霊的目覚めを得たら人生はこう変わる

聖書の登場人物の中に『霊的目覚め』を得た人がいるのを皆さんはご存知ですか?
それはヤコブという人です。
創世記32,33章を通してアダルトチルドレンであると思われるヤコブが、どのようにして囚(とら)われから解放されていったかを見ていきます。

1.条件闘争の原因は心を巣くう恐れ

アダルトチルドレンは初めから条件闘争に入りがちです。
なぜそうしてしまうかと言うと、恐れがそうさせます。
心を支配する人を恐れる思いが、下手(したて)に出させます。
しかし下手に出るということが合理性を欠いた行動であることをうすうす気づいていますからストレスがたまります。
その結果ストレスがたまりにたまって怒りが突然爆発します。

2.ヤコブの変化

ヤボクの渡しに一人残ったヤコブはそこに現れた一人の人と組討ちをします。
その方はヤコブを打つのですが、追い詰められていたヤコブは「私を祝福してくださらなければ決して離しません」と詰め寄ります。
そしてついに、その方に「あなたは神と戦って、その力を示した。これからは人にも勝つようになる」と言っていただきます。
この組討ちにおける相手が誰なのかについて、聖書は沈黙しています。
しかしこの組討ちが神との格闘のような祈りであったことは疑う余地のないことです。
この神との格闘のような祈りを指して『ペヌエルの経験』と呼びます。
その結果、ヤコブにどのような変化が起きたかと言うと、

①人への恐れからの解放

それまではいつも自分を一番最後に置いていたのですが、この経験の後は妻子の先頭に立つようになりました。

②正直に生きるようになった

以前なら決して言えないようなことも言えるようになりました。
「実はね、僕は兄さんに会うのが怖くてたまらなかったんだよ。でも今は変わることができました。兄さんの顔は神様のお顔のようです」
ヤコブにとって神の顔とは「あなたは神と戦って自分の力を示すことが出来た。これからは人にも勝つことが出来るようになる」と言ってくださった方のお顔なのです。
その神の顔を、人の顔のうちに見ることができるようになったのです。

③弱い者と歩調を合わせて生きるようになった

目標を立て、最短距離で実現を目指す生き方は、弱い者と共に生きる生き方とは決して共存できません。
必ず切り捨てへとつながります。

カルト化した教会は伝道できないクリスチャンを切り捨てますし、成功することだけが人生の目的のように言い立てる社会は弱者を切り捨てます。

ヤコブは強い者と歩調を合わせるのではなく、弱い者たちに自分の歩調を合わせました。
「一緒に行こう」と言う強い者の誘いを断ることはリスクを伴います。
さしずめ現代の経営者なら決して選択しない決断ではないでしょうか。

しかし神の祝福は「痛んだ葦(あし)を折らず」「くすぶる灯心を決して消すことをしない」人と共にあります。

◎ヤコブだけが霊的目覚めを得たのではありません。どなたであっても求めるなら霊的目覚めを自分のものにすることができます。
平安と祝福を祈っています。

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