アダルトチルドレンにとっての解決は「自分自身の愛ある親になることである」とACoAのミーティング・ハンドブックには書かれてあります。
では「誰が」自分自身の愛ある親になるのでしょうか?
そして「どうやって」愛ある親になるのでしょうか?
今日はこの問題を考えます。
目次
1.自分自身の愛ある親になるのは誰か?
18歳までは生物学上の親が私たちの愛ある親の役目を担います。
そして独り立ちしてからは自分という存在が自分自身の愛ある親になります。
12ステッププログラムでは「自分自身」のことを本能と呼びます。
本能とは共存本能・安全本能・性本能・将来野心の4つによってなるものです。
自分自身に対して愛ある親の役目を果たすのが自己意志です。
しかし自己意志だけでは自分自身の愛ある親の役目を十分に果たすことはできませんでした。
それで気がついてみれば「自分の人生が思い通りに生きていけなくなって」いました。
それでステップ3では、自己意志だけで自分自身の愛ある親の役目を果たすことを止め、神の意志と協働(きょうどう)して自分自身の愛ある親の役目を果たすことを決心しました。
これがアダルトチルドレンがステップの3でやることです。
ありのパパが12ステップに徹底して取り組んだのは58歳のときです。
ということは自己意志だけで自分自身の親の役目を果たそうとした期間は40年ということになります。
生物学上の親が親の役目を果たしたのは18年間、自己意志が親の役目を果たしたのは40年間。
さて、自分の人生が思い通りに生きていけなくなった責任が一番重いのは誰でしょう?(笑)
まさに「恨むんだったら、親じゃなくて自分を恨めよ!」ということではないでしょうか?
これは誰かを責めるために書いているのではありません。
ただ問題を正しく理解することさえできれば恨みは即座に消え去るものであるということを申し上げたいのです。
2.「委ねる決心」を何百回しようとも委ねた人生は実現しない
自分の人生を神に委ねるという教えはキリスト教の基本中の基本です。
ただ、ありのパパはただの一度も「どうしたら委ねた人生が実現するか」について教えられたことがありません。
これは多分、委ねる人生の具体的な実現の仕方を誰も本当には知らなかったからではないかと考えています。
しかし今は委ねた人生を現実のものにする方法を知っています。
皆さん、お知りになりたいですか?(笑)
先延ばしにするのはやめて、さくっとお教えしましょう。
それは行動のプログラムと呼ばれるステップ4以降に取り組むことによってです。
それでステップ3を踏んだら間を置かないで即座にステップ4の棚卸表の作成に取り掛かります。
そしてステップ5で第五ステップパーソンとかシェアリング・パートナーと呼ばれる「もう一人の人」と一緒に自分自身の性格上の欠点から来る行動パターンを特定します。
ステップ6では見つけ出した古い行動パターンを使わない決心をし、ステップ7では古い行動パターンと対極にある新しい行動パターンを使って生きていく決心と、助力を神に祈ります。
ステップ8・9では残りの人生を埋め合わせの人生として用いていく決心と実践を行います。
埋め合わせを行うことによって4つの不快感情のうちの罪悪感と後悔の感情が大きく減退します。
この2つの感情を残したままでシラフの生活を送るのは困難です。
ですからどうしても埋め合わせを行うことによって罪悪感と後悔の感情を処理することが大切です。
ここに至るまでに私たちは大きな変化を幾度も体験します。
まず棚卸し表を作る段階で第一の変化を体験します。
次に棚卸表をもう一人の人に見せることによって、人生で最も大きな視点の転換を経験します。
さらにステップ6・7で自分の人生が新しく変えられるのを実感します。
そして埋め合わせによって罪悪感と後悔の感情を始末することにより、生まれて初めてと言ってよいほどの心の軽さを体験します。
通常はここまで来ると「委ねた人生」が実現しているのに気づきます。
アダルトチルドレンにとっての『委ねた人生』とは、神が自分自身の親になってくださる人生が実現したことにほかなりません。
3.続けるステップを実践すると無限に成長できる!
ステップの10から12は「続けるステップ」と呼ばれます。
これらのステップに日々取り組むことによって、自分の人生がどんどん回復し、更に成長の領域へと進んでいくのを感じます。
①ステップ10は共依存症者のためのステップ
棚卸しを毎日やることによってのみ気づくことがあります。
それは人間関係に対する利己的な考え方が自分自身のうちにいかに深く根を張っているかということです。
ありのパパの場合ですと「人々は私の期待したとおりに動いて当然である」と思い込んでいました。
しかし事実は「私が私自身のために生きていて他人のためには生きていないように、人々も皆その人自身のために生きているのであり、私のために生きているわけではない」のです。
それで現実の世界では誰一人としてありのパパの期待したとおりに動く人はいませんでした。
今度はその事実を間違って解釈しました。
それは「人びとが自分の思ったとおりに動かないのは人をコントロールする能力に欠陥があるからだ。こんな欠陥人間の自分は生きていないほうが良い。死んだほうが良い」と考えるようになりました。
これはまさにアダルトチルドレンの問題リストの11番目の「私たちは自分自身を厳しくさばく。そして自己評価も非常に低い」という特徴として現れました。
「人をコントロールしちゃえばいいんだよ!」という考えが強迫観念として襲ってくる病気のことを共依存症と言います。
ありのパパは12ステッププログラムに取り組む中で自分が共依存症者であることに気が付きました。
問題が二つあるように解決策も2つあります。
一つは「もともと自分の中には人をコントロールする能力などなかった」ということを自分自身に教え諭すことです。
もう一つは「そもそも人々には私の期待したように動かなければならない義務などこれっぽっちも存在しないのだ」という事実を自分自身に言い聞かすことです。
そうしたら、まるで憑き物が落ちたように心が軽くなり、力みが取れて体が軽くなったように感じ、さらには自分のことが笑えてさえ来るようになります。
②「敵か味方か?」から「人々は私の仲間」へ
自分の期待したとおりに動いてくれる人は自分の味方であり、期待に反した動きをする人は自分の敵と感じます。
これを間違った考えであると気づき、日々の棚卸しによって修正していくときに起きることがあります。
それは「敵か?味方か?」という区別の仕方が次第に消えていき、「人々は私の仲間である」という概念が育ってきます。
「敵か味方か」と思っていたときは緊張しますので、それが人間関係に反映してギスギスしたものになっていました。
しかし「すべての人は私の仲間である」という概念が育ってくると、リラックスできるようになります。
そしてこれが人間関係にも自然に反映されていきます。
③すべてのことを相働(あいはたら)かして益(えき)としてくださる神
ここまで来ると、私たちはあることに気づきます。
それは世の中の人が知らない宝物を自分が与えられているという事実です。
これはアダルトチルドレンや共依存などの依存症にならなければ自分のものにすることができない真理でした。
このゆえに「私は依存症になってよかった」と告白する方が多くおられるのです。
聖書には「苦しみに出会ったことは私にとって良いことでした。なぜなら私はそれで神のおきてを学んだからです」という言葉があります。(旧約聖書・詩篇119篇71節)
どうぞ、途中で立ち止まらないで12ステップの最後まで到達なさるようにと願っています。
◎回復と平安を祈っています。