多くのクリスチャンにとっての隠れた悩みは「いつまで経ってもちっともキリストに似ない」ということではないでしょうか?
キリスト様と瓜二つにまではならなくてもいいから、少しぐらい似てるところがあってもいいのにと思っていませんか(笑)。
パウロは新約聖書のコリント教会への手紙第二の3章でキリストを信じたクリスチャンがキリストに似た者へと変わり続けていく秘訣を述べています。
ご一緒に見てまいりましょう。
1.偽教師が教える福音
パウロはここでも偽教師について述べていますが、ここでは偽教師の動機や行いについてではなく、宣べ伝える福音の内容に言及しています。
それは彼ら偽教師の宣べ伝える福音は、キリストを信じて救われても人格が変えられることがない福音であるというのです。
2.真の福音とは?
①入信時に、誰にでも分るほど明確に人格的変化があること。
②良い教え(律法)を守るように勧める働きではなく、御霊の神によって人を生まれ変わらせる働きであること。
③入信後も、ますます人格的改変が起こり続けること。
3.変わり続ける秘訣
①無力を認め続ける
クリスチャンは入信のときには自分には律法を守る力がないこと、しかしキリストにはこんな自分を救うことができると信じます。
しかしどういうわけか入信後は一転して、律法を全力で守ろうとし始めます。
それが出来ないから、信じたにもかかわらずです。
なぜでしょうか?
それは教会内の文化的圧迫がそうさせるのだと思います。
当然守れませんから、神に助けを求めます。
しかし神は、人が全く無力であることを認めるまではお助けになりません。
なぜなら中途半端なところで助けると、助けられた者は勘違いして「俺もやれば出来るじゃん。俺もたいしたもんだ」と思うようになるからです。
②無力を認め続けるとは、どういうことか?
これは罪を犯し放題で良いということではありません。
それでは未信者と変わるところがありません。
罪から解放され続ける毎日を送っていても、その力が自分のうちにはなく、ただ御霊の神によることを認めることです。
その際に偽りが入り込まないようにしなければなりません。
罪を犯したのに、その張本人がいけしゃあしゃあと「今の私があるのはすべて御霊の神によるのです」と言ってはなりません。
これは偽り者であり、神の裁きを身に受けます。
このようなときには正直に、「私には固有の弱さがあり、今戦っている最中です。御霊の神が必ずこの罪から解放してくださることを信じています」と告白すべきです。
そうしたらこの告白をご覧になっておられる御霊の神が、力を与えて聖い生涯を送らせてくださいます。
③継続的悔い改め
私たちの聖書への理解には常に限界がつきまといます。
また様々な問題を把握すること、認識すること、解決へ努力することにも至らなさがつきまといます。
ですから私たちは自分の限界や至らなさや間違いに気づいたら、即座におわびすることです。
これが御霊の神によって変わり続けていこうとするときに、私たちの側で出来るただ一つのことです。
○変わろう、変わろうとしないことです。
私たちには変わることが出来ません。
それでもなお、変わることを切に求める心があるとしたら、隠された万能感があるのです。
もし本当に変わることが出来ないと認めたら、御霊の神が私たちに取って代わってくださいます。
ですから私たちがまずなすべきことは変わろうとすることではなく、自らの無力を認め、神様ならこんな自分を救うことが出来ると信じることです。
◎平安と祝福を祈っています。