承認欲求を真に満たす方法は自分が自分自身の愛ある親になることだけ

感情の暴走

「承認欲求を満たすにはどうしたら良いか?」をネットで検索すると、出てくるのは「承認欲求を満たすには自己承認することである」と書かれているサイトばかりです。
しかし果たして自己承認などというものが可能なのだろうかと、ありのパパは感じるのです。
そこでアダルトチルドレンのための12ステップは何と教えているのかを見ていくことにします。

アダルトチルドレンの問題2.私たちは自分が何者か分からないので、他からの承認を病的なほどに求める。

        

1.なぜ承認を求めるのか?

①健康な承認欲求

承認欲求は誰にでもあります。
むしろ、ないほうが不健全です。
幼児期において親から「花よ、蝶よ」と言われて育てられることはとても大切なことです。

少年時代には学業やクラブ活動などで目標を達成することを通して自分の価値を認めていく作業をします。

大人になってからはそれまでに身に着けた自尊感情(自分自身は尊い存在であるとの自覚)を用いて様々なことにチャレンジしていきます。

②不健全な承認欲求

幼児期や少年期に自尊感情が培(つちか)われないと、どうなるでしょうか?
健康的な自尊欲求がないと、それは必ず病的な承認欲求へと結びついていきます。
これはある面では当然のことであると言うことができます。

なぜなら人というものは自尊感情なしには何事も成し遂げることができない存在だからです。

③間違った承認欲求の満たし方

健康な自尊感情を持たない人は、他者に承認を求めがちです。
これは子ども時代に親から与えられなかった承認を親以外の人に求めるということですから、明らかに間違った行為です。

なぜなら親以外の者が承認を与えても、それは親が与えたことにはならないからです。
真の承認は養育者でなければ与えることができません。

「そんなことを言っても、養育者は毒親のままだから承認を与えるなどは考えも及ばない」と仰るアダルトチルドレンも多くおられるでしょう。
ではどうしたら良いのでしょうか?

        

2.解決の処方箋

①親の役を誰にやってもらうかが真の問題

他者に親の役をやってもらおうとすると、それはすぐさま支配と被支配の関係へと変質していきます。
かと言って毒親に「親らしくしろ!」と言ったところで、毒親だって無い袖(そで)は振れないのです。
いかに多くのアダルトチルドレンが実現不可能なことを延々と繰り返していることでしょうか?

人生のどこかで「毒親に親の役をやってもらうのは土台無理な話なのだ」と悟る必要があります。

②自分が自分自身の愛ある親になる

親になってもらっても依存関係に陥らない人が一人います。
そうです。自分が自分自身の親になるのです。

ありのパパはそのように悟って何年か前(2006年3月7日)に自分自身の親の役に立候補しました。
しかし振り返ってみると、その役を充分にこなしたとはとても言うことが出来ません。
鼻くそをほじくって「あ〜、面倒くさいな。いつまで泣いているのか!いつまでめそめそしているのか?」と無責任極まりない対応に終止してきました。

このことを考える時、自分だって自分自身の親になることはほとほと困難なことだったのだから、様々な問題を抱えていた養育者が十分に親の役をこなせなかったのは仕方なかったのかもしれないと考えるようになりました。

        

3.神の意志を知り、それを実践する力だけを求める

①私たちには自分自身の親になるための力がない

自分が自分自身の親になるための力が致命的に不足しているのが私たちです。
それで自分自身の親になるための力を神にいただく必要があることに気づく時がやってきます。
そして神の力は神の意志を知ってそれを実践しようとするときだけ与えられます。

②親になるための力を神に求める

勘違いしがちなことは神の意志を知ってそれを実践しよとうする時に、実践する力が自動的に与えられるわけではないということです。
神の力がほしいなら、そのことのためだけに祈る必要があります。

ありのパパは毎朝目が覚めたらすぐに起き出さないで寝床の中で「神様、神の意志を実践するための力を今日一日分だけください」とお願いしています。

ではお願いしたら、即座に与えられているでしょうか?
いいえ、少なくともありのパパの場合はそうではありませんでした。
祈っても祈っても与えられず「おっかしい〜な。神様、どうかしちゃったのかな?」などと思う時もありました。
まったく「どうかしているのはお前だよ〜。このウスラトンカチ!」と言ってやりたい気分です(笑)。

神の力は神の知恵という形で、ありのパパに与えられました。
それは食事ごとに祈りと黙想を行うことでした。
その祈りと黙想の時間ごとに自分自身に向かって話しかけます。
これを続けていく時に、自分自身の愛ある親の役割を少しずつ果たすことができるようになっていきました。

③なぜ「神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求める」のか?

神の意志を神の力で実践しようとするときだけ心に平安が与えられます。
それで私たちは「神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求める」ようになりました。
なぜならそれ以外のものは私たちに必要ないばかりか、かえって私たちにとって害となる危険があると分かったからです。

そして神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求める時、その他のものはすべて添えて与えられると分かっています。

神の国と神の義をまず第一に求めなさい。そうすれば他のものはそれに添えてすべて与えられます。(聖書)

結論としてはこうなります。
自分が自分自身の愛ある親になることが健全な形で承認欲求を満たす唯一の方法である。
そして私たちには愛ある親になる力はないから、その力を神からいただく必要がある。

その力は神の意志を知って、それを実践する力だけを求める時に与えられる。

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◎回復と平安を祈っています。

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