
何よりもローラさんはご自分の人気を失うリスクをとって政治的意見を表明したのです。
お若いながらも立派であると、ありのパパは感心しました。
ところがこれに対して全く論理が破綻したような主張を投げつける人が現れました。
もちろんこれはマスコミがローラさんを叩く役者を探し出して、その人の声を拡声器で拡大しているというのが真相です。
2.一部の人々に犠牲を強いる国家はいつか滅びる
沖縄の人々は「もうこれ以上、犠牲を強いられるのはごめんだ!」と声を上げておられます。
歴史的に見ると日本という国はずっと琉球王国の時代から負担と犠牲を強いることをしてきました。
中国を非難する人々は中国国内でチベット民族や仏教徒・キリスト教徒への迫害を問題にします。
しかしその同じ人々が自分の国の中で行われている迫害・弾圧については口をつむっているのです。
これはわざとそうしているのか、それとも殴られたら「痛い!」と感じるだろうという共感性や想像力が欠けているせいなのかは分かりません。
3.「お花畑を作っているのではない」とは何事か?
一部の人々だけに負担を強いる国家はいつかは必ず破綻します。
だからそのことを直感したローラさんはSNSを通じて移転反対の署名を呼びかけたのではないでしょうか?
そのようなことを少しも考えることをせずに闇雲に脊髄反射的に反応してしまってはなりません。
まさに頭の中にお花畑を作っているのはどこの誰でしょうか?
それを言っている本人ではありませんか!
4.CMから降ろすという発言
アメリカなら政治的発言をした人をコマーシャルから降ろしたら、その企業が非難されます。
事実、人種差別を理由に起立することを拒否した運動選手はスポーツ器具の会社のコマーシャルから降ろされることはありませんでした。
自分のところのコマーシャルにローラさんを起用していたら降ろすと発言した人がいましたが、ありのパパなら(そして良識を持つ多くの国民も)そのような病院を利用しようとは思わないでしょう。
5.ローラさんをひとりぼっちにしない。小さき者の声をあげよう!
聖徳太子の言葉に「和(やわ)らぎをもって尊しとなす」ということばがあります。
この「和らぎ」とは寛容な心で他者と平和な関係で結ばれるということです。
それがどういうわけか、もともとの意味と正反対の「和(わ)をもって尊しとなす」とされました。
これによって事を荒立てないことを最優先とするという「ことなかれ主義」を生み出してしまいました。
ローラさんはリスクをとってご自分の政治的意見を表明なさいました。
私たちは寛容な心をもってどんな立場をも受け入れる平和な関係を築きたいものです。
◎平安と祝福を祈っています。
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