アダルトチルドレンや共依存の人が回復しているとわかる四つの印!

物質依存や行為依存なら明確なシラフの定義があります。
しかしACや共依存の人のシラフの定義は簡単ではありません。
なぜならこの人々のシラフは目に見えないからです。
この問題に苦しむ人々の助けになることを願って記事を書きました。

1.アダルトチルドレン&共依存の人が回復するために大切なのは人への恐れに気づくこと

なぜ私たちACや共依存症者が人に依存的になるかと言えば、それは人に依存している間は自分の中にある人への恐れを見ないで済むからです。(アダルトチルドレンの問題行動の12番目)

2.人を恨む本当の原因は自分自身の不正直にある

人が怖いので人との間にトラブルが起きたときに自分に正直に行動することができません。
お腹の中では「それはダメだろう!」とか「それはおかしいやろ!」と怒っているにもかかわらず、人が怖いので「分かりました」とか「仕方ないですね。次から気をつけてください」などと本心とは違う行動を取ります。

自分自身に対して「世の中なんてそんなもんさ」とか「あの人は初めからそういう人だったんだ」などと見え透いた言い訳をしますが、もう一人の自分である自分自身を騙すことはできません。

自分自身という存在は自分に向かって「お前は本当に臆病なやつだな」とか「お前は本当に卑怯なやつだな」「お前は生きている価値のない人間のクズだ」などと言うのです。

その結果、共存本能の自尊心が傷つきます。

これに気づくと「他人は私を傷つけることはできない」という事実にも気づくようになります。
なぜなら自分が人を恨むようになった本当の原因は自分の不正直な行動が原因だったと気づくからです。

3.回復の軌道に乗っている明確な印は自分の中に不快感情がないこと

アダルトチルドレンや共依存の人のシラフの明確な印とは何でしょうか?
ある人は元気良さや明るさであると言いますが、そんなものはいくらでも演技できます。
ACや共依存症者にとって演技するなどはお手の物ですから。

ACや共依存症者にとっての本当のシラフの印は自分の中に不快感情がないことです。
不快感情を生まないためには四つの行動パターンを使わないようにすることです。

①恐れが動機となっている不正直な対応をしない

これが最も根本的な行動パターンとなります。
もし「それはダメだろう!」とその時に言えれば恨んでなかったのではないでしょうか?
それが言えなかったので相手を恨むようになったのです。

そうであるなら恨むようになった原因は相手にではなく自分の側にあったということになります。

これに気づくと生きるのが楽になります。

この行動パターンは目に見えませんから、自分が古い行動パターンを使っていても気づかないときがあります。
でもご安心ください。
古い行動パターンを使うと本能が傷つき、本能が傷ついた結果として感情が暴走します。
感情の暴走とは不快感情のことであり、恨み・罪悪感・恐れ・後悔の四つがあります。

不快感情のどれかが自分の中にあるなら、古い行動パターンを使ったという証拠です。
逆に言えば、自分の中に不快感情がないことが回復の軌道に乗っている確かな印ということになります。

②利己的な動機が原因となっている配慮の欠如に陥らない

恐れに基づいた不正直行動の次に私たちに大きな影響を与える行動パターンが利己的な動機が原因になっている配慮の欠如です。

利己的とは「他人のことなんかどうでもいい」とお腹の中で考えることです。
そのように考えていると必然的に配慮が欠如するようになります。
これはある面では当然のことです。

③自分の側に落ち度がなかったものについては配慮の欠如に◎をつける

利己的振る舞いをしなかったにもかかわらず、人間的トラブルが起きるということはあり得るでしょうか?
ありのパパは充分にありえると考えています。

自分の側に問題がないにもかかわらずトラブルが起きてしまったとき、私たちはどのように対処すればよいでしょうか?

それは棚卸表の配慮の欠如の欄に◎をつけることです。
よく考えてみれば「私は充分に配慮した」などと言えるようなことは現実には不可能です。
ですから「次からはもっともっと配慮を充実させていこう!」と考えるのです。
これで一件落着です。

このように考えることができるようになるまでは後悔という不快感情が消えることはありません。
「あのとき、ああしておけばよかった」という後悔から免れるようになることがシラフの明確な印となります。

④人生には仕方がないと受け入れるしかないものがあるのを認める

たとえば育ててくれた親が毒親だったとします。
これはこちらの側には一切の落ち度がありません。
よく言われるように「親を選んで生まれてきた」わけではないからです。

親を選んで生まれてきたと考える人は「生まれてきてゴメンね」と言うようになります。
しかし事実はそうではありません。
私たちの側には一切の落ち度がないのです。
だから「世の中には仕方ないと受け入れるしかないものがある」と認めることです。

「仕方がなかったのだ」と思えるようになるまでは罪悪感が消えることはありません。
「仕方がないことも世の中にはあるのだ」と思えるようになるとき生きるのがますます楽になります。

◎回復と平安を祈っています。

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