(2021/04/01記事更新)12ステップの日々の棚卸しをやればやるほど人生は変わります。
それも表面的な変化ではなく、本質的・根本的変化を体験することができます。
具体的なやり方と合わせて、日々の棚卸しをご紹介します。
「自分自身の棚卸しを続け、間違った時は直ちにそれを認めた」(ステップ10)
1.日々の棚卸しを習慣化するにはどうしたらよいか?
①90日間毎日続けることによって
習慣が定着するために必要な期間は、行動習慣は一ヶ月、身体習慣は三ヶ月、思考習慣は六ヶ月掛かると言われています。
日々の棚卸し自体は行動習慣ですが、日々の棚卸しによって変えようとするのは性格上の欠点からくる行動パターンです。
性格上の欠点とは思考習慣そのものですから、思考を変化させ、さらに定着させるには六ヶ月掛かるということになります。
中間施設で教えられたやり方は、はじめの三ヶ月間は紙の棚卸し表に毎日書き込み、あとは頭の中だけでやってもよいというものでした。
三ヶ月間は「やれ!」と中間施設の職員に言われたから、やっているという感じでしたが、六ヶ月を越えたあたりから日々の棚卸しを自由自在に使いこなすことが出来るようになったと感じました。
②書く作業をすることによって
90日間は必ず「日々の棚卸表」に書き込みます。
思考習慣の定着は書き込む作業なしには実現しません。
そういう訳で必ず書き込み作業を行ってください。
日々の棚卸し習慣が定着すれば、紙に書かなくても「暴走した感情は何か?傷ついた本能は何か?自分の側の誤りの正確な本質は何か?」ということが自然にできるようになります。
この営みが無意識的に出来るようになるまでは、日々の棚卸し表に書き込む作業を続ける必要があります。
③感情が動くたびに行うことによって
日々の棚卸しは本来は感情が動くたびに即座に行うべきものです。
聖書には「日が暮れるまで怒ったままでいてはいけない」とあります。
それで夜寝る前に行えばいいではないかという人もおられますが、そのような方は大事なことを見落としているのです。
それは「あなたは棚卸しをするまでは感情を抑圧したままの状態でいるのですよ」ということです。
感情の抑圧は必ず感情を暴走させ、それがスリップにつながります。
ですからそのような不健康なことをしてはなりません。
卑近な例で申し訳ないのですが、小便や大便をしたいと思った時に、夜まで待つ人がいるでしょうか?
そんな人は一人もいません。
だけど私たちは感情のことになると、このようなおかしなことを当たり前のようにやってしまいがちです。
その原因は感情を抑圧することが習慣になってしまっているからです。
しかし私たちはこのような生き方を続けた結果、自分の人生がどうにもならなくなったのではないでしょうか?
このことに同意されるなら、どうぞ日々の棚卸しを即座に行われますようにお願いいたします。
2.日々の棚卸しはあなたを聖人にしない
①否定的感情が出ないようにするのではなく、出てきた感情を何とかする
12ステップは普通の人のためのプログラムです。
決して完全になるためでも、聖人になるためのプログラムでもありません。
この部分をお読みになる方は「そんなこと言われなくても分かっている」とお感じになるかも知れません。
しかし多くの方の標準は高すぎるというのが現実です。
目指すべき基準が高すぎる時に起きることは自分自身に厳しすぎる対応をすることです。
たとえば「私はまだこんな感情を感じている」という理解です。
いつまで経っても棚卸しをしている自分がゆるせないのでしょうか?
しかし私たちは罪人なのですから、それは仕方のないことです。
感情が暴走しない日は決して私たちに訪れません。
ということは古い行動パターンを使うから本能が傷つき、感情が暴走するのですから、短所を使うのも止むことはないということです。
ある人々は「このプログラムに取り組んでいたら、いつかは感情が暴走しない日が来る!」と無意識の領域で信じています。
しかしスリップしない程度には感情の暴走は止まりますが、でもだからといって感情の暴走が完全に止まる日は私たちの人生にやって来ません。
ということは私たちが棚卸しをしないでもよい日は決して訪れないということです。
私たちは生きている限り、一日単位で棚卸しを行っていく必要があります。
○自分自身の不甲斐(ふがい)なさを嘆いている暇があったら、即座に日々の棚卸しに取り組もう!
②マイナス感情を抑圧すると何が起きるか?
マイナス感情を抑圧すると何が起きるかというと、まず他者をさばくようになります。
それはそうです。だって「私をこんなに我慢させているあいつはゆるせない」ということになりますから。
これは全部、無意識下で起きていることですから、本人は気づきません。
ではどうすればよいのでしょうか?
職場の同僚や家族に対して恨みを抱いているとすれば、そこからスタートです。
恨みの感情を抱いていることを決して否認してはなりません。
日々の棚卸しが習慣化して嬉しいことは、どんなトラブルが起きてもそれはすべて次の飛躍への材料となるのがわかっていることです。
あたかも料理をつくる材料が与えられたかのようです。
「やったぜ!」というところです。
3.日々の棚卸しの具体的なやり方
日々の棚卸しのやり方は、まずどの感情が暴走したのかを明らかにします。
次にどの本能が傷ついたのかを明らかにします。
その次には自分の側の落ち度の正確な本質を明らかにします。
ここまでくると真実を見ることができるようになり、恨みや恐れなどのマイナス感情は消えてなくなっているのが普通です。
事実を正しく把握せず、偏った性格上の欠点というフィルターを通して事実を見ている時に罪悪感や後悔などのマイナス感情は起きます。
a.暴走した感情は何か?
- 恨みか
- 罪責感か
- 恐れか
- 後悔か
b.どの本能が傷ついたのか?
- 共存本能の自尊心か対人関係か
- 安全本能の感情面での安全か物質面での安全か
- 性本能の公認の性関係か秘密の性関係か
- 将来野心のどれかか
c.この問題の自分の側における誤りの正確な本質は何か?
- 利己的だったか
- 不正直だったか
- 恐れが動機の身勝手か
- 配慮の欠如が問題だったのか
d.この件について祈りと黙想を行ったか?
e.埋め合わせをするとしたらどんな埋め合わせをするべきか?
4.日々の棚卸しとアダルトチルドレンの統合作業の関係
日々の棚卸しを続けているとアダルトチルドレンの統合作業に良い影響を与えることに気づきます。
というか日々の棚卸し作業なしに統合作業を行うことは不可能であると、ありのパパは思うほどです。
例:自分を厳しくさばくことに対して(問題リスト11)
アダルトチルドレンの問題リストの11番目には「私たちは自分自身を厳しくさばく」という特徴が書かれています。
何かとても良心的な生き方をしているようにも感じますが、決してそうではありません。
これの内部構造は次のようになっています。
「他者は自分の思い通りに動いて当然である」⇨「それにもかかわらず自分の思い通りに動かなかったのは、私のコントロール能力に欠陥があるからだ」⇨「そんな自分は生きていたらいけない」
私が自分自身のために生きており、他人のために生きていないように、他の人々だって皆自分自身のために生きているのであり、私のために生きているのではありません。
だから私の願ったように動かないのは当たり前のことであり、そんなことを願う事自体がおかしなことなのです。
そうであるにもかかわらず、その事実に気づかないまま「人を思い通りに動かせない自分はダメな自分である」などと的外(まとはず)れな自己分析をしているのです。
日々の棚卸しの前提は「他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」ということです。
これはまさに「他人は自分の思ったとおりに動いて当然である」という考え方と対極にある考え方です。
日々の棚卸しを続けて行っていると徐々に他者に対する病的な支配欲求から解放されていきます。
これが共依存症からの回復ということになります。
5.日々の棚卸しの副次的効果
①自己憐憫を始末することに対して
自己憐憫とは「かわいそうな私・哀れな僕」という感情です。
この感情を味わっているときとは悲しくあると同時に自分は何もしなくても良いですからラクチンでもあります。
しかし「よっこらしょ」と重たい腰を上げて、「仕方ない。日々の棚卸しでもやるか!」といったん棚卸しを始めればものの4・5分で問題は問題でなくなり、いまの今まで「あいつが悪い」と思っていたのが実は「問題は自分にあった」ということに気づくようになります。
それで自己憐憫は消えてしまいます。
②他者をさばくことに対して
他人をさばくのは実はそのほうが楽だからです。
これも自己憐憫と同様にラクチンな生き方ではありますが、この生き方を続けていると確実に人生は行き詰まります。
私たちはもう十分に行き詰まっているのではないでしょうか?
これ以上行き詰まってどうしようと言うのでしょうか?(笑)
日々の棚卸しを続けていると、他者を裁くことからも段々と解放されていきます。
もっと正確な言い方をすると、人を裁くという行為が視界から消えてなくなります。
代わりに自分の感情を見張る行為が自分の視界の大部分を占めるようになるのです。
他人を裁くのは、自分の心(感情)を見張っていない証拠です。
もし自分の心を全力で見張っていれば、人のことが気にならなくなります。
日々の棚卸しを続けていくと、自分の人生がどんどん変わっていきます。
これはまさに人生革命と言って良いものです。
【まとめ】
日々の棚卸しの目的は新しい思考習慣の獲得ですから定着に半年かかります。
方法は初めの90日は紙の棚卸し表に毎日書き込みます。
あとは頭の中で棚卸しをやってもかまいません。
気をつけなければならないのは日々の棚卸しは私たちを完全にしないし聖人にするわけでもないということです。
日々の棚卸しの具体的やり方は、不快感情⇒傷ついた本能⇒性格上の欠点の順番にひとつひとつ丁寧に見ていきます。
決して「これに違いない」と決めつけず、初めから順番に見ていきます。
そうすると必ず意外な発見があるものです。
この発見が私たちを回復させるのです。
日々の棚卸しとアダルトチルドレンの統合作業は有機的な関係にあります。
日々の棚卸しなしには統合作業は空回りします。
日々の棚卸しを続けていると自己憐憫が姿を消し、他者を厳しくさばくことがなくります。

◎回復と平安と祝福を祈っています。