「私たちはとても依存的である。なぜなら人に依存している間は自分の中にある人への恐れを見ないで済むから。私たちは子ども時代に経験した見捨てられる痛みを再び味わわないためなら何でもやってのけるほどである」(アダルトチルドレンの問題行動の12番目)
その依存的行動の底に潜むのは見捨てられ不安ではないでしょうか?
この問題に気づいて、回復の道を歩みましょう!
1.殴られて育ったありのパパ
ありのパパは父親に殴られて育ちました。
これが端的に表している関係は、そこに人格的関係が存在しないということです。
犬でも蹴飛ばせば「キャン!」と泣きます。
ですから犬を愛しているなら犬を殴ることは決してしないでしょう。
それを人間に、しかも我が子に暴力を振るうというのは愛がないということです。
人格的関係という言葉も愛という言葉も指している内容は同一です。
人格的関係とは相手のうちに人格を認めるということです。
それは殴ったら「痛い!」と感じるだろうという想像力でもあります。
ですから殴られるということは愛されていない、人格的関係が存在しないということの証拠なのです。
子供心にその事実を目の前に突き出されるのが怖かったのです。
統合作業をしていてありのパパが気づいたことは、殴られることを恐れていたのではなく、愛されていない・人格的関係が存在しないという事実に直面することを恐れたのだということです。
2.気配り・目配り上手が実は………
ありのパパはずっと自分なりにではありますが、気配り・目配りの人として生きようとしてきました。
そしてつい最近まで「それでよい」と思っていました。
しかしアダルトチルドレンの問題行動の12番目の統合作業に取り組む中で、なぜ自分が気配り・目配りをしてきたのかの動機を考えるようになりました。
その動機とは「見捨てられることへの不安」でした。

3.人への恐れの根底には見捨てられ不安がある
ありのパパの性格上の欠点からくる行動パターンは「人が怖いという人への恐れが動機となって不正直な対応をする。そしてその結果トラブルが起きた人々を自分の側に落ち度があるにもかかわらず一方的に恨むという極めて利己的な生き方」でした。
ではなぜ人を恐れるかというと、それは父親に虐待されたので大人になっても他者を恐れるようになったのだと理解していました。
しかし恐れの根底にあるものには気づいていませんでした。
それでも問題はありませんでした。
なぜなら全ての人に恐れは存在するからであり、恐れそのものを解決しようとする試みは結局徒労に終わるからです。
それよりも大切なことは新しい行動パターンを使って恐れを自分の中から締め出すことです。
しかし統合作業をする中でとうとう直面するときがやってきたように感じました。
4.治らない。しかし回復は可能。それが統合作業
統合作業をやる中である程度明らかになったことは、人への恐れの根底に見捨てられ不安があるということでした。
そのように理解すると自分の行動の中で不可解だったことが腑に落ちるようになりました。
たとえば対人関係でどこか妙に緊張していることなどです。
アダルトチルドレンは他の依存症と同じく治らない病気ですが、回復は可能です。
12ステッププログラムに徹底して取り組むなら霊的目覚めが与えられると、すべての人に約束されています。
霊的目覚めが与えられたあとは生涯を通して統合作業に取り組みます。
取り組めば取り組むほど人格が造り変えられ、人間関係が改善し、その結果として人生がどんどん良くなります。
5.アダルトチルドレンは人間関係の依存症
アダルトチルドレンは明白な依存症の一種ですが、しかしその事実を明確に受け入れることは難しいことです。
なぜなら否認が強いからです。
またアルコールなら誰が見てもアルコール依存症という表れがありますが、アダルトチルドレンの場合はどうみてもおかしいと他人が思っても単に「変わった人」で片付けられることが多いからです。
そんなこんなで回復に取り組まずに回復しないまま一生を終わってしまう人がこれまでは多かったのです。
しかし今の時代は回復するための方法論が確立され、相互支援グループも各地に存在します。
(ありのパパのブログでもACと共依存症者のためのミーティングをやっています)

回復しようとする『やる気』があるなら、どなたでもアダルトチルドレンから回復することが可能です。
◎回復と平安を祈っています。