子供時代を機能不全家族で育った方が、大人になってから毒親をご自分の自宅で介護するようになっての苦労しているというご相談です。
この記事ではどのような点に留意すればよいかについて解説しています。
ご相談内容:
はじめまして。たまと申します。
プロテスタントのクリスチャンです。(生育歴)
父はアルコール依存症であり、母は発達障害で人の気持ちがわからず、思ったことをすぐ口に出す人で、家の中はゴミ屋敷でした。
典型的な機能不全家庭育ちで生きずらさを抱え、そしてうつ病を発症し、何もかもが辛く死ぬことばかり願っていました。
そのような中で結婚して子供が生まれ、その子供を愛せない自分に驚きと失望を感じ、29歳の時に神と出会いました。
そして少しずつですが、うつ病も癒されてきました。(現在の状況)
そうしたところ (父は他界しているため)母の介護が必要になり、母が私の家に転がりこんで来ることになりました。
自分は癒されつつあると思っていたのですが、母の言動に対して辛い体験が思い出され、怒りが出てきて体も辛くなりました。
そのため母と一緒に家にいるのが嫌で、主人と娘が帰宅するのを待って帰宅するようにしています。(家族関係)
娘もクリスチャンですが、私には愛がないと言います。
主人には私が辛い子供時代を過ごしたことを伝えたのですが理解できないようです。
(教会の人間関係)
教会のリーダー的存在のご婦人に今の状況を伝えたところ、「いつまで過去に捕らわれているのか?」と叱咤され、神と対峙して問題解決するべきであり、「私は今迄、あなたを散々許してきた。(それに対して)あなたは信仰によって歩んでいない」と言われました。
同じ体験をした人でなければ理解できないとは解ってはいるものの、やはりショックを受けました。
自分自身が人間関係に過敏なためか、もともと教会の交わりも苦手であり、また人のご機嫌ばかりうかがう自分にもうんざりしています。
長々と書き連ねましたが、アドバイスを何卒よろしくお願いします。
………ご相談はここまで………
こんにちは、たまさん。
ご相談を下さり、ありがとうございます。
たまさんの悩みは、たまさんだけのものではなく、同じような境遇にいる人々にとっても大きな苦しみとなっていることです。
悲惨な生育歴にもかかわらず、少しずつではあっても回復・成長していると思っていたのに、かつての苦しみが再現されるのは確かに耐え難いことですよね。
そのような苦しみの中にあって、定型的な反応しか示さない家族や教会の人々に対して失望を超えて怒りを感じても仕方ない面もあるかもしれません。
1.たまさんご自身の問題
同じような体験をした人でなければ分かるものではないと言いつつ、たまさんは娘さんにもご主人にも教会の婦人リーダーにも相談を持ちかけておられます。
そしてご自分の意に沿わない答えをされて失望しておられます。
娘さんが理解してくれないのは娘さんが万能感の強いお年頃だからであり、ご主人や教会の婦人リーダーが理解できないのは、たまさんの仰るとおり自分で経験したことがないからです。
それにもかかわらず、たまさんは相談を持ちかけておられます。
これはとてもおかしな話ではあります。
本当のところを言えば「分かるわけない」と考えていれば決して相談などしません。
相談したのは「分かってくれて当然」と思っているからこそ相談なさったのです。
これが共依存症の特徴です。
もちろん誰にもそのような傾向はあります。
しかしそれに振り回されることはありません。
それに対して共依存症者はまんまと振り回されてしまいます。
そして「何で自分は振り回されているのだろう?」と訝(いぶか)しんでいるのです。
2.教会のこと
たまさんの出席しておられる教会は大分カルト化しているようにも感じますが、いかがでしょうか?
その婦人リーダーお一人の特徴なのか、それとも教会全体を覆う特徴なのかは分かりかねます。
しかし教会の空気に反して、お一人のリーダーだけが違うことを話すというのはあまり考えにくいことです。
多分、たまさんの出席しておられる教会はカルト化した教会だと思います。
しかし、その教会に行くのを止めるかどうかは、たまさんご自身がお決めになることです。
3.現状認識を改める
お母さんをご自分の家に入れた時点で「アウト!」でしたね。
たまさんにはたまさんの理由があったのかもしれませんが、このようになると考えつかなかったのは想像力の欠如としか言いようがありません。
人を殺す気満々の現役の殺人者と同居しようとする人がいるでしょうか?(きつい言い方で申し訳ありません)
4.お母さんをグループホームに入れる
「親を介護施設に入れる」と言うと共依存症の人々は、まずそう出来ない理由を言い立てます。
たまさんがそうでないことを願います。
市役所などの公的機関に出向き、親を自宅で介護できない事情があることを話して相談します。
そのような場合に公的機関では前向きな方向で解決策を提示してくれるでしょう。
5.共依存症からの回復を目指す
今回の出来事を通してご自身の問題が明確化されたのであれば、それは「苦しみに出会ったことは私にとって良いことでした。なぜならそれで私は神のおきてを学ぶことができたからです」(旧約聖書・詩篇119篇71節)ということができます。
しかし共依存症から回復しないままであるなら、毒親にやられっぱなしということになりかねません。
「他人を変えることは出来ない。変えられるのは自分だけ」ということを肝に銘じていただき、「他人は自分を傷つけることが出来ないし、不幸にすることも出来ない。幸せは自分持ちである」という真理に是非とも気づかれることを願っています。
どうぞ、ご自分と同じ問題を持つ人々の自助グループに参加なさってみてください。

◎回復と祝福を祈っています。