12ステッププログラムでは「無力を認めたら、回復への強い意欲を持つようになる」と教えられています。
それにもかかわらず我が国の共同体の中ではあたかも「無力を認めたら、あとは神におまかせ。私にできることは何もありません」みたいな態度を取るのが定番になっているような風潮があります。
1.なぜ無気力になるのか?
①仏教の影響
無気力になる原因はいくつか考えられます。
それは日本の精神風土が仏教の強い影響下にあるということです。
それで無力を認めたらイコールで無気力になることであるという誤解を産みます。
諦観・傍観は12ステッププログラムとは無縁のものです。
もちろん仏教が教える諸行無常は心が健康な人々には効果があります。
しかし脳の報酬系に依存症回路ができてしまい、強迫観念と渇望現象に毎日のように襲われる人にとっては効果がありません。
「もう私は戦うのを止めます」と言うとき、それは代わりに神に戦っていただくことを意味しているのであって、文字通りの「戦うの止める」わけではありません。
なぜなら、こちらの側でいくら止めると言っても、脳の報酬系から絶え間なく強迫観念と渇望現象が襲ってくるのですから本当に戦うのを止めるわけには行かないのです。
②ステップの1を2から切り離して理解している
ステップの1と2はセットになっています。
ステップの1で問題が2つあり(強迫観念と渇望現象)、問題の本質は強迫観念と渇望現象に対して自分が無力であるということを学びます。
ステップの2で解決は「自分を超えた大きな力」であり、問題が2つあるように解決策も2つあること(共同体から受ける助けと支え、霊的に目覚めること)を学びます。
ステップ2の解決と解決策を知れば、回復への強い意欲を持つようになるのは当然のことです。
持たないほうがおかしいと言えるぐらいです。
ここは誤解しやすいところですが、無力を認めたから自分を超えた大きな力を信じたのはないのです。
信じた理由は解決と解決策を明確に理解することができたからにほかなりません。
この時点で信じた人は回復への強いを意欲を持っています。
ですから回復への強い意欲を持たずに信じるという行為に踏み出すことはありえないのです。
2.解決策は霊的に目覚めること
ふたつの解決策が分かったら、自分の意志と生き方を自分なりに理解した神の配慮に委ねる決心をするようになります。
それは解決策を自分のものにするという明確な目的があります。
闇雲に委ねるわけではなく、また宗教行為として委ねるわけでもありません。
委ねたのは霊的に目覚めるという目的のためです。
それ以外にはありません。
3.霊的に目覚めるために共同体があり、12ステッププログラムがある
①共同体によって12ステッププログラムは受け渡される
現在では中間施設がありますが、それでも通常は共同体によって12ステッププログラムは手渡されるものです。
ですから文字通り共同体から受ける助け支えが解決策の一つなのです。
②12ステップに徹底して取り組むなら、誰であっても自分のものにすることができると約束されている
ありのパパが霊的に目覚めることをミーティングで強調すると、メンバーの顔に不安の表情が浮かびます。
「私は霊的に目覚めていない」という不安です。
しかしその不安は根拠がなかったりします。
なぜならしっかりと何年にもわたってシラフの生活を続けているならば、自覚のあるなしにかかわらず霊的に目覚めているということが言えるからです。(もちろん霊的に目覚めることなしにたまたまシラフを維持できているという可能性も否定はできません)
しかし多くの人々の不安は、今まで共同体の中で霊的目覚めが強調されることがなかったため、どちらかと言うと等閑に付されていたために、霊的に目覚めるということがどういうことかを知らないだけという場合が多いように思います。
日本の自助グループでは「12ステップに取り組むなら回復する」と教えられてきました。
しかし事実はそうではありません。
正しくは「霊的に目覚めるなら回復する。そして12ステップに取り組むならすべての人に霊的目覚めは与えられると約束されている」というのが真実です。
4.どうやって霊的に目覚めるか?
①棚卸し(ステップ4・5)
霊的に目覚めるための第一の段階は棚卸し作業に取り組むことです。
ステップの4と5でやります。
②新しい行動パターン(ステップ6・7)
棚卸し作業によって自分自身の性格上の欠点から来る行動パターンを特定できたら、その古い行動パターンを使わないで生きていく決心をし(ステップ6)、古い行動パターンと退去にある新しい行動パターンを使って生きていく決心と助力を神に祈ります(ステップ7)。
これが霊的に目覚めるための第二段階です。
③埋め合わせ(ステップ8・9)
これからの人生を埋め合わせの人生として用いていく決心と実践をします。
埋め合わせすることによって不快感情のうちの罪悪感と後悔を処理することができます。
これが霊的に目覚めるための第三段階です。
5.目覚めたあとはどうすればよいのか?(ステップ10〜12)
ステップの10から12は生涯続けるステップであり、やればやるほど人格が改変し、人間関係が改善され、結果として人生が変わります。
①日々の棚卸し
スポットチェックを続けることによって分かることがあります。
それは人間関係への利己的な考え方がいかに自分の中に深く根を張っているかということです。
これを日々の棚卸しによって修正していきます。
それまでは人々を敵と味方に分けていたのが、段々と「すべての人は仲間である」という考えに変わっていきます。
そうすると生きるのがますます楽になっていきます。
②祈りと黙想
そもそも私たちがなぜ依存症やアダルトチルドレン・共依存症になったかと言うと、それは自己意志を我力(がりき)で実践しようとしたからでした。
自己意志は必然的に自己実現を目指すものですから、どうしても利己的振る舞いをしがちになります。
利己的振る舞いは人を傷つけます。
傷ついた人を見て、罪悪感を感じます。
また我力で生きようとすると、どうしても配慮の不足に陥ったり、思慮が足らなかったりするので、判断に誤りを生じがちになります。
その失敗したことについて後悔の感情が暴走することによって自己憐憫が生じます。
これらの不快感情から逃れるために嗜癖行動に逃避します。
これが依存症が持つ特有の構造なのです。
ですから根本的に回復したいなら自己意志に変えて神の意志を、我力に変えて神の力を求める必要があります。
これを「ステップ3で捧げた自己意志が、ステップ11で神の意志として戻される」と言います。
③ふたつの間違った生き方とたった一つの正しい生き方
a.自己意志を神の力で実現しようとする生き方
これは世の中のスピリチュアルと言われる教えのほとんどがそうです。
しかしわかりきったことではありますが、神の力は神の意志を実践しようとしている時だけ与えられるものです。
いかに自分で「これが神の意志でないわけがない!」と力んだところでなんにもなりません。
この生き方は必ず不毛な結果に終わります。
b.神の意志を我力で実践しようとする生き方
そんなバカな思われるかもしれませんが、案外この生き方を知らず知らずのうちに実践している人が多くおられます。
神の意志を驚くほど正確に受け取っているのですが、どういうわけか祈ることも黙想もせず、我力で実践しようとします。
この生き方はカウンセリング的アプローチで問題を何とかしようとする人が陥りがちな誤りではないでしょうか?
c.神の意志を神の力で実践する生き方
上記の二つの誤りに別れを告げて『神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求め』るとき、今までは空回りするばかりだった人生の歯車が静かに回り始めます。
昨日よりは今日、先週よりは今週、先月よりは今月、去年よりは今年と振り返ると人生が確実に変わっているのを気づきます。
これは振り返らないと気づかないことです。
ですから定期的な『振り返り』は重要です。
④メッセージ活動
これらのステップを踏んだ結果、私たちはついに霊的に目覚めました。
そして『霊的に目覚めるなら、依存症・アダルトチルドレン・共依存症から回復できる』というメッセージを今苦しんでいる仲間たちのところに運びました。
⑤統合作業
メッセージ活動で12ステッププログラムは終わりではありません。
未解決のままになっている自分自身の他の問題についても12ステップの原理を応用することによって解決しようと今日一日努力します。
これはアダルトチルドレンにとっては統合作業を行うことにほかなりません。
13あるアダルトチルドレンの問題リストは、視点を変えると13の嗜癖行動ということもできます。
これを一つ一つ、統合作業を行うことによって症状の軽減を図ります。
統合作業は祈りと黙想の時間にやってもいいですし、ありのパパのように毎朝12ステップを1から12まで踏んだあとにやるのもよいでしょう。
どうでしょうか?無気力になっている暇は少しもないばかりか、私たちが自分自身の回復に対して強い意欲をもつようになる理由がお分かりになられたでしょうか?
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◎回復と平安を祈っています。