多くの方々がなんとかしたいと感じていることの中に「共依存」という問題があります。
そこで共依存になる原因を明らかにし、明らかにするだけではなく、そこからの確かな実証済みの回復の方法を具体的に詳しくご説明します。
1.共依存症者やAC(アダルトチルドレン)になる原因
ありのパパの子供時代は、場をコントロールすることが全くできない(しようとする気がそもそもない)両親のもとで育ちました。
ですので子供として受けるべきケアを受けることができず、またそれを言語化するすべを持ちませんでしたので、文字通り生きているだけで苦しいという子供時代を過ごさなければなりませんでした。
場をコントロールする気がない両親を見つつ、ありのパパは心の中で「私が大人だったら、こんな真似はしない」と堅く決心していたのでした。
その決心自体は子供っぽいものであり、実現可能性のないものでした。
しかしそのような思いを(まるでバベルの塔のように)心の中に積み上げていったありのパパは大人になってからは存分に病的なコントロール欲求を発揮しました。
アダルトチルドレンの問題は、子供時代には有効であったサバイバル術(生き残り戦術)をその必要がなくなった大人になっても無自覚に延々と使い続けていることです。
同様に共依存症者の問題は、家族の中に依存症者がおり、その者への対応の中で知らず知らずのうちに病的なコントロール欲求を身につけてしまったのですが、それを無自覚のうちに他の人々にも適応しているところにあります。
2.コントロール欲求が現れる対象
病的なコントロール欲求は3つの面で発揮されました。
①自分自身に対して
ありのパパは「このように生きるべき」という規範を信仰に求め、その信仰が掲げる生き方を闇雲(やみくも)に実践しました。
もちろんうまく行くわけはありませんでしたが、そんなことにはお構いなくガンガンやっていました。
そのような生き方が行き詰まらないわけはありません。
案の定、人生が思い通りに生きていけなくなりました。
みなさんは、ありのパパのように「頑固な信仰者」とまではいかないまでも、他の人々から「あなたは頑固な人だね」などと言われたことはないでしょうか?
頑固さは病的なコントロール欲求が自分自身に適応された結果です。
②人々に対して
ありのパパが人々にどのような要求をしたかというと、それは「ありのままで生きる」ということです。
これは一見なんの問題もないように見えます。
しかし、そうではありません。
人はありのままに生きていこうとしても生きていくことができないから悩むのです。
簡単にありのままに生きることができればいいのですが、現実はそうではありません。
そのような現実から目を背けていたありのパパは、自分が言ったように生きていないように見える人々をうとみました。
「ありのままに生きるように言ったのに、生きてないじゃないか!」という何ともお粗末な感想を持ちました。
挙げ句の果てに人々が自分の期待したようにならないのは、人々をコントロールする能力に欠陥があるからであり、こんな自分は欠陥人間であるとまで考えるようになりました。
(アダルトチルドレンの問題リスト11番目)
みなさんの中には「自分はちっとも怖い人ではないのに、周りの人々から怖がられる」という方はおられませんでしょうか?
これは周りの人はあなたの暴力性を怖がっているのではなく、あなたの中にある病的な支配欲求を恐れているのです。
人は何よりも自分自身の自由が縛られることを恐れるものだからです。
③神に対して
ありのパパが若い時に熱心に断食をしたり、徹夜祈祷をしたり、大声で祈ったりしたのは、今から振り返ってみると神を自分の思い通りに動かそうとしたのにほかなりませんでした。
もちろん神には私の願ったとおりに動かないといけない義務はありませんから、ありのパパの熱心な祈りがかなえられることはありませんでした。
かなえられる祈りは、それが神の意志であるときだけです。
あなたは神の意志を知って、それを神の力で実践しようとしておられるでしょうか?
それとも自己意志を神の力を使って実現してやろうと目論(もくろ)んでおられますか?
あるいは神の意志を知っても、それを我力(がりき)で実践しようとしていないでしょうか?
3.共依存症は治らない病気
自分自身を、他者を、神をさえコントロールしようとする病的な支配欲求が強迫観念として襲ってくる人のことを共依存症者といいます。
自分では『今度こそ、人をコントロールしない」と堅く決心しているのですが、いざ強迫観念が襲ってくると、強迫観念が教える嘘にコロッと騙されてしまいます。
その理由は強迫観念の出所である依存症回路が脳の報酬系に存在することによります。
健康な脳は報酬系が本能に対してアクセルを、報酬系の周りの前頭葉がブレーキの役割を果たします。
オギャーと生まれたときから報酬系はしっかりとあります。
「お腹が空いた」「うんち・おしっこが出た」「寂しいからかまってくれ」などの根源的欲求を満たすことがなければ生存することができないからです。
まず生存の条件を満たしながら、徐々に前頭葉が発達し、理性的思考が成熟していきます。
しかし依存症回路が脳の報酬系にできてしまうと、アクセル踏みっぱなしの状態になってしまいます。
そうすると前頭葉は太刀打ちできなくなります。
その理由は報酬系が原始的な器官であり、前頭葉は新参者の器官であることによります。
古参(こさん)の者と新参者(しんざんもの)とが仲良く協力しているうちはうまく行きますが、いったん報酬系が暴走をはじめてしまうと新参者の前頭葉では太刀打ちができないのです。
これが共依存症に対して私たちが無力であることの真の理由です。
そしてさらに始末の悪いことに脳の報酬系に依存症回路がいったん出来てしまうと死ぬまでなくなることはないと言われています。
これが共依存症が治ることのない病気と言われる所以(ゆえん)です。
しかし共依存症は霊的に目覚めることによって回復が可能な病気です。
4.霊的に目覚めることが唯一の解決策
①霊的に目覚めるとはどういうことか?
霊的に目覚めるとは『回復するのに十分な人格の変化』(ビッグブック)であると言われます。
共依存症の場合で言えば、人をコントロールしようとすることが強迫観念から出ており、それが嘘であることを見抜いていることです。
共依存症者は霊的に目覚めるまでは人々を振り回したり、逆に人々に振り回されたりします。
子供時代の生育歴が共依存症になった原因だったと分かっても、それは回復の役には立ちません。
真に回復しようと願うなら、生育歴のことはいったん脇にどけて、自分自身を被害者として見るのではなく、一人の依存症者として見る必要があります。
その時初めて回復の道が開けてきます。
②なぜ霊的に目覚めることが回復に繋がるのか?
霊的に目覚めることを別の言い方で言えば、物事の見方や考え方・感じ方が以前とは一変してしまうことです。
ではなぜ物事の受け止め方が変わることが、共依存症からの回復に繋がるのかと言えば、それは共依存症という病気がもつ特有の構造によります。
不健康な生活習慣を続けていると罹患(りかん)する病気のことを生活習慣病と言います。
これと同様に不健全な思考習慣を続けていると罹患する病気が共依存症です。
子供時代に不健全な思考習慣を続けた人がなるのがアダルトチルドレンであり、パートナーなどの依存症に対処する中で知らず知らずのうちになるのが共依存症です。
共依存症から回復しようとするなら、対症療法ではなく不健全な思考習慣を変える必要があります。
それが性格上の欠点から来る行動パターンです。
性格上の欠点には、利己的・不正直・恐れ・配慮の欠如の四つがあります。
この性格上の欠点からくる行動パターンが一人芝居をすることによって人間関係のトラブルが起きます。
ありのパパの例で言えば、私の中には「人が怖い」という人への恐れがあり、これがことあるごとに他者への不正直な行動に陥らせました。
たとえばある方が「ありのパパさん。Aがいいですか?Bがいいですか?」と聞いてくださったとします。
その時ありのパパは心の中で「Aがほしいと言ったら人間関係が壊れるかも知れない。あるいはバカだと思われるかも知れない」などと根拠のない恐れの故に「Bがいいです]と答えます。
その方にはありのパパの本音など分かるはずもありませんから、その方はBをくれます。
それをありのパパはどう受け取るかというと「私はAが欲しかったのに、この人は私にBをくれた」ということで、その人を恨みました。
恨んだ結果、本能の中の自尊心や対人関係、あるいは感情面での安全が傷つきました。
本能が傷ついた結果、恨みや恐れなどの感情が暴走します。
感情が暴走した結果、不快な感情が生み出され、その不快な感情から逃れるために使い慣れた嗜癖である「人をコントロールする」という嗜癖行為に走ろうとする圧力が強まります。
これが共依存症を始めたとした依存症一般がもつ特有の構造なのです。
ですから共依存症から回復しようとするなら、まず感情の暴走を食い止めることです。
感情の暴走を食い止めるためには本能が傷つくのを食い止めることです。
本能が傷つくのを食い止めるためには性格上の欠点からくる行動パターンが一人芝居するのを止めさせることです。
この嗜癖に陥るまでの構造を理解し、新しい生き方を実践することが霊的に目覚めるということの内容です。
③古い行動パターンを取り除く方法
多くの方々が「性格は変わらないし、性格上の欠点も取り除かれない」と嘆いておられます。
しかし、そうではありません。
性格上の欠点からくる行動パターンは取り除くことが可能です。
その方法は古い行動パターンと対極にある新しい行動パターンを実践する決心と、神に助力を祈ることです(ステップ7)。
性格上の欠点である恐れが問題である場合は「すべての人に敬意をもって接することに全力を尽くす生き方」が新しい行動パターンになります。
なぜならそうしている間だけ人への恐れを感じないですむからです。
人への恐れを自分の中から締め出すことができれば不正直な対応に陥ることはなくなり、不正直な対応に陥ることがなければ人々との間にトラブルが起きることもありません。
人々との間にトラブルが起きなければ本能が傷つくことはなくなり、その結果として感情が暴走することもありません。
感情が暴走することがなければ、人をコントロールしようとする嗜癖に陥らせようとする圧力もなくなります。
もちろん依存症回路が脳の報酬系にあり、それは死ぬまでなくなることはありませんから、生きている間は絶えず強迫観念と渇望現象は襲ってきます。
しかし感情の暴走が伴わない強迫観念は十分にコントロール可能です。
これが「霊的に目覚めると強迫観念が教えるウソを容易に見破ることができるようになる]と言われていることの真意です。
5.どうやって霊的に目覚めるか?
依存症の構造を理解し、さらに霊的に目覚めるとはどういうことかが理解できたら、私たちは回復に対して強い意欲をもつようになります。
まさに「これをやれば回復できるんだ!」という強い意欲を持って、「自分の意志と生き方を自分なりに理解した神の配慮に委ねる決心を」します。
しかし残念ながら多くの方々がここで止まってしまいます。
「委ねよう」と決心しただけでは、「委ねた人生」は実現しません。
委ねた人生が現実のものになるのは行動のプログラムと呼ばれるステップ4以降に取り組んだあとです。
では私たちは何を決心したのでしょうか?
そうです。ステップ4以降の行動のプログラムに取り組む決心をしたのにほかなりません。
それで私たちはステップ3を踏んだら、即座に間を置かないでステップ4の棚卸表の作成に取り掛かります。
そして「第五ステップパーソン」とか「シェアリング・パートナー」と呼ばれる「もう一人の人」と一緒に、自分自身の性格上の欠点からくる行動パターンがどのようなものかを見つけ出します。
ステップ6では見つけ出した古い行動パターンを使わないで生きていく決心をし、ステップ7では古い行動パターンと対極にある新しい行動パターンを使って生きていく決心をし、神に助力を祈ります。
ステップの8と9では残りの人生を埋め合わせの人生として用いていく決心と実践を行います。
このようなわけで霊的に目覚めるために必要なことはステップ4から9までをしっかりと取組むことです。
ビッグブックには「徹底して取り組むなら、これらのこと(霊的に目覚めること)はすべての人に約束されている」と書かれてあります。

◎回復と平安を祈っています。