依存症とはある時に突然スイッチが入ってどうにもならなくというものではありません。
そうではなく日常生活の中で不快感情をため込み、それがあるところまで来ると溢れ出るようなものです。
1.単なる癇癪持ちから怒り依存症者であるとの認識の転換のきっかけになった事件
ミーティングが開かれるまで時間があったのでホールで待っているときでした。
そのホールには営業マンと思しき男性の方がおられました。
その方は打ち合わせする前に会社と電話連絡しておられました。
その方は元気の良い方であり、お客さんに好かれそうな人でした。
それゆえ声も大きかったです。
ありのパパはとっさにホールでの大きな声での電話はお控えいただくようにお願いしようとしました。
しかし口を開いた瞬間に怒鳴り声を上げていました。
この事件を通して自分は完全に怒りのコントロールが聞かなくなっていると思いました。
同時にこれは単なる癇癪持ちというようなものではなく、怒り依存症であるとの認識を持たざるをえませんでした。
それでその時から自分のことをミーティングで自己紹介する時に「癇癪持ち・怒り依存症のありのパパです」と言うようになりました。
2.怒り依存症とはどんな状態か?
これは底がツルツルの靴を履いて氷の上を歩いているようなものです。
いつスッテンコロリと転んでしまうか分からない不安定さがあります。
それでこれは一般的なカウンセリング的アプローチではなく、依存症からの回復プログラムである12ステップによる必要があると考えました。
ある仲間がとても良い例え話を教えてくださったので、それを皆さんにもお分かちします。
それは私たちはスリップすることを「スイッチが入った」と言い、何とかスイッチを入れないように頑張ります。
しかし実はそれは間違いであり、私たちがスリップするのはダムの水が満水になってダムが決壊するようなものです。
依存症とは決壊しやすい脆弱なダムを指しています。
何回も何回も決壊してそのたびに作り直すので、構造そのものが弱体化してしまっているのです。
3.ダムを決壊させないための二つの方策
ダムが決壊しないように必死になって頑張っても無駄です。
そんなことをするのではなく、二つのことをする必要があります。
①共同体から受ける助けと支え
一つは満水になりかかったダムから水を放流させることによって決壊を防ぐのです。
これはミーティングでの分かち合いを意味しています。
ミーティングの場を単なる愚痴・泣き言・毒吐きにするのではなく、自分の本音を吐露するのです。
苦しいときは苦しいと言い、悲しいときは悲しいと言い、嬉しいときは嬉しいと言うのです。
愚痴・泣き言・毒吐きの本質は「私は全然悪くない。悪いのはみんな他人である」ということです。
自分に焦点を当てないで人々に焦点を当てている限り、回復はいつまでたってもちっとも進まないでしょう。
ミーティングで自分に焦点を当てた話をすることによって満水になることによるダムの決壊を防ぐことができます。
これが二つの解決策のうちの一つである「共同体から受ける助けと支え」です。
②霊的に目覚める
もう一つはダムに水を溜めないようにすることです。
そもそも水が溜まっていなければダムが決壊することもありません。
これは性格上の欠点からくる行動パターンを変えることです。
12ステップの4・5に取り組むまでは他人が私を傷つけ、その結果感情が暴走して嗜癖に走るのだと思い込んでいました。
しかし実はそうではなく、自分自身が不正直な行為をしている自分を見て「お前は本当にダメなやつだな。お前は人間のクズだな」と言います。
そのことによって自分の本能である自尊心・対人関係・感情面での安全などが傷つき、その結果として恨み・罪悪感・恐れ・後悔などの感情が暴走しました。
(これは恐れと不正直が主な行動パターンの場合です。これ以外にも様々な行動パターンがあります)
私たちはこれらの不快感情から逃れるために嗜癖に走らざるを得なかったのです。
分かってみれば全ては自作自演の一人芝居でした。
新しい行動パターンを使って全力で生きていくとき、ダムに水はたまりようがありません。
決壊しやすいダムであったとしても水が溜まらなければ決壊しようがないのです。
このことが本当に分かり、行動パターンを変えていくことが霊的に目覚めるということであり、12ステッププログラムが私たちに提供する本質的な解決策なのです。
4.日常生活での注意点
注意する必要があるのはダムに水がたまっていないとしても強迫観念と渇望現象は日々襲ってくるということです。
これは脳の報酬系に依存症回路がいったんできると死ぬまでなくなることがないためです。
ありのパパにも日常的に強迫観念が襲ってきます。
「怒ったれ!怒鳴ってやればいいんだよ!」という強迫観念が教えるウソが聞こえてくるのです。
そのようなとき、自分自身を点検することは「ダムに水はたまっていないか?」ということです。
新しい行動パターンを使って全力で生きていれば(ステップ7)ダムに水はたまりませんが、知らず知らずのうちに溜まっている場合もあります。
また「ミーティングで建前ばかり話していないか?」ということも点検します。
ありのパパにとってのミーティングはメッセージ活動でもありますので、どうしても建前にかたよる傾向があるのです。
しかしこれをそのままにしておくことは自殺行為です。
この二点を点検して問題がなければ静かに目をつぶって次のように祈ります。
「私には出来ない。しかし神には何でもできるからである」
この祈りを三度繰り返します。
そうしてから目を開くと、渇望の波は自分を通り過ぎています。
(三度で諦めるわけではありません。通り過ぎるまで何度でも祈ります)
このようにして私たちはソブラエティ、感情面でのシラフ・情緒面でのシラフを生涯を通して維持することができます。

◎回復と平安を祈っています。